第6話

玄関の扉を閉める音が、妙に大きく響いた。


「……ただいま」


返事はない。家には誰もいない。いつものことだった。母はいつも帰りが遅くて、明け方に帰ってくる。

 そしてその時は決まって、お酒の空き缶と知らない男が寝ている。もう慣れていることだった。


制服のまま台所に立ち、冷蔵庫を開ける。中には、昨夜の煮物が少し残っているだけ。足りないだろうと判断して、私は黙々と包丁を手に取った。

作ったのは小松菜と油揚げの煮浸し。冷めたら容器に詰めて、冷蔵庫へ。母の分には名前を書いた小さな付箋を添える。

その動きに、迷いはなかった。料理は、私にとって母と出来る唯一の「会話」だった。言葉を交わさなくても、これで十分通じる。……そう思っていた。

 自室へと戻り、制服から私服に着替える。

 文庫本を手に取り、続きから読み進めるが、どうも物語に没入できない。

  カーテンの隙間から夕暮れが差していた。

 私は読むことを諦め、ベッドに横になる。

 天井のシミが目に入る。何度見上げても、そこからなにかが答えてくれることはなかった。


(……1人が、普通)


誰もいない家。誰も干渉してこない日常。誰かに頼らず、誰かに頼られず、自分で閉じた世界の中で、ずっと過ごしてきた。

けれど。

 そんな日々を無理矢理こじ開けようとしてくる人がいた。


(――日向さん)


ふと、彼の声が胸の内に蘇った。あの夕暮れ。迷いも戸惑いも、まるごと受け止めようとした瞳。友達だと言い切った、あのまっすぐな声。


思い出すだけで、胸の奥がじわりと熱を持つ。どうして、そんな言葉が残っているのか。どうして、今もこうして思い出してしまうのか。


(……困ります)


困る。戸惑う。けれど。


(でも……嫌じゃない)


そのことが、何よりも、私をいちばん困らせた。


天井を見つめたまま、小さく目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、あの茜色の空。ふいに吹いた風。ばらばらの足音。そしてあの声

――また明日

ほんの少しの、あたたかさだった。

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