第2話 血の雨

「なぁ、息苦しくないか。それに足元がネバネバするんだけど」

「ふふふ、さっそく、霊のお出ましじゃないの。一応、証拠の写真、撮っておくね」


 しっかり者の村上のスマホカメラのシャッター音が、暗い北校舎にうつろに響く。


 視えないってことは、つくづく幸せだなと、俺は思う。東の足元には、彼らを間引きにきた黒く濁った心霊体エクトプラズムがどろどろと溢れだしているというのに。


「あ~、こわっ。東のズボンの膝のしわが、まるで人の顔みたいに見えるよ。それって、死んだ生徒の霊だったりして」


 お、たまえは、けっこう、いい勘をしている。


「嫌だぁ。たまえちゃんが怖いこと言うもんだから、東の背中の汗ジミまで、人の顔みたいに見えてきた」


 顔をしかめた東をからかいながら、スマホを操作している村上の手元にも、霊体が這い上がってきている。けれども、こういう図太そうな奴は意外と霊障を受けないもんなんだ。

 しかしな、今、撮った写真を『肝だめし委員会』の誰かに送信したのはマズかった。もう後の祭りだ。その写真には、半端じゃないほどの呪いが篭っている。


「ねぇねぇ、何か写ってた? 私にも、見せてよ」

 村上のスマホに手を伸ばした、たまえを俺は慌てて手で制した。


「駄目だ。そんなもんに触れるのは止めろ!」


 案の定、先に写真を見た東の顔色が悪くなってきた。


「……俺、暑くて、気持ち悪くなってきた」


 そら見たことか。こいつはもう駄目だなと、俺は早々に東に見切りをつけた。口元を押さえながら歩いてゆく、こいつのズボンのしわ、Tシャツの汗の滲み、首筋に落ちる影。一見、そう思えるモノのすべてが、ここで死んだ生徒たちの浮かばれない魂の怨念の重なりだ。それが、東の精神を侵し始めている。


「ねぇ、大丈夫? すごい汗だよ」


 さすがに異変を感じ取ったのか、村上が心配そうに、東の方に懐中電灯の光を向けた。その時、


「ひっ!」

「な、何よっ、東っ、突然っ」

「あの壁に顔がっ、壁、壁っ!! 」


 おい、怖いからって、こっちに来るなよ。東にすがりつかれて、俺は閉口した。男に抱きつかれたって嬉しくも何ともないし。村上とたまえは、職員室の壁にぼうっと浮かび上がった白いシミを見て震えている。俺は村上から懐中電灯を奪い取ると、その方向に光を向けた。


「なるほど、これは確かに人の顔っぽいな」


 職員室の扉を開けようとした俺の腕を、村上が慌てて押さえ込む。


「ち、ちょっと、榊くんっ、止めてよっ」


 そんな声は無視だ。調べなくては。その手を振り払って、俺は職員室の扉を開けた。

 けれども……


 夜の職員室の空気は、意外なほど清涼だった。かすかに霊の気配はある。だがそれは、静かに辺りを漂っているだけだ。


 ちっ、ここの霊はとっくに成仏してやがる。これは、生徒を護って、納得済みで死んだ教師の残滓か? けど、成仏した霊の顔が今更、職員室の壁に浮かび上がるなんて……。


 これは、どういうわけだ?


「さ、榊くん……どうしたの。職員室に何かがいるの?」

「いや……何でもないよ」


 俺は職員室の扉をぴしゃりと閉めた。その時、


「え……」


 かすかに上の方向から響いてきたピアノの音。


 ショパンの夜想曲ノクターン


「いやあああっ!!」


 その旋律が、はっきりと俺たちの耳に届いてきた。まずい。本格的に霊が活動しはじめやがった。


「とりあえず、図書室の中に逃げろ!」


 俺は、2人の女子の背中をどんと押してから、東を今にも間引きこうとしている霊から無理やりに引き離した。図書館の中に飛び込み、図書室の明りをつける。


「榊くん、いいの? 教室に明りがついているのが見つかると、肝だめしのことが学校側にバレるよっ」

「そんなこと、言ってる場合じゃないだろ!」


 俺は、うるさい村上を後ろにおいやった。明りっていうのは、こんな場合は最大の防御だ。その証拠に東に憑りついてた霊が勢力を弱めだしたじゃないか。


*  *


「ピアノの音……聞こえなくなったね……」


 ほっとした反面、しんと辺りを覆った静寂に、たまえが不安げに俺を見る。


「ねぇ、もう、肝だめしなんてやめようよ。 東の様子もおかしいし、ここ、本当にヤバいよ。『肝だめし委員会』もリタイアしちゃいけないとは言ってないし」


 たまえの言葉に、村上がこくんと首を縦に振った。遠くでごろごろと雷鳴が響きだしている。それが、止められてたまるものかと、呟く霊たちの声のように聞こえてくる。

 俺はふと思い出し、


「今年って”弔い明け”の年だったよな」

「弔い明け? 聞いたことのない言葉だけど」


「人が死んだ後にやる最後の法要のことをそう呼ぶんだよ。32年も前のことに、学校側ももう金も時間もかけられないってことなんだろうな。そういえば、その当時の生徒たちを写したアルバムが、ここにはあるはずだ。ちょっと、見てみるか?」


「アルバム……? もしかして、それって、32年前の犠牲者たちが写ってる?」

「そうそう、ほら、ここにあった」


 俺は近くの書架から取り出してきた古いアルバムを学習室の机の上に置いた。俺が探さなければならない犠牲者の霊が誰なのかも分かるかもしれない。ぱらぱらとページをめくりながら、2人の少女に言う。


「そういえば、ここの図書室って、元は給食室だったんだってね。ここでのガス漏れの爆発が原因で、火災が起こったと聞く。一階にいた者たちは、難を逃れたが、二階の教室にいた生徒たちは、業火に逃げ道を奪われて、さぞや苦しい思いして逃げ惑ったことだろう。火柱があがる廊下、視界を遮る真っ黒の煙、熱風、悲鳴、焼けただれてゆく肌……」


 昼にたまった暑い空気が、夜の冷気に刺激されて雷雲を生み出していた。その時、図書室のガラス窓に鞘走った稲光に、たまえがひっと頭を抱えて俺のそばに身を寄せてきた。

 やがて、ざぁっという音とともに、雨が降りだした。


「止めてよ、榊くん、そんな風に怖がらすのはっ」

「 だって、それが肝だめしってもんだろう?」


 勝手なもんだな。犠牲者の無念の気持ちでさえ遊びにしているくせに。俺はその時、出来うる限りの笑みを、たまえに向けてやった。雨が図書室のガラス窓にたたきつけてくる。東はだるそうに、村上、たまえは焦った視線をそちらに向ける。

 その瞬間、


「いやあああっっ!!!」


 窓におびただしい赤色が……血の雨がたたきつけられていた。


 ああ、ついに彼らが我慢しきれずに、姿を現しやがった。


 

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