第6話愛の突破、そして奇跡の代償

脳に現れる叫び 第六話:意識の深淵、愛の突破、そして奇跡の代償


愛海が自身の意識を無意識に「コピーガード」しているらしいという推測、そして一条教授の歪んだ野心に気づいた能見嵐は、絶望の淵に立たされていた。愛海の意識こそが、彼の能力を安定させる唯一の「モジュール」源かもしれない。しかし、その意識は閉ざされている。そして、その「盾」を破ることは、愛海を未知の危険に晒すことと同義だった。教授は、その危険な道へ嵐を駆り立てようとしている。


研究所での実験は中断された。教授は嵐と愛海に対し、考える時間を与えた。しかし、その「時間」は、彼にとって新たな実験計画を練るための猶予にすぎないことを、嵐は理解していた。


嵐と愛海は、二人きりになった。重苦しい沈黙の中、愛海が口を開いた。「あの教授…やっぱり、危ないわ。私の意識が…もし本当にガードされているとしたら、それを無理やり開こうなんて…何が起こるか分からない。」


「分かってる…」嵐は苦しげに言った。「君を危険な目に遭わせるわけにはいかない。」


だが、愛海は嵐の手を握った。「でも…あなただって、一人でこの力を抱えていたら、いつ暴走するかわからない。消しゴムみたいに…いや、もっとひどいことになるかもしれない。」彼女の瞳は、恐怖と、そして強い決意を宿していた。「もし、私の意識が鍵なら…やってみる価値はあるんじゃないの?でも…教授のやり方じゃなくて…」


愛海の言葉に、嵐の胸に一筋の光が差した。教授の道具となるのではなく、自分たちの意思で。愛海の「コピーガード」を、強制的な手段ではなく、別の方法で解除することはできないか。それは、彼女の意識の深淵へと入り込み、彼女自身が閉ざした扉を、共に開けるような行為ではないか。


その夜、嵐と愛海は、嵐の研究室にいた。教授には内緒で、最小限の脳波測定装置だけを準備した。それは、教授が使っていたような大がかりなものではない。ただ、二人の脳波の同期や、嵐がモジュールを感知できるかを確認するためだけの簡素なものだ。


「覚悟は…いい?」嵐は愛海に尋ねた。


愛海は頷いた。「うん。あなた一人に背負わせない。それに…私自身も、この『ガード』が何なのか知りたい。」彼女の顔に、医師、そして研究者としての好奇心が僅かに浮かんだ。


実験開始。嵐は愛海と向かい合い、互いの手を握った。嵐は静かに目を閉じ、意識を研ぎ澄ませる。愛海の脳波パターンを読み取り、彼女の意識の「層」に触れようとする。それは、未知の海に潜っていくような感覚だった。


愛海の意識は、想像以上に複雑で多層的だった。表面には、医師としての冷静さ、嵐に対する優しさ、日常の思考…しかし、深く潜っていくと、どこかに強固な「壁」が存在する。それが「コピーガード」なのか。まるで、彼女自身が、無意識のうちに作った防壁。


「愛海…君の心の中に、壁がある…」嵐は苦しげに呟いた。「それを…開けないと…」


「壁…」愛海も内側で何かを感じ取っているようだった。「どうすれば…?」


嵐は迷った。強制的に破ることはできない。それは愛海の精神を傷つけるだけでなく、能力の暴走を招きかねない。では、どうする?


あの時、カフェで感じたモジュール。それは愛海の涙、つまり彼女の感情から生まれた。彼女を喜ばせたいという嵐の想い。そして、嵐を心配する愛海の感情。互いを思う、純粋な気持ち。


「愛海…思い出して…!」嵐は強く言った。「君と僕が、初めて心を通わせた時のこと!君が僕の研究に興味を持ってくれた時…僕が君を大切に思う気持ち…そして、君が僕を…信じてくれようとした、あの時の気持ちを…!」


それは、能力を発動させるための「モジュール」を意識的に形成しようとする試みではない。それは、二人の間に存在する、最も純粋で強固な「繋がり」そのものに働きかける行為だった。愛の力。信じ合う心。


嵐は、自身の愛海への全ての感情を、彼女の意識の壁にぶつけるように集中させた。彼女を守りたい、苦しみから救いたい、笑顔を見たいという切なる願い。そして、愛海もまた、嵐の言葉に応えるように、自身の脳波を、彼のそれに同調させようとする。嵐を理解したい、彼の孤独を癒やしたい、彼と共にいたいという強い思い。


二人の脳波が、乱高下しながらも、奇妙な同期パターンを描き始めた。嵐の意識が、愛海の心の壁に触れる。その壁は頑丈で、跳ね返される感覚がある。だが、愛海の協力、そして二人の間の愛の力によって、壁に亀裂が入り始める。


「…開いて…お願いだ…!」嵐は心の中で叫んだ。これは危険な賭けだ。もしこの壁が崩壊する時に、二人の意識の同期が乱れれば、互いの精神に深刻なダメージを与える可能性がある。最悪の場合、どちらか、あるいは二人とも、二度と正常な意識に戻ってこられないかもしれない。廃人になる、あるいは精神が完全に破壊される危険性。教授は、このリスクを知っていたのだろうか?


だが、もう後戻りはできない。愛海の決意。嵐の覚悟。そして、二人の間に確かに存在する、誰にも理解できない、しかし強固な「愛」という名の絆だけが、彼らを突き動かす。


壁が、音もなく、しかし確かに崩壊した。


嵐の意識が、愛海の意識の深淵へと流れ込む。それは、広大で、暖かく、そして複雑な世界だった。色とりどりの感情の渦、鮮明な記憶の光景、そして、その奥底に静かに輝く、まるで宝石のような情報の塊――それが、求めていた「モジュール」だった。感情や記憶が、純粋な情報として、結晶化されている領域。


「これだ…これが、モジュール…!」嵐は感動に震えた。それは、カフェでの涙から感じたものよりも、遥かに大きく、豊かで、そして安定していた。


そして、そのモジュールの中核に、嵐は自身に対する、愛海の深く強い「想い」を感じ取った。それは、単なる好意や心配ではなく、彼の才能、孤独、そして秘密を受け入れようとする、無条件とも言える「愛」の結晶だった。カフェでの涙は、この強固な「愛」の感情が、一時的に溢れ出したものだったのだ。彼女の「コピーガード」は、彼女自身を守るために、この核となる感情モジュールを、意識の深淵に閉じ込めていたのかもしれない。


嵐は、愛海の意識の中で、この「愛」のモジュールに触れた。それを自身の中に取り込む。それは、温かく、全身に力が満ちていくような感覚だった。彼の能力の源となる情報が、かつてないほど安定する。


同時に、愛海の意識も変化していた。彼女の心の中で閉ざされていた扉が開き、自身の感情や記憶が、特別な「情報」として機能することを理解した。それは、医師としての知識を超えた、自身の存在に関わる根源的な理解だった。彼女自身の「コピーガード」能力の正体も、そこに隠されていたのかもしれない。


嵐はゆっくりと目を開けた。向かい合う愛海も、彼を見つめ返している。二人の手は固く握られたままだった。


「嵐…私…分かったわ…私の心の中に…あなたへの…」愛海の言葉は、感極まって途切れ途切れになった。彼女の瞳は、涙に濡れていたが、以前のような不安や恐怖だけではない、強い意志と、そして愛に満ちていた。


「愛海…君の心こそが…僕の能力の…」嵐もまた、言葉に詰まった。


二人の間には、言葉にならない、しかし確かな理解が生まれた。彼らの能力は、単なる科学現象ではない。それは、互いの意識が、感情が、そして愛が共鳴することで発動する、生命と心に深く根差した力なのだ。愛海の「コピーガード」は、その核となる「愛」のモジュールを、外部の干渉から守るための、彼女自身の無意識の防御機構だった。そして、それを解除できたのは、強制ではなく、二人の間の真実の愛の力だけだった。それは、不可能を可能にした、二人の「奇跡」だった。


しかし、奇跡には代償が伴う。能力を制御するための鍵は手に入れた。だが、その鍵は愛海の心そのものだ。彼女は文字通り、嵐の能力と一心同体となった。彼女が苦しめば、モジュールは歪み、能力は暴走するだろう。彼女が狙われれば、嵐は抵抗できない。二人の間の絆は、最も強力な力であると同時に、最も脆弱な弱点となった。


そして、この危険な共鳴に、一条教授が気づいた時、何が起こるのか。教授の野心は、愛海をどう利用しようとするのか。


嵐と愛海は、互いの手を握りしめたまま、静かに、しかし確かな決意を瞳に宿していた。彼らの目の前には、教授という強大な敵、能力を巡る世界の闇、そして二人の絆がもたらす、計り知れない危険が待ち受けている。だが、彼らは一人ではない。互いの愛という、かつてない強固なモジュールを胸に、二人はその闇の中へ、共に足を踏み出した。物語は、二人の運命が、愛という名のモジュールによって結びつけられたことで、新たな、そして危険な展開へと加速する。

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脳に現れる叫び!ブレインストーム! 志乃原七海 @09093495732p

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