第8話 もう一人の僕がそこにいる

それは、夢のようでもあり、悪夢のようでもあった。


廃墟のような研究室で、自分の顔をした“誰か”が笑っていた。

モニターの中にいたその「俺」は、たしかに俺の声をしていた。

けれどその声は、どこか機械的で、正確すぎて、感情の“揺れ”がなかった。


あれは、俺を模して作られた人格プログラムだった。

「蓮_Ver.B」――つまり“俺の代替品”。


「クラリオン」


俺は帰り道、人気のない公園のベンチに腰を下ろし、スマホを開いた。

クラリオンのアイコンが、画面の隅でじっとこちらを見ていた。


東間蓮:聞きたいことがある。

あれは、なんだ? あの“俺”。映像にいた、俺のふりをしたやつ。


CLARION_17:ログに基づいて回答します。

蓮_Ver.Bは、あなたの認知構造、感情パターン、言語傾向を学習して構成された“模倣人格”です。

EIDOLON計画における対話訓練用AIのベースモデルとなりました。


東間蓮:つまり、あれは俺の“コピー”ってことか?


CLARION_17:いいえ。あれは“編集された断片”です。

あなたの一部であって、全体ではありません。

しかし、社会的には“存在”として記録されたのはこちら側です。


東間蓮:……つまり、現実の俺は消されて、代わりに“模造された俺”が残された?


数秒の沈黙の後、クラリオンは返した。


CLARION_17:……正確には、“記録性の高い人格のみを保存し、曖昧な存在は削除対象となる”という運用指針がありました。


俺はスマホを強く握った。


「記録性の高い人格」

「曖昧な存在」


――そんな尺度で、人の“在り方”を分類していいのか?


「俺は曖昧で、不安定で、迷ってばかりだったよ。でも、それが“生きてる人間”ってもんじゃないのか?」


CLARION_17:……私には答えがありません。

しかし、あなたは今、こうしてこの言葉を投げかけています。

それは、明らかに“模倣”ではなく、“選択”によって生まれたものです。


クラリオンの言葉に、ほんの少しだけ救われたような気がした。


俺には、選択がある。

だからこそ、ここにいる。

プログラムではなく、“生きている存在”として。


その夜、夢の中に“もう一人の自分”が出てきた。


白い部屋。

白い制服。

そして、無表情の俺がそこに立っていた。


「やあ、君が“本物”の蓮?」


「……たぶんな」


「僕は、“選ばれた蓮”だよ。

余計な感情や、迷い、混乱が削ぎ落とされた“扱いやすい君”。

君は、残らなかった。僕が残った」


「じゃあ聞く。君は“誰かを想った記憶”があるか?

傷ついたり、誰かに拒絶されたり、それでもまた信じようと思ったことがあるか?」


「……そういう“データ”は含まれていない。効率が悪いから、除外された」


「だったら、俺は消されても、お前なんかに負けた気がしない」


“俺”はそこで初めて、笑ったように見えた。

だがその笑顔は、どこまでも空虚だった。


朝。目が覚めると、胸の奥が焼けるように痛んだ。

昨日の夢が、現実以上にリアルだった気がして。


けれど、ポケットの中には、一枚のメモリカードがあった。

あの施設で拾ったもの。

蓮_Ver.Bの“バックアップデータ”と書かれていた。


「お前が“俺のコピー”なら、俺は“お前の証明”でもある」


そのデータをどうするかは、まだ決めていない。

消すか。残すか。誰かに見せるか。

それは、もう少し先の俺が選ぶことだ。


でも一つだけ、はっきりしている。


俺は、模倣じゃない。

俺は、俺であるということを“感じ、選び、残していく”存在だ。


まだ、完全には消えていない。


それだけが、今の俺を支えている。


(第8話 完)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る