第12話
黒猫の運動音痴は俺の予想をはるかに超えてきた。
長座体前屈。
箱の上に手を伸ばし、身体を前に倒して柔軟性を測る種目だが、
彼女は、まるで透明な壁にぶつかったかのように、途中でピタリと動きを止めた。
指先はつま先に届かず、手前の空間を虚しく泳いでいる。
「......これが限界です」
見れば顔は真剣そのものだが、身体は1ミリも動かない。
「......逆にどうやったらそんなに硬くなれるのよ」
隣で見ていた大代が、呆れを通り越して感心したように言う。
記録 −5センチ
続いて、反復横跳び。
床にマスキングテープで1メートル間隔のラインを3本。
敏捷性を測るこの種目では、制限時間20秒で、どれだけラインを踏めたかを測定する。
合図と同時に、黒猫は横へスライド――したつもりだったのだろう。
ジャンプが小さすぎて、ラインにすら届いていない。
「......今のはカウントですか?」
「いや、踏んでないから」
「......そうですか」
そこからも黙々とスライドを繰り返すが、どれもギリギリ届かない。
大代が半分呆れた顔でカチカチとカウンターを押す。
記録:10回。※平均は30回前後。
「あんた、なんか.....可哀想になってきたわ」
次に俺たちは屋外のグラウンドへ移動する。
強い日差しが容赦なく照りつける中、自販機で買ったスポドリを飲みながら、俺は砂場に立つ黒猫を見やった。
次に行うのはソフトボール投げ。
引いたラインから出ないように、ボールを投げ、飛んだ距離を測定する。
ここでは投力を測る。もちろん助走などは禁止。
大代の合図で黒猫は片手で持ったボールを投げる。
投げたボールは普通なら弧を描き落下するだろう。
しかし、黒猫のぎこちないフォームによって投げられたボールは弧を描く事なく、そのまま砂場に叩きつけられた。
ふわりと砂埃が舞う。
「......メンコでもやってるの」
記録1センチ。
その後も黒猫は立ち幅跳びでは、顔面から着地し、50メートル走では、走ると同時に足をもつれさせ転倒するなど。
いかんなくその運動音痴っぷりを発揮する。
その度にくすくすと周囲からの笑い声が絶えなかった。
そして、いよいよ残る種目は一つだけとなる。
俺たちは体力測定に終止符を撃つべく、体育館へと再び移動する。
「いよいよ最後だな」
「えーと、今は俺が4で悠が3か」
亮の中ではまだ勝負が続いていたようだ。
亮曰く、握力、長座体前屈、50メートル走が亮の勝ち。
上体起こし、ハンドボール投げ、立ち幅跳びが俺の勝ちのようだ。
「追い詰められたな悠?」
ニヤニヤと挑発するように笑う亮に俺は苦笑で返す。
今はそれどころじゃなかった。
後ろを歩く黒猫に視線をやる。
彼女は白い体操服を土で汚し、膝には小さな擦り傷。髪も少し乱れていて、一言で言えばボロボロだった。
「黒猫、大丈夫か?」
「......問題ありません」
変わらず淡々とした口調。だがそれがどこか無理しているように聞こえた。
「あんたさ、次は早めにリタイアしたら?」
大代がポツリと溢す。
「正直あんたの取り組む姿見てらんない。気付かないの? 周りから笑われてるの」
冷たく棘のあるような言葉。
大代は少しの笑いに呆れを馴染ませ、言葉を続ける。
「......ここまできたら巻き返しなんて無理でしょそれに周りの連中も見てみなよ......もうほとんど、手を抜いてるって」
青葉高校の体力測定では、測定結果のトータルを見て成績を評価するようにしている。
大代の言う通り、黒猫は今の所全てが平均以下。
これ以上頑張ったとしても、結果は変わらないだろう。
大代の言う通り、手を抜くのも一つの手なのかもしれない。
俺は内心驚いていた。
ーー大代が黒猫を心配している。
彼女の言葉は棘があり、それは側から見れば相手を傷つけているようにも見えることがある。
今だってそうかもしれない。
でも、一年の時から彼女の側にいた俺にはわかる。
遠回しで大代は伝えているんだ。
黒猫がこれ以上、怪我をするのを、周りから嘲笑されるのをみたくないと。
それを裏付けるように。
「これ以上恥を上塗りしないためにもさ」
最後にそう締め括った。
大代の黒猫に取るスタンスは、関わらない事だった。黒い噂をもつ人間は周りを厄介にすると俺にそう忠告していた。
けど、この体力測定を通して、大代には揺らぎが出来たのかもしれない。
彼女の運動音痴っぷりを大代は呆れながらもなにかしら声をかけていた。
それはまるで友達みたいで。
......もし、噂がなかったら大代は黒猫と友達になっていたのかもしれない。
「......それはできません」
それはいつもと変わらない、小さな声で。そして大代への向けての回答だった。
「.....手を抜く事に私は否定しません。取り組む姿勢は人それぞれなので......確かに私は運動が他の人と比べたら遥かに劣ります」
黒猫の表情は相変わらず変わらない。
変わらない筈なのに、どこか熱を、温度を感じる。
「......けれど。だからと言って、私は手を抜きたくない。抜くことは出来ないんです」
「......なにそれ.....馬鹿じゃん」
ため息が落ちる。彼女は理解できないと首をふる。そこに少しの呆れと微笑を織り交ぜて。
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