第2話 依頼人:母を想う娘

 その噂は、どこかで必ず耳にする。


「ねえ、八黒堂はっこくどうって知ってる?どんな夢でも見せてくれるんだって。寿命が1年縮む代わりに好きな夢8時間!」

「あのねぇアンタ…子供じゃないんだからそんな噂誰が信じるのよ。」

「いやでも見たいかも。あたしだったらあのハゲ上司こらしめる夢見るわ~」

「ていうか普通に8時間ぐっすり眠れるなら寿命1年くらい…。」

「やば!社畜さんですか?」


 昼休み中のOL達はたわいのない会話に夢中になっていた。その後ろで別の人間が聞き耳をたてているとも知らずに。


 昼休憩が終わったOL達は仕事へ戻る。

 その人数が一人減ったことに気づく者はいなかった。


***


 50代半ばほどの女がエレベーターに乗り込む。

 恐る恐るボタンを押し、エレベーターを上下に動かす──最後に、見慣れない階表示が点滅した。


 扉が開いた先には、煤けた喫茶店のような店内。

 天井には古めかしいランプがチカチカと灯り、ほのかにコーヒーの香りが漂っている。


「ちょっとカルトォー!お客さん!」


「店では大声を出さないように」


 高い女の声の後に、静かな声が聞こえた。


 カウンターには銀髪のポニーテールの女が佇んでいる。冷ややかな目、パリッと張った新品のスーツ。背は低そうだが、どこか威厳を感じる。


 その奥には猫のように鋭い目をした女が、にやにやとこちらを見ている。


「…奥の貴女、どこかで見たわ。ウチの会社にいたわよね?あら副業?…ちゃんと会社に申請出した?」


「ウフ、依頼人さん。アタシはここの従業員。きっと気のせいよ。」


 クスクスと笑いながらお茶出しをする女。そう、かしら…と不安になるも、今は関係ないことを思い出す。


 依頼を──夢を見に来たのだ。


「こちらでは、寿命一年を対価に、八時間お好きな夢を見ていただけます」


 淡々と、しかし重みのある言葉のように、カルトと呼ばれた女店主は話す。


「あのあたし…。」


 自分のこと──名前、年齢、大学を出てもう何年になるか、ずっと同じ会社で管理部として働き続け、子供も生まれ、順風満帆とまではいかないが満足のある人生。


「個人情報や経歴より、見たい夢をお教えください」


 まるでどうでもいいかのような態度に、少しむっとしたが、これで夢が見られるのならと胸が躍った。


「あたしのお母さんの夢を、見せてください。」


 自分を育ててくれた母──時にはぶつかることもあったがいつだって自分の味方で、誰よりも優しく厳しく、素敵な女性。


 認知症になり、介護が始まり、その面影はなくなってしまった。


「昔の母の思い出を、もっと見たいんです。きっともう長くはないですし…。いやね、現実逃避なのはわかっているんです。わかっているけれども…ここ最近ずっと思い出しちゃうんです。」


「承知いたしました」


相も変わらず、女店主は淡々とした返事しかしなかった。


書類に簡潔な夢の内容を書く。それだけだった。


「あのぅ…ほんとにあたしの寿命一年縮んだんですか?そんな感覚なにもないので…ええ…。」


「いただきましたので、今日の夜に夢を見られますよ」


 表情の変わらない女店主を背に、実感がわかないままエレベーターで帰ったのだった。


***


「よく喋る依頼人だったぜ。」


 依頼人が去ったあと、店の奥から強面長身の男が出てきた。


「アンタいたの~?ま、アンタがいたら依頼人怖くて帰っちゃうか!アハハ!」


「うるせぇんだよ。それよりお前、顔覚えられてんじゃねーか。広めるんならちゃんとやれよな。」


 男女二人の従業員の言い合いをBGMに、女店主は帳簿に目をやった。


「あの依頼人、また来そうですが…」


「あらカルト、なんかひっかかるの?」


「個人情報はしゃべりません」


短く言い放ち、再び帳簿を見た。


***


 朝食の匂い、洗濯物を干す音、テレビの音量に文句を言い合う日常。認知症で崩れていく前の、母らしい母。優しいけれど少し頑固で、温かくて、うるさかったあの人。


「ママ!あたし……」


「はいはい、もう、ちょっとは手伝いなさい。」


 現実での、あの日がよみがえる。それは長く短い8時間だった。



 目が覚めると、涙が止まらなかった。

 そこが心地よかった。


***


「あのぅ!またお願いしてもよろしいでしょうか!?」


「…いらっしゃいませ」


 エレベーターから降りてきた依頼人は食い気味に叫び、やや小走りで店のカウンターまで来た。


「内容は同じ──いえ、あの日の思い出はもっと前だから…その時の…。」


「書類に書いていただければ、その夢をみることができます。」


 ああそうね、ええと、その、どうかけば、と焦り気味の依頼人を、女店主は光る眼で見ていた。


「寿命一年を対価に、八時間お好きな夢を見ていただけます」




 次の日の夢は、あのときの遊園地の夢。

 その次は、あの日の海での潮干狩り。


 お母さん、また来たよ。と夢の母に会いに行く。現実の母と違い自分を娘だと認知し、母である。


 好きな母といつまでもいられるのなら、天命など、現実など、どうでもよかった。


***

 

 一か月後、近所で交通事故があったという。


 瘦せこけた50代半ばほどの女、近くの会社で管理部として長く勤めていた──。


 社員いわく女は、最近母親の介護に疲れていると言っていたようである。みるみる痩せ細っていたが、それでもにこやかに、


「好きな母のためですから。」


 そう答えていたそうだ。


「一か月の依頼人。寿命、そんなに残ってなかったのね。」

「過労ってやつか?」


 店の片隅で新聞を広げる男女。


 女店主は相変わらず無表情で依頼人の書いた書類をみつめていた。


***


 数日後。八黒堂の扉が再び開く。


 小さな女の子が立っていた。中学生くらいか、少し背伸びをした制服姿。


「……あの。ここって、夢を見られるって噂の……」


 女店主はコーヒーを差し出す。


「ようこそ、八黒堂へ」



「どのような夢をご希望ですか?」


 少女は、カップを両手で抱えながら、唇を震わせた。


「……死んでしまった、お母さんの夢が見たいんです。」



「あたしのお母さん、ええと、おばあちゃんが認知症になってからすごく忙しくなっちゃって。全然かまってもらえなくて。いや、あたしもお母さんに構えなかったのかも…。こないだ交通事故でなくなったんです。よく喋る人で…」




 よく喋る依頼人だった。

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八黒堂 もういいよ @afternoon3104

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