第49話 一本のリップ
きっかけは、淡いラメ入りのリップスティックだった。
中校生の頃、母親のメイクを見るのが好きだった。
ラメでキラキラのアイシャドウ、目元を引き締めるアイライン。
頬に煌めく細やかなチーク。
母親は夜バーデンダーをしていたので、人よりも少しだけメイクが濃かった。
シングルマザーで昼間パートに出るよりも、
昼は家の事をして夜に働くスタイルが彼女には合っていたらしい。
ワタシは中学生の時、薬局で初めてリップを買った。
同級生の女の子が持っていたそのリップは、控えめだけど綺麗なピンク色で
ワタシはその色にとてつもなく惹かれていた。
レジの人にどう思われるんだろう、と恥ずかしくもようやく購入した。
家に帰って、恐る恐る自分の唇にリップを塗った。
鏡を見た瞬間、ワタシの周りにキラキラとフィルターがかかったみたいだった。
まるで地面から宙に浮いている様に気持ちが高揚して、
ワタシは世界で1番綺麗になったと錯覚した。
そこからは、アイシャドウやメイク道具を少しづつ揃えていった。
雑誌で紹介されている様な高いブランドの化粧品には手が出なかったので、
中高生向けの安価で買える化粧品をどんどん買っていった。
ピンク色の可愛いメイクポーチを買ってその中に
まるで宝物を揃えていくかの様にメイク用品を詰めていった。
でも、ワタシは正真正銘男だ。
性別が女と男しかない中で、メイクに興味を持つなんて
こんな田舎では考えられない事だと思った。
だから母親にメイクポーチを見られた時には、
ああ人生終わった、と思ったが母親の方から
「それ、彼女の忘れ物かしら?」と言ってくれたのでその場は何とか乗り切れた。
母親がいなくなった夜は、ワタシにとって特別な変身の時間だった。
まるで魔法少女になったみたいに、
誰にも秘密で、ワタシだけの特別な時間だった。
見よう見まねでアイシャドウを塗り、リップを塗っても何だかしっくりこない。
ベースメイクの大事さを知ったのはその後だった。
最初にたっぷりと化粧水で肌を潤し、乳液を塗る。
その後ファンデーションをしてコンシーラーで顔色を整える。
そしてようやく煌びやかなアイシャドウを塗り、アイラインを描く。
母には内緒でウィッグも買った。
ウィッグを被り、化粧も完璧に決める。
そこでようやくワタシは本当のワタシになれるんだ。
通っていた高校では、ワタシが男性にしか興味がない事、
メイクを好きで行っている事なんて、とてもじゃないが言える筈がなかった。
かなりの田舎なので、小中高と殆どクラスメイトは変わらない。
男子の話題なんて、正直女子より精神年齢は低いと思う。
基本男子は自分達が楽しければそれで良し、としているので
いつまで経っても幼稚で、おバカな事で笑い合っている。
ワタシはその波にちゃんと乗った。
どんなに苦痛でも、興味がなくても、合わせる必要があったからだ。
「異端」それだけで村八分状態になるこんな社会では
ワタシの主張など到底受け入れられない事だと確信していた。
そんなワタシの楽しみといえば、クラスの女子の盗み聞き。
どこのメイク用品の新作が出るとか、
このリップ落ちにくいから使ってみて良かったとか、そんな話を聞く事だった。
どうしても気になる場合は、まず「そのアイシャドウ可愛いね。」から褒めて
雑談をこれでもかとたっぷり交わした後、
「どこのメーカーなの?」と恐る恐る距離感を間違えない様に慎重に聞いた。
聞いてからは「彼女が出来たら買ってあげよ〜。」
なんて、心にも思ってない事を笑顔で話した。
男子の会話に合わせるのは、本当に苦痛だった。
だってワタシには好きな人がいたから。
その男の子は、ずっと親友だけどワタシの本当の姿なんて全く知らない。
でも肩を組まれたり、相手から背中に寄りかかってきたり、
ワタシは期待しちゃダメなのに、たまに期待しちゃうんだ。
でも彼には好きな子がいて、もちろん女の子。
ワタシは、応援するふりをずっとずっと続けてた。
本音なんて当たり前に「振られちゃいなよ」と思ってたけど。
高校を卒業して、ワタシは上京した。
最後に思いを告げようかな、なんて思ったりもしたけれど
ワタシは彼への想いは心の奥底にある引き出しに閉じ込めておく事にした。
母にはIT系の仕事が決まったと嘘をつき、
実際のところは当てもなく、上京したのだ。
本当はワタシを知る人がいない場所ならどこでもよかった。
もう自分を押さえて生活するのは嫌だった。
上京して色んな所でバイトをした。
飲食のチェーン店や、清掃、引越しっ業者など。
色んな所で働いて、兎に角お金を貯めた。
ワタシはあいにく180cmといった大柄の体型だったので、
歩いているだけで目立つ様な存在だった。
でも自分で言うのもあれなんだけど、顔は結構中性的で目鼻立ちがシュッとしてる。
ワタシは今まで押さえていた欲望を吐き出すが如く、
あらゆるSNSで自身のスッピンからメイクアップまでの動画を投稿しまくった。
世間では、ワタシはいわゆるドラァグクイーンと言われる。
カットクリースを入れたギラギラのアイシャドウに真っ赤なリップ。
そのメイクにあったウィッグをつけて、派手な衣装に身を纏う。
「そう!これがワタシなの!」
最初は閲覧数やコメントも少なかったけれど、
日が経つに連れてどんどんフォロワーも増えていったし
メイクテクニックなどを絶賛するコメントで溢れかえっていった。
まあアンチもいるんだけれど、
そんな人たちはワタシの視界には入らないみたい。
そんなこんなで今やSNSの収益だけで生活が賄える様になった。
SNSの繋がりで同じメイクを好む男性達とも知り合いが出来た。
初めての友達だった。
ワタシを理解して受け入れてくれる初めての友達。
その中に、歌舞伎町のゲイバーで働いている人がいて、
ちょうど人手不足だったらしく、ワタシもそこで一緒に働く事になった。
お金には困ってなかったけれど、そこで働く事はワタシのステータスにもなった。
ゲイバーには一種の繋がりの様なものがあって、働き出してからは急激にお友達が増えた。
SNSで有名になってしまったので、地元の同級生からたまに友達申請が来る。
承認すると、メッセージでは「お前どうしちゃったの?」とか困惑してる様子が
見てわかる。でもワタシはもう以前のワタシを演じるのは辞めたので、
「元々こうよ。あなた達に教えてなかっただけで。」と返す。
大抵はその位でやり取りは終わる。
ワタシが好きだった男の子から連絡が来た時は、心臓が飛び出そうになった。
でも、彼からはたった一言。
「気づかなくてごめんな。今からの人生楽しめよ。」
ああ、どんだけ男前なんだ。だからワタシはあなたに惚れていたのよ。
ワタシはただ「ありがとう。」とだけ伝えた。
「でさ、そのクリスマスコフレがめっちゃ可愛いのよ。」
同じゲイバーで働いているルリがスマホの画面を見せてきた。
「やだなにコレ!神の奇跡?」
ワタシの返答にルリはお腹を抱えて笑った。
お客さんがまだ少ない時間帯はこうやって雑談を交わしている。
ワタシはSNSでもこのお店でもシェリーと名乗っている。
本当の名前はリュウジだけど、それじゃあ可愛さのカケラもないので
今は好きに名乗って好きに生きている。
「でもこれ、ネット販売ないのよ〜。
現地に買いに行かなきゃ手に入らないみたい。」
ワタシはそれを見て、
そう言えばそれは母の好きなブランドだったなと思い出す。
まだ田舎で暮らしている母とは定期的に連絡はしている。
だけれども、ワタシが本当はゲイでドラァグクイーンをやってるなんて
とてもじゃないけどカミングアウトは出来ていない。
「…ワタシ買いに行くわ。母に送りたいもの。」
「あらやだ。感動しちゃう。ついでに私のも買ってきて。」
ルリは間髪入れずお願いをするが、
「ちゃんと見なさいよアンタ。おひとり様1点よ。」とスマホの文字を指差した。
「なんだ、残念。でも機会がなかったって事はご縁がなかったって事ね!」
その様子にワタシは微笑んだ。
この界隈では凹む事があっても、何でもポジティブに持っていく。
そんなマインドが常識になっている世界は生きていて非常に心地が良い。
その後はキャバクラ帰りの酔っ払ったお客さんがどんどんと入店してきた。
ほんのたまに「ゲイは生産性がない」とか酔った勢いで蔑む人もいるけれど、
ワタシ達はそんなにやわじゃない。
毒舌には毒舌を、それでいて楽しませる事は忘れずに接客している。
「はー、頭がそろそろ限界。」
ワタシは閉店後の片付けをさっさと終わらせて帰る準備をした。
フェイスアップの為にリフトテープを貼り、更にウィッグを馴染ませる為に
額当たりに接着しているので、長時間やっていると頭が疲れる。
「じゃあ、お先帰るわね〜。」
ルリにそう告げて、お店を出る。
繁華街なので人が沢山行き交っている。
だが180cmのオカマが歩いていても、誰もなにも気にしない。
だまに「キレーなねーちゃんだー!」とか野次が飛ぶくらい。
あの田舎に住んでいたワタシには想像も出来なかった
世界にワタシは今堂々と歩いている。
これ以上気分が良い事はないだろう。
繁華街を抜け、家まで後少し。
そんな時に妙に体が重くなった感じがして、立ち止まった。
目頭を押さえて、頭痛の様な感覚に耐える。
「嘘、なによこれ〜…。」
ワタシが次に目を開けると、
そこは先ほどまでの繁華街の様な場所だったが、明らかに異質な世界だった。
誰もが同じ服を着て、誰もが同じ顔をしていた。
顔は男とか女とか、そんな区別がつかない様な不思議な顔立ちの人達だ。
歩く速度も、腕を振る仕草も全部が全部揃っている。
まるでルートがあらかじめ決められている様に人と人がぶつかる事もない。
表情はまるで能面の様に皆真顔だった。
あまりにも規則正しく、統率の取れた様子にワタシは少し気持ち悪くなった。
なぜなら、ワタシはこの経験を前にもしているから。
それは、学生時代の自分。
誰かに合わせ、はみ出る事のない様に、必死に必死に周りに溶け込む。
面白くもない話に笑って、興味のない事にも否定せず、
メイクの事も誰にも言えずに、好きだった親友の恋バナを真剣に相談に乗って。
まるでその時のワタシを見ている様で、
ここにいると気が狂いそうになってしまう。
「多様性とは正反対だわ…。」
ワタシは手で顔を押さえてそのまま目を瞑った。
「大丈夫ですか?」
急にワタシの背中の方から声がしてパッと振り向く。
殺されるのかしらと思ったら、
びっくりする事にそこにはイケメンが立ってた。
「あっ…。」
やばい、ワタシのタイプだわ。
カーキ色の男の子と、うねった髪の男性。
どっちが好きかと言われたら、
ワタシはちょっとダンディーなお髭の人が好きなので、黒髪の男性がタイプ。
「あの、我々AUPDと申します。あなたが今別の世界線にいますので移送させて頂きます。」
その後彼らは自己紹介をしてくれた。
ちょっと若めのカーキ色の人はアマギリさんで、黒髪の方はセイガさんだって。
「今の記憶のまま元に戻せないので限りなく近い世界線に移送する事になります。」
アマギリさんがせっかく小難しい事を話してくれていたのだけれど、
ワタシは上の空でセイガさんの顔ばかり見てしまった。
「え、あなた話聞いてくれてないですよね?」
アマギリさんがワタシに冷たくそう言った。
「ごめんなさい。ワタシ怖くって〜。助けにきてくれたんですよね?」
そう言ってセイガさんの手を握った。
「お、おう!」
セイガさんは突然の出来事にびっくりしながらワタシを見上げた。
「ワタシとは身長差はそこまでないけれど、アナタ足が長いわね。
手も無骨だけど爪がちゃんと手入れされてる。
それでいてちょっと垂れ目で、無精髭がワイルドさを出してて…素敵!」
ワタシは今の状態なんてそっちのけで、マシンガントークをしてしまった。
そんなセイガさんは「褒められても何もでねーよー。」と若干引いていた。
「もー、じゃあセイガさんがちゃんと説明して下さい。」
とアマギリさんは諦めた様に言うので、ワタシは間髪入れず
「あなたは若くて素敵だわ。キリッとした目もその頭の色も素敵。
でもちょっとだけワタシには若すぎただけ。でも将来有望よ!」
と返した。
2人はワタシの圧に押されつつ、お互い見つめ合ってため息をついた。
「あの、ちゃんと聞いてね。」
そうしてワタシに今の現状の事、
これからは今までの世界線と少しだけ違う世界線へ移送される事を丁寧に教えてくれた。
0.0001%違うだけで、どれほど変わるかも教えてくれた。
その極小の数字がもたらす影響は正直計り知れない。
例えば、もしワタシが高校生の時に気の迷いで彼に告白していたら、
他の人にゲイとしられいじめられていたかもしれない。
もしワタシがなんとなくSNSをやり始めなかったら、
今の収益を得る事や、ゲイバーの店員でいる事もなかったと思う。
「…何だかワタシ怖くなってきちゃったわ。」
ポツリと零した本音に対して、アマギリさんが
「貴方の気持ちもよく分かります。でも、受け入れて生きて下さい。」
と優しく声をかけてくれた。
「まー、変化は怖いよな。でも、今からの人生も楽しめよ。」
セイガさんの言葉に、あの日彼から来たメッセージを思い出す。
『気づかなくてごめんな。今からの人生楽しめよ。』
その言葉を聞いてワタシはちょっと笑ってしまった。
背格好も、顔も、声色も。
全然違うけど、セイガさんまで同じ事を言うんだ。
「わかりました。お願いするわ。」
ワタシは2人に笑顔でそう告げた。
気がつくと先ほどまでの道にワタシは立っていた。
「…不思議な経験ね、今度ライブ配信で話してみようかしら。」
そう呟いたワタシは、そこでSNSのフォロワー数を確認した。
以前と変わらず、また友人達とのやり取りにも変化は見られない様に思う。
「なにが変わっても、まあワタシは受け入れるしかないのよねえ。」
歩きながらワタシは1人呟いた。
家に着き、部屋の中を確認するも、なにも変化はなかった。
沢山のメイク道具、撮影用の証明、三脚。
今日の出来事は夢だったのかしら、そう思ってウィッグを取り外した。
翌日ワタシは、ルリが言っていた限定コスメを手にいれる為に百貨店に訪れた。
流石にネット販売せず店舗限定の商品なので、
大勢の女性陣が詰めかけていた。
中にはワタシを知っている人もいて、一緒に写真を撮ったり
コスメの話に花を咲かせていたらあっという間に列が進み、
無事に購入する事が出来た。
購入し百貨店を回ろうとしたその時、
スマホから着信音が聞こえ、画面を見ると母と表示があった。
「もしもし、俺だけど。どうした?」
いつもとは違い、ちょっと低めの声で話すと、母は驚いた様に声を上げる。
「なに?風邪でも引いてんの?」
そう聞いて、あれ。ちょっと低すぎたかなと思い咳払いをする。
「いや、風邪じゃないけど。で、どうしたのさ。」
普通の声で母親にそう伝えると、思いもしない言葉が返ってきた。
「なによ、あんたいつも甲高い声で、もしもし〜?アタシだけど〜?って言うのに。」
「はあ?」
ワタシは母親の言っている意図が分からず、困っていると
母親は「そんな事より」と話し始めた。
「あのね、私の好きなブランドで今限定コスメがあってさ。店舗限定なんだってー!」
店舗限定、もしかして今買ったコフレかしら。
「あの、アイシャドウとチークとアイブロウが入った限定のやつ?」
ワタシがそう聞くと、そうそれ!と嬉々とした声が伝わってきた。
「お願い〜。お金送るから買って欲しいのよ。あんたも使いたいと思うけど、今回はお願い!」
母の返答に、ワタシは察した。
ちょっと違う世界とはいっていたが、
多分ここの世界の母親はワタシの正体を知っているのではないだろうか。
試しに、
「やだ〜、ちょうど今アナタにプレゼントする為に買った所よ〜。」
といつものワタシで対応してみる。
普通に言ったつもりだけど、少し声は震えた。
「本当!?やったー!じゃあ届くの楽しみしてるね!」
返ってきた返答は驚くほど普通の会話だった。
「あと、そうだ。あんた彼氏まだ出来ないの?出来たら挨拶位しに来なよね。じゃーね。」
そう言って母親は電話を切った。
ワタシは嬉しさでその場でスキップしたい気分だった。
母親に打ち明けて、それを肯定してもらえる。
それがどれ程喜ばしい事だろうか。
悪い変化を恐れていたけれど、
こんな結果はワタシにとってスーパーラッキーな変化だ。
ワタシはこの世界でも、蝶の様に羽ばたいて、
美しさを磨き上げ、誰よりも楽しく過ごしていこう。
あの時買った、初めてのリップスティック。
それは、そこから始まったワタシのストーリー。
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