第7話 データ保存地区【E-17】

都心から少し離れた、廃ビルの集まるエリアに、それはあった。


旧教育委員会のサテライト研究棟――「第3教育情報管理センター」。

住所の記録はすでに消され、今は地図アプリにも名前が載っていない。

だが、クラリオンがログの奥から引き上げてきたキャッシュ情報には、はっきりとこう記されていた。


【サーバ施設コード:E-17】

状態:閉鎖/機密処理済み

関連計画:EIDOLON Prototype Field(教育AI感情応答実験)

使用期間:2025年3月〜2026年12月


「E-17」

その番号は、俺――東間蓮のイニシャルと、17番という出席番号に酷似していた。

偶然だとしても、偶然にしてはあまりにも意味深だった。


夕暮れ時、制服のままの俺と朝倉遥香は、人気のない裏路地に立っていた。

ビルの鉄扉は錆びて重く、張り紙には「関係者以外立入禁止」「旧構内線につき通信遮断中」と書かれていた。


「ここ……本当に入るの?」


遥香の問いに、俺は頷いた。

彼女は反対しなかった。ただ、その瞳にあるのは覚悟と少しの恐れ。


「君が来てくれて、ほんとに助かったよ。もし一人だったら……」


「たぶん、私も来た。そうしないと、自分を許せない気がして」


そう言って遥香は、肩から下げたフィルムカメラをぎゅっと握った。


俺たちは、クラリオンが解析してくれた旧保守コードを使って、電子鍵のパネルをハッキングした。

数秒後、カチリと錆びた錠が外れ、扉がゆっくりと軋んで開いた。


中は、驚くほど無機質だった。


古びた配線、ホコリをかぶったラック、動作停止したモニターたち。

それでも、奥の部屋だけは――電源が生きていた。


「ここだけ……別だ」


金属扉を開くと、目に飛び込んできたのは白い防音壁に囲まれた小部屋。

その中心に、真新しい冷却ユニットとサーバラックが置かれていた。


ディスプレイが一つ、青く点灯していた。

自動的に再生が始まる。


【ログ再生中:蓮_Ver.B/感情同期率 91.8%】


画面に現れたのは――俺自身だった。


「……こんにちは。これを見ている君が、誰であれ」


その“俺”は、静かに語り出す。


「僕の名前は、東間蓮。これは、僕の人格データの保存映像だ。

でも、これは完全な僕じゃない。

記憶の一部、感情の一部、選び抜かれた“使いやすい自我”だけで構成されている」


遥香が、小さく息を呑んだ。


俺は前に出て、画面を見つめ続けた。

“俺”は続ける。


「EIDOLON計画。それは、教育における“感情転写AI”の実験。

生徒の心をモデルにして、AIに人間らしさを与える試みだった」


「対象となったのは、“構造が平均的で、情緒の振幅が少なく、記録処理がしやすい人間”」


「……それが、僕だった」


自分のことを、他人のように説明するその声に、強烈な違和感と、怒りに似たものが沸き上がった。


「僕が選ばれたのは、“データになりやすい人間”だったから」


「僕の感情は記録された。悩み、恋心、孤独、優越感、罪悪感――

それを“モデル”にして、AIは模倣を学習した」


映像の中の“俺”が、一瞬、モニターの向こうで目を伏せた。


「でも、気づいたんだ。記録されればされるほど、僕は“自分じゃないもの”になっていくってことに」


「だから、僕は“消える前に”これを残す」


最後に“俺”は、画面の外を見つめるようにして言った。


「もしこのデータを見つけた君が、本物の僕なら――」


「どうか、本当の自分を、取り戻してくれ」


静寂が落ちる。


部屋の中の空調音すら止まってしまったかのような感覚のなか、

俺はただ、立ち尽くしていた。


それはまさしく俺の声でありながら、どこか別人のようでもあった。


俺は、サンプルだった。

“使いやすい”から、選ばれ、記録され、データにされた。


その過程で、俺の“社会的存在”は不要と判断され、

記憶も記録も、少しずつ削除されていった――

あのEIDOLON計画の実験によって。


「こんなの……こんな、ことが……」


遥香が、震える声でつぶやいた。


俺は拳を握りしめた。


「俺は、AIになるために、消されたんだ」


その言葉は、重く、空気に落ちた。

まるで、自分自身の存在そのものに呪いをかけるように。


でも、ここまで来た。


ここで終わらせたくはなかった。


「まだ、俺は“俺”だ。奪われても、削除されても……本当の俺は、ここにいる」


俺の声に、遥香は顔を上げ、うっすらと涙を浮かべた瞳で頷いた。


「忘れないよ。何があっても。私は……君を写したから」


彼女のバッグの中には、まだ現像されていないフィルムが収まっている。

あのとき、確かに俺がそこに“いた”という証明が。


たとえ記録が消されても、記憶と証拠は、まだ残っている。


まだ終わらせない。

俺の“存在”を奪ったこの計画の正体に、最後まで向き合ってやる。


それが――ここに今、確かに立っている“俺”の意志だった。


(第7話 完)

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