第5話教授の企み、そして「コピーガード」の覚醒

脳に現れる叫び 第五話:閉ざされたモジュール、教授の企み、そして「コピーガード」の覚醒


愛海の涙が、能力の核となる「モジュール」の新たな可能性を示してから数日。能見嵐は、一条教授にその驚くべき発見を慎重に報告した。予想通り、教授の興奮は頂点に達した。人間の感情や意識そのものがモジュールとなる――それは、彼の「情報結晶化」理論を根底から覆し、新たな領域へと導くものだった。


「素晴らしい!能見君、素晴らしい!やはり君の能力は、私の仮説を遥かに超える!」教授は目を輝かせた。「早速だ!彼女に来てもらおう!彼女の脳波、生体反応を詳細に測定し、その『モジュール』の発生メカニズムを解明するのだ!」


嵐は戸惑った。彼女、愛海を危険な実験に巻き込みたくない。しかし、教授の「この能力は君と私だけの秘密だ」という言葉を思い出す。彼に報告しないという選択肢は、嵐自身が孤立し、能力を制御する術を完全に失うことを意味した。そして、教授は愛海の情報を既に把握している可能性があった。隠し通すのは不可能に近い。


愛海も、教授の実験への参加には抵抗があった。医師として、自身の精神状態が嵐の能力に直接影響を与える可能性は、あまりに恐ろしかった。しかし、嵐が一人で危険な能力を抱え込むことへの不安、そして、もしかしたら自分の協力が彼の能力制御に繋がるかもしれないという希望が、彼女を突き動かした。


こうして、愛海は教授の研究室、正確には大学の関連研究所内にある、より高度な設備を備えた実験室へと足を踏み入れた。白衣姿の彼女に、嵐は心の中で謝罪した。


実験は始まった。愛海は脳波計や各種センサーを装着し、嵐は彼女の近くに座る。目的は、愛海の意識や感情から、第三話で見られたような「鮮明なモジュール」を意図的に抽出し、そのプロセスをデータ化することだ。


最初の試みとして、嵐は愛海に、かつて彼女を喜ばせたいと強く願った時のこと、あるいは、事故現場で負傷者を助けたいと願った時のことを語り、彼女の感情を揺り動かそうとした。愛海も、嵐の言葉に耳を傾け、当時の感情を思い返そうとする。


しかし、何度試みても、あのカフェで感じたような、鮮明なモジュールは現れなかった。嵐が抽出を試みても、愛海の意識からは、微弱で不安定なノイズのような情報しか得られない。教授のモニターには、嵐の脳波がモジュールを捉えようと特定のパターンを描いているにも関わらず、愛海の脳波や生体信号は、何の影響も受けていないかのように安定している。


「おかしい…」教授が呟いた。「脳波の同期は見られるのに…なぜモジュールが形成されない?」


愛海も困惑していた。嵐の言葉を聞き、当時の感情を呼び起こそうとしているのに、何かが遮られているような感覚がある。自身の内側から、何かが「拒否」しているような、あるいは「閉ざしている」ような、奇妙な感覚。


実験は失敗に次ぐ失敗だった。愛海は嵐の言葉に真摯に応えようとしている。嵐も必死にモジュールを捉えようとしている。しかし、二人の意識の間には、見えない壁が存在するかのようだった。


教授の顔から、最初の興奮が消え失せ、苛立ちの色が浮かび始めた。彼はデータを睨みつけ、何かを考え込んでいる。そして、ある可能性に気づいたかのように、ゆっくりと愛海に目を向けた。


「愛海さん…失礼ですが、過去に…何か、特別な経験はありませんか? 例えば、極度の精神的ストレスや、あるいは…珍しい症例を診たとか…?」


愛海は僅かに眉をひそめた。「特別な経験…? 医師として、様々な症例は経験していますが…」彼女は何かを隠しているかのように、一瞬視線を逸らした。「特に…ありませんが。」


教授は愛海の反応を見逃さなかった。彼の目に、新たな種類の光が宿る。それは、嵐の能力を見た時と同じ、獲物を見つけた狩人のような光だった。


「そうですか…しかし、このデータは奇妙だ。まるで…まるであなたの意識が、外部からの干渉を、あるいは情報操作を、極めて強力に『拒否』しているかのように見える。」


そして、教授は独り言のように呟いた。


「これは…『コピーガード対応人間』…いや、あるいは『モジュールウィルス人間』の逆か…? 情報の出力ではなく、入力や模倣を遮断する…『オリジナル・ガーディアン』…?」


教授の言葉に、嵐はゾッとした。それは、以前彼が能力者の可能性について考察した際に思いついた、「情報プロテクト能力者」に酷似していた。愛海が、意識レベルで、外部からの情報抽出や干渉を無意識に遮断している?


「愛海さんが、無意識のうちに自身の意識モジュールを保護している…あるいは、モジュールそのものの生成を防いでいる…」教授の推測は続く。「あのカフェでの一件は、彼女の感情が極度に高まった、予測不能な状況だったからこそ、一時的にそのガードが緩み、モジュールが『漏れ出した』のかもしれない…」


教授は立ち上がり、愛海のそばに歩み寄った。その目は、もはや彼女を一人の人間として見ていない。「これは…素晴らしい発見だ! 能見君の生成能力、そして彼女の防御能力! これを組み合わせれば…!」


教授の口角が歪んだ笑みを象徴した。その笑みは、純粋な探求心を超え、何か冷たく、危険な野心の色を濃厚に帯びていた。彼は、嵐と愛海の能力を「組み合わせる」ことで、何かを企んでいる。愛海の「コピーガード」能力が、嵐の不安定な能力を安定させる鍵になるのか? あるいは、彼女の意識からモジュールを無理やり抽出し、それを嵐に利用させるつもりなのか?


「教授…何を…」嵐は不安に声を絞り出した。


「心配するな、能見君。」教授は嵐の肩に手を置いた。しかし、その手は温かいはずなのに、以前よりもずっと冷たく、重く感じられた。「これで、君の能力は飛躍的に安定するかもしれない。そして、愛海さん。あなたの存在は、この研究、そして人類の未来に、計り知れない貢献をもたらすだろう。」


教授は、愛海を「貢献」という言葉で飾り立てたが、その視線は完全に研究対象を見るそれだった。愛海は教授の視線に、そして自身の内部で感じる奇妙な「閉鎖感」に、強い恐怖を感じていた。彼女の意識が、嵐の能力の鍵であり、同時に彼女自身を守る「盾」でもあるのかもしれない。そして、その盾が、教授の知的好奇心の前に崩されようとしている。


実験は一旦終了となった。愛海は疲労の色を隠せず、嵐もまた、新たな問題と教授の野心に打ちのめされていた。二人きりになった時、愛海は震える声で言った。


「嵐…私…私、怖いの…自分の心が、あなたの力になるなんて…そして、あの教授が…私をどう見ているのか…」


嵐は、愛海を抱き寄せた。彼女の抱える恐怖は、そのまま嵐自身の恐怖でもあった。愛海が「コピーガード対応人間」である可能性。それは彼女を守る盾であり、同時に、嵐が能力を安定させるための、ほとんど唯一の希望でもある。しかし、その希望を手に入れることは、愛海をさらなる危険に晒すことと同義だった。教授の企み、愛海の秘められた能力、そして嵐の制御不能な力。三つの要素が複雑に絡み合い、彼らを予測不能な未来へと引きずり込んでいく。


閉ざされたモジュール、露わになり始めた教授の野心、そして愛海自身の「コピーガード」という未知なる力。希望と絶望、信頼と裏切りが交錯する中、二人は、深まる闇の中、互いに寄り添うしかなかった。物語は、愛海の存在が、嵐の能力だけでなく、周囲の人間関係や、隠された世界の真実を暴き出す鍵となることを示唆しながら、次の段階へと進む。

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