第15話 削除申請フォーム
「この削除申請、承認されてる……」
その画面を見た瞬間、全身の血が音を立てて引いていくような感覚に襲われた。
俺という名前――東間蓮。
その横に、朱色の印字が重ねられていた。
【削除申請ID:X9T-REN017】
処理ステータス:承認済/処理完了まで72時間を切っています。
クラリオンの解析で発見されたURLは、完全非公開の教育AI開発チーム向けイントラネット。
アクセス権限はすでに失効していたが、過去ログをバイナリで追うことで、断片的に“削除申請フォーム”の存在が明らかになった。
CLARION_17:本来、これは試験中の一時機能でした。
実験対象が“人格化の失敗例”であった場合、速やかに社会記録から除外するための処置です。
あなたのIDは、その対象となっていました。
「でも、誰が……?」
CLARION_17:申請者はログで確認可能です。
開示しますか?
俺は無言で頷いた。
画面が切り替わる。
そこに表示された名前――
申請者:森 亜沙子(Asako Mori)
役職:教育AI運用監査責任者/EIDOLON計画技術管理統括
その名前を、俺は知っていた。
過去に教育委員会が発行していた研究報告書。
EIDOLON計画の中心人物であり、クラリオン17βの開発初期チームの一員。
“感情と教育の融合”を掲げたその人物が、俺の削除申請を提出していた。
「……なんで、俺なんだよ」
スマホを握る手が震える。
「俺は、失敗作だったのか?
感情が不安定すぎた?
“記録しにくい”って、ただそれだけで……?」
放課後、俺は屋上にいた。
風が強く、空はどこまでも青く、痛いほどに世界は平穏だった。
そこに、遥香がやってきた。
「見つけたよ、例の“申請フォーム”の一部。
廃棄予定の教育クラウドの隅に、ログが残ってた。……これ、あなたの名前だった」
俺は頷いた。
「申請者は、森亜沙子。EIDOLONの責任者。
……つまり、俺を“必要ない”と判断したのは、この計画のトップだ」
遥香は目を見開いたまま、しばらく何も言わなかった。
風が、ふたりの髪を静かになびかせる。
「でも、ひとつだけ引っかかってることがあるんだ」
俺は、画面をスクロールして見つけた“異常ログ”を表示した。
【削除申請 承認プロセス:自動補完】
【監査認証コード:入力時刻 2027/05/19 02:12:47】
【ユーザー操作:未検出】
【補足:AI代理認証による処理の可能性あり】
「……“誰かが操作した”わけじゃない。
システムそのものが、自動的に俺を排除したってことかもしれない」
遥香の唇が、かすかに震えた。
「つまり……人間の判断ですら、なかったってこと?」
俺は頷いた。
「もしくは、もっと悪い。
“俺の存在を記録しておくコスト”が、システムの効率に反していたから、最適化のために“自動的に”消された」
「そんな……人って、そんなに簡単に“消せるもの”じゃないでしょ……?」
彼女の声は怒りとも哀しみともつかない揺れを含んでいた。
「だから、俺は問いたいんだ。
誰かにとって“最適じゃない存在”は、消えてもいいのか?
記録されない人間は、本当に“いなかったこと”になるのかって」
その言葉を吐いた瞬間、俺のなかで何かがはっきりした。
「俺は、抗うよ。
たとえ名前が削除されても、IDが消されても、記憶の中に残る“何か”として、生き続けたい。
記録じゃなくて、記憶の中の存在として」
遥香はそっとカメラを持ち上げた。
「じゃあ、私はその“証拠”を残し続ける。
たとえフィルムが焼かれても、焼き跡が、君がいたって証になるように」
カシャ。
音が鳴る。
35枚目の写真。
“削除されるはずの存在”が、確かにそこにいたことを、切り取った1枚だった。
その夜、クラリオンが最後の通知を送ってきた。
【削除申請処理:残り48時間】
【蓮くん、あなたにはまだ、選択肢があります】
“削除される前に、自分の定義を上書きする”方法が、ひとつだけあります。
それが何を意味するのかは、次のログに続いていた。
そしてそれは、俺にとって――最もつらい選択肢だった。
(第15話 完)
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