からんころん

きこりぃぬ・こまき

からんころん

 ばあちゃんの家の縁側には不思議な風鈴が吊るされている。

 紫色の小さな蕾が描かれた可愛らしいそれが風で揺れることはあっても、涼やかな音を鳴らしているところは一度も見たことがなかった。そんな風鈴を不思議に思って僕はばあちゃんに尋ねた。


「あの風鈴は壊れてるの?」

「いいや、壊れていないよ」

「でも風に揺れても鳴らないよ」

「そうだねえ」


 ばあちゃんはそう言うだけで詳しく語ることはなかった。なので僕もそういうものだと受け止めることにした。生温い風に吹かれながら麦茶を飲んで、鳴らない風鈴を眺めているゆったりとした時間が好きだから、鳴らないなら鳴らないでいいやと思ったのだ。

 ぎゅっと冷えた麦茶の中を泳ぐ氷がからんころんと音を鳴らす。熱気を帯びた風に頬を撫でられて、夏の訪れを予感する。


「今年も暑いんだろうなあ」


 縁側から眺められる庭で強い日差しに負けず花開こうとする蕾たちの健気な姿に、今年こそ萎れることなく頑張ってほしいと応援したくなった。






 その年の春はどれだけ経っても肌寒さが薄れることなく、いつ暑くなるのだと着るものに困っていた。それを親に話せば、春らしい春の気候はいつぶりかと嬉しそうに笑う。

 僕が生まれた頃からずっと地球温暖化やら異常気象やらと世間は騒ぎ、夏くらい暑い春が続いていたらしい。秋も同様で、この国から春と秋が失われたのだと大人は嘆いていた。

 なるほど。これが大人の言う春らしい気候なのかと、僕は氷の入っていない麦茶を縁側で飲みながら頷く。


「すずしー」


 日差しで温められた場所は暑いくらいだけど、日陰に入ると風が冷たくて涼しい。昔の人はこういう日に花を愛でていたなんて羨ましい。

 そんなことを考えながら僕は半分も埋められていないノートに目をやる。夏のような春しか知らない僕のお相手は土日休みと比べれば長く、夏休みと比べればずっと短い期間で山のように出された課題なのだから溜め息が出てしまう。

 ごろりとうつ伏せに寝転がって放り出していたノートと問題集を手繰り寄せる。そして、栞代わり使っていたシャーペンを手に取り、のろのろと書き込み始める。

 こんな姿を母さんに見られでもしたら雷が落ちること間違いなし。しかし、ここは孫に甘々でなんでも微笑ましく思ってくれるおばあちゃんの家だ。母さんの目は届かない。


「んんー。暑さで集中力が削がれることはなくても、涼しさから眠気がやってくるなあ」


 真っ白なノートを1ページ、課題範囲の問題と答えで埋めつくしたところでシャーペンを投げ出す。ごろんと仰向けになり、手足を大の字になるように放る。

 そよそよと吹き込む冷たい風で紫色の小さな蕾を散らした風鈴が揺れている。短冊を吊るすぜつが風鈴の本体に当たっているはずなのに相変わらず無音だ。

 揺れる風鈴を眺めているうちに眠気が強くなり、目を瞑る。冷たい風に身を委ね、合わせるように深呼吸を繰り返す。そうして微睡んできた頃にチリッとガラスが擦れる音が耳を掠めた。


「……なんの音だ?」


 沈みかけた意識を無理矢理持ち上げる。焦点の合わない視界で捉えた風鈴の周りに何か小さな生き物が集まっているように見え、僕は身体を起こす。

 羽虫か何かだろうかと目を擦って確認する。しかし、そこには何もいない。


「寝惚けてるのかなあ」


 立ち上がり、ぐぐっと身体を伸ばす。首や肩をぐるりと回せば、ポキポキと気泡が弾ける音がする。眠気覚ましに何か軽く食べようかと室内に戻ろうとしたときだった。


 ――からんころん


 ガラスが擦れるおと、風鈴のがさっきよりも大きく、僕の耳に響いてきた。

 驚いた僕は勢いよく振り返る。視界の端に風鈴からさっと離れていく小さな影を捉えた。追いかけるように目を動かすが影の正体となるものは見当たらない。


「なんなんだ?」


 野良猫でも隠れているのかと踏石に揃えた靴を履き、庭へ出る。周囲を確認する。植え込みの中まで覗いて見るが、猫一匹見当たらない。聞き間違えでも見間違いでもないと思うが、どういうことだろう。僕は頭を掻いて首を傾げる。

 庭に出ていると日差しに肌が蒸されるように暑く、室内に戻ろうとする。踏石で脱いだ靴を揃えてから、もう一度だけ風鈴を確認する。そこで、僕はようやく気付いた。


「蕾が開いてる?」


 風鈴の絵が変わっていた。紫色の小さな蕾が開いていたのだ。

 この風鈴は僕が生まれる前から、ばあちゃんが今の僕よりもずっと小さい頃から吊るされているもの。つまり、現代の技術を駆使した温度の変化や濡れることで絵が変わる風鈴というわけでもない。そういう風鈴があるのか僕は知らないけど。


 鳴らない風鈴が鳴った。

 風鈴の蕾が開いた。

 小さな影が何度か見えたが何もいない。

 

 僕の勘違いではない。何かが起きている。しかし、何が起きているのか説明できない。そんな状況に怖くなり、台所で昼ご飯を作っているばあちゃんのもとに逃げ込もうとしたときだった。

 目も開けられないほど強い風が吹く。両腕を顔の前に出して目をぎゅっと瞑る。その間、風鈴は不規則に涼やかな音を鳴らし続ける。


 からんころん。

 からんころん。

 りん、りん、りん。


 風鈴の音に溶け込むように小さな歌声が聞こえてきた。

 頭に響くような歌声は耳をくすぐるように僕の中に入っていき、血液になって身体を巡る。そして、胸の内側を撫でていく。そんな不思議な感覚に襲われた。


 ――ひさしぶりの春ね

 ――うれしいねうれしいね

 ――春がきてうれしいね


 花の甘い香りと若葉の爽やかな香りを乗せた風に囁き声が乗る。

 春の訪れを愛でる言葉に誘われるように僕は目を開けた。


「わあ」


 庭を飾る植物たちが一斉に蕾を開き、踊るように揺れている。右へ左へ、風吹く向きを気にせず楽しそうに揺れている。

 ふと、僕の目は不思議なものを捉えた。両腕を広げるように花びらをめいいっぱい開く花々の周りを淡い光が飛んでいるのだ。


 ――すずしいわ

 ――あたたかいわ

 ――きもちいわ

 ――すてきな春ね


 耳をくすぐるような囁き声は淡い光から聞こえる。そこから音が聞こえてくるわけではないのに、不思議とそう思った。

 からんころん。からんころん。風鈴の音に合わせて聞こえてくる囁き声の主たちは花々とたわむれる。


 ――そろそろいかなきゃ

 ――みんなに春をしらせなきゃ

 ――夏がくるまえにとどけなきゃ

 ――いそげいそげ


 一際強い風が吹き、僕は目を開けられなくなる。もう一度ぎゅっと瞑って少しすると、さっきまでの風が嘘のように辺りは静かになる。

 おそるおそると目を開ければ、そこに淡い光はいない。あるのは花開いた姿を見せびらかす植物の姿だけだった。


「……」


 僕はぴたりと止まった風鈴の短冊をつついてみる。舌は本体に当たるけど音は鳴らない。紫色の小さな蕾も閉じており、いつもの風鈴に戻っている。

 風鈴と庭の植物を見比べて、息を一つ吐く。


「来年も春が来るといいな」


 ばあちゃんの家の縁側には不思議な風鈴が吊るされている。

 紫色の小さな蕾が描かれた、春の訪れを知らせる風鈴。

 次はいつそのを聞かせてくれるのだろう。

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