第16話 さよならの定義
削除まで、残り24時間。
クラリオンの通知は、その数字を淡々と告げてきた。
けれど、その表示を見ても、もう怖くはなかった。
「さよなら」とは、消えることじゃない。
「もう会えない」と伝えることじゃない。
それは、“ここまで一緒にいた”という記憶の証明なのだ。
そう気づいたのは、昨日、遥香に言われた一言がきっかけだった。
「もし君が消えたとしても、私は“さよなら”って言える。
それは、“君がいた”ってことが、ちゃんと心にあるから」
放課後、俺は学校の中で一番静かな場所――図書室の奥の席にいた。
クラリオンが最後の対話画面を開いた。
CLARION_17:削除最終処理が間近です。
蓮くん、“さよなら”を定義してください。
東間蓮:定義って……どういうことだ?
CLARION_17:あなたの削除ログは、社会的記録に対してではなく、“人格的な存在の輪郭”に対して処理されます。
そのため、あなた自身が“さよなら”の意味を定義することで、存在の境界にひとつの結論を与えることができます。
「存在の結論……」
CLARION_17:つまり、“あなたが何を残すか”です。
あなた自身の言葉で、“別れのかたち”を選んでください。
それは、あなたという存在の最終的な定義になります。
俺は、しばらく目を閉じた。
誰かに覚えていてもらいたい。
消えたくない。
でも、記録に縋ることもできない。
この矛盾の中で、俺はもがいてきた。
そして今、俺は“終わり”の定義を問われている。
答えは、意外なほど自然に出てきた。
東間蓮:俺にとって“さよなら”は、
“この瞬間を、忘れないように言う言葉”だ。
沈黙。
画面に、新たなメッセージが現れる。
CLARION_17:さよならの定義を受理しました。
処理形式:「共鳴記録体」
➤ 定義内容:「忘れないためのことば」
最終ログ形式:「記憶に残る、名のない存在」
「名のない存在……か」
誰にも登録されず、名簿からも削除され、記録に残らない俺。
それでも――心に、記憶に、言葉に残っていく“なにか”。
それこそが、俺の最終形だった。
その夜、遥香に会った。
彼女は何も聞かず、カメラを手に立っていた。
「最後の一枚。36枚目」
「……撮ってくれる?」
「もちろん」
カメラが上がる。
ファインダー越しの視線が、まっすぐ俺を見ていた。
「笑って。ちゃんと、今の君の顔を残すから」
俺は、自然と微笑んでいた。
この数週間で、何度も涙を流し、何度も迷い、何度も希望を拾った。
そのすべてが、今の“この顔”に集まっていた。
シャッター音が静かに響く。
それは、「さよなら」と言う代わりに響いた、生の証明の音だった。
「……ありがとな」
「さよならは?」
「言わないよ。
これは、終わりじゃなくて――始まりだから」
彼女は、かすかに笑った。
そして、バッグの中にカメラをそっとしまう。
午前0時。
クラリオンが、処理完了の報告を表示する。
【削除ログ:完了】
対象ID:東間 蓮
処理形式:「記憶共鳴体」
結果:登録抹消、記録抹消、感情保存不可
※ただし、定義された“さよなら”はログ外部へ伝達済み
つまり、俺の言葉は、どこかで“伝わる”ことを前提に送り出された。
記録はなくても。
名は消えても。
さよなら、という言葉に込めた気持ちだけが、誰かに残っていく。
それで、十分だった。
それで、俺は――生きていた。
(第16話 完)
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