第7話

 朝、空が白け始まる頃。

 薄暗いキッチンに、まな板の音が小さく響いていた。

 きつね色に焼けた卵焼きをひと口大に切り、彩り要因としてプチトマトを添える。

 

 「こんな感じで、いいかな」


 弁当の出来栄えに満足していると、小さな足音が背後からやってきた。

 振り返れば、妹の澪が寝巻き姿で立っていた。

 まだ眠そうな顔で、小さな寝ぼけ眼を擦り、髪には寝癖がついている。


 「朝早くからなにしてんの兄貴」


 「なにって、見てわかるだろ。弁当を作ってるんだ」


 「ふぁぁ〜、そうなんだ。弁当を……って、弁当!?」

 

 先程の眠そうな瞼はどこへやら。

 澪は大袈裟に驚くと、目を見開いて、俺の手元を覗き込む。


 「本当だ……昨日と続けて、今日も弁当を作ってる! どういう風の吹き回し!?」


 「なんだっていいだろ別に」


 「ふーん? そっかぁ」


 俺の言動に何かを察したのか、今度はにやにやと笑い出す。その顔はどこか楽しそうだ。


 「そう言えば兄貴さぁ、昨日はなんか嬉しそうだったよね? ひょっとして例の屋上の人と進展があった? あっ! 昨日作った弁当もその人とお昼を一緒に食べるためだったりしない?」


 相変わらず鋭い勘をお持ちだ。俺の表情からなにがあったか的確に読み取ってくる。

 我が妹ながら恐ろしい。将来探偵を目指したらいいんじゃないか。


 

 「さぁ、どうだろうな?」

 

 俺は笑ってごまかし、弁当箱に蓋をする。

 

 「むぅ、いいよ。真実はいつだって1つなんだから」


 その台詞。ますます探偵向きじゃないか。

 頬をぷくっと膨らます、澪を横目に俺はもう一つ、小さめな弁当箱を手に取る。

 それに気づいた澪が不思議そうに訊いてくる。


 「あれ? まだ食べるの?」


 「いや? 食べないけど」


 俺の胃袋は一つで手一杯だ。

 2つも食べれば胃がパンクしてしまう。


 「ふーん? あれ、そう言えばおかずの量多いね?」

 

 澪は俺の準備したおかずを次々長める。卵焼きにポテトサラダ。彩のミニトマトとブロッコリー。


 「どさくさに紛れて食うなよ」


 「別にいいじゃん。減るもんじゃないし。うーんこの卵焼き甘めで最高。兄貴から私への愛をかんじるよ〜」


 「いや、お前のために作ってないから、愛はゼロだ」


 「愛……ないの!?」


 澪は黒い炊飯ジャーを開け、中身を確かめる。


 「ご飯も普段より、多めに炊いてない?」


 白い湯気が立ち昇る。

 確かにお米は普段よりも1合多めに炊いた。


 「兄貴、私の弁当も作ってくれたの?」


 「そんなわけないだろ。澪の学校給食が出るし」


 「うん。そうなんだよね。じゃあさ」


 澪は小さな弁当箱を指差し、


 「それ誰の?」


 「誰のって、澪には関係ない人のだよ」


 そう言って俺は弁当におかずをつめ始める。

 空は明るくなり、鳥たちが鳴き始めた。

 蛇口から垂れた水が、シンクにぽつんと落ちる。


 「兄貴、まさかさ例の屋上の人にとか言わないよね?」


 やはり彼女は鋭い。

 そう、澪が言っていた通りこれは黒井に渡す弁当だった。

 彼女の昼ごはんをまともに目にしたのは昨日が初めてだったが、頼りない記憶を思い返してみると、そうえいば彼女はよくパンを食べていたんだ。

 そして、昨日掴んだ手。細くて冷たかった。

 まともな食事をとれていないんじゃないかって。

 ふとそう思った。

 だから俺は今日、彼女の弁当も用意する事にしたんだがーー



 「そうだったら、なんだよ?」


 「兄貴……それ、頼まれたの?」


 「いや、全然」

 

 黒井がそんな事を俺に頼むわけない。

 澪はその回答に納得したのか、今度は満足そうにうんうんと頷き、にっこりと笑った。



 「兄貴、それキモい」


 「は?」


 「無理無理無理無理! キモいキモいキモい!」


 距離を取りながら、澪は自分を抱きしめるように震えている。


 「なんだよ……弁当作るくらいで」


 「だって頼まれた訳じゃないんでしょ! そんで兄貴は、その人と出会ってまだ間もないんでしょ!」


 「だからって悪いことじゃないだろ!」


 「想像してみてよ、仲もよくなくて、まったくの赤の他人と言える人に、急に弁当を作ってきました。よかったらどうぞって言われる人の気持ちを 恐怖だよ! 鳥肌ものだよ! 兄貴の優しさ、360度回転しすぎて、ねじきれてるよ!」


 「言いすぎだろ……」


 でも。

 澪の言葉を受けて、ちょっと想像してみた。

 

 その人は笑いながら俺に声をかける。


 (よかったら、弁当一緒に食べないか? あ、君の分も作ってあるよ。いつも食べてる量じゃ足りないだろ?)


 確かに頷けるものがあった。

 


 「そ、そうか、俺キモかったのか」

 

 「ご、ごめん言いすぎた! そんな落ち込まないでよ!」


 「いや、いいんだ。お前のお陰で目が覚めたよ」


 でもどうする。

 もう作ってしまったおかずはどうすればいい。


 「朝ごはんにでもするか……」


 「まだ、諦めるのは早いよ兄貴!!」


 「いや、もう手遅れだろ」


 「ここは私に任せてよ」


 えへんと胸をはる澪。

 どこか自身に満ち溢れた顔をしている。


 「要はその相手さんにこちらの意図を気付かれず、自然に食べる流れを作ってあげればいいんだよ」


 澪は、俺の弁当箱を取ると、手際よくおかずを敷き詰め始めた。

 空いたところに残った卵焼きやブロッコリー、足りないところにミニトマトを入れたり。

 そして、食い意地のプロ。作業しながらつまみ食いも忘れない。


 結局、準備していたおかずはほとんど弁当箱と澪の胃袋に収まった。


 「よし、完成」


 「完成って、おかずを増やしただけじゃないか。俺はこんな量食べきれる自信ないけど」


 パンパンに膨れ上がった弁当箱をみて、ポツリと呟く。


 「破裂しそうだな」

 

 「言ったでしょ兄貴。自然な感じでって、その人にこう言ってみて」


 

 澪が魔法の言葉を伝授する。

 なるほど。

 それなら、確かに不自然じゃない。

 たぶん、きっと、ギリギリ。

 窓の外から子供たちの笑い声が響く。今日という、1日が始まりを告げていた。

 


 


 


 

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