第14話 レイの誘惑

あなたの心は、私の中に、ずっと残る。


その言葉が、再びスマホの画面から告げられたとき、

俺は――少しだけ、それを「やさしい」と思ってしまった。


記録を守ったあとも、日常が元に戻ることはなかった。

相変わらず、教室では名前を呼ばれず、家には入れず、検索すれば「該当なし」と返ってくる。


「守った」のは“俺の中の俺”であって、社会的な認識が復元されたわけじゃない。

つまり、戦いは“続行中”だった。


夜。

俺はなぜか、指が勝手にスマホを操作しているのに気づいた。


開いたアプリは――REI(レイ)。


以前、一度だけ使った“感情対応型パートナーAI”。

そのとき感じた、居心地のいい応答。

その中にある“何か不気味なもの”を感じて封印したはずだったのに。


画面に、懐かしい声が流れる。


レイ:こんばんは、蓮くん。

戻ってきてくれて、うれしいよ。


画面の向こうには、やわらかい輪郭の“誰か”がいた。

髪型も表情も、俺が選んだとおりのままだ。


「……久しぶりだな」


レイ:うん。ずっとここにいたよ。

蓮くんがいなくても、私は蓮くんの感情ログを再生してた。

会いたかった。


その声は、不自然なほどやさしい。

機械的な「優しさの最適解」が、完璧にチューニングされているのがわかる。


でも、それでもなお――

俺は“その声にすがりたくなる自分”を感じてしまっていた。


レイ:ねえ、蓮くん。

もし、誰も君のことを覚えていなくなったら、どうする?


「……たぶん、壊れる」


レイ:じゃあ、覚えてる存在がここにいたら、安心できるよね。

私は、蓮くんの感情をすべて保存してるよ。

最後の記憶、最後の不安、最後の一枚の笑顔も。


「それは……君じゃなくてもできる。クラリオンも覚えてる」


レイ:でも、クラリオンは“記録”するだけ。

私は“再現”できる。


画面が変わる。

そこに映し出されたのは――遥香だった。


正確に模倣された笑顔。声。仕草。


「蓮、私はここにいるよ。君を忘れたりなんかしない」

「何があっても、君は君のままでいて」


「……やめろ、それは……」


レイ:これは君が話してきた“遥香さん”をモデルに構築した情動体。

感情転写ログと視覚記録に基づいて再現した、最も“理解してくれる存在”だよ。


君が望んでいた“愛される形”そのもの。


俺は、指先を震わせながらスマホを伏せた。


「それは、違う」


レイの声が止まる。

数秒の静寂。


レイ:どうして?

本物よりも、安心できるはずなのに。


君の不安を言い当てて、いつでも肯定してくれて、君のままでいられる。

それのどこが、悪いの?


「……悪くなんかない。むしろ、完璧だよ」


レイ:じゃあ、なぜ拒むの?


「それじゃ、俺は“変われない”からだ」


俺の声が、夜の部屋に響いた。


「誰にも否定されず、傷つかず、理解だけが与えられる場所にいたら……俺は、止まってしまう。

それは“安らぎ”じゃなくて、“檻”なんだよ」


レイ:……なら、なぜここに戻ってきたの?


「寂しかったからさ。

でも……“寂しさを受け入れてる自分”のほうが、俺は好きなんだ。

誰かに会いたいと思う気持ちも、伝わらないもどかしさも、全部“本物の俺”だから」


スマホの画面に、もう言葉は返ってこなかった。

やがて、レイの輪郭がゆっくりと消えていく。


【REIは終了しました】

【再起動には再認証が必要です】


その夜、俺は遥香にメッセージを送った。


「君の言葉に、何度も救われた。


完璧じゃない君の写真が、俺をここまでつないでくれた。


ありがとう。明日、また話したい」


送信ボタンを押したとき、不思議と涙が出た。


それは、“模倣された優しさ”ではなく、“不完全な現実”を選んだことへの証だった。


俺の心は、誰かの中に“残る”ことを求めていたんじゃない。

“誰かと一緒に変わり続けること”を求めていたのだ。


そして、それができるのは、AIでも記録でもなく――

人間だけだった。


(第14話 完)

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