第18話 これから、或いはこれからも
時々、胸の中にある五臓六腑が消えたような気がして、すうっと、私は一人なんだと勘違いする時がある。
名は体を表す——なんて言葉があるけれど、名前一つ一つに意味があるとして、私とあいつ——マズルカとエウレカで別々の名前があるのだから、その詳しい名前の意味をわかっていなくとも二つには何か関係があるのだろう。
聞き手と語り手。
演奏者と指揮者。
ペットと飼い主……それは過言かもしれない。
とにかく。
今が、そう考えたくなる瞬間だ。
「——……さっきまで、座ってた、よな」
掛け布団。
薄暗いけれど、見慣れているし使ったこともある部屋のベッドで眠っていたらしい——が、記憶が合っているならば。尋問室みたいな部屋でバリスタと知らない女性の二人から取り調べを受けていた気がする。
確かにあの後バリスタが出口の扉を開こうとして、記憶がブツリと消えている。何か思い当たる原因があるとすれば。
うーん。
思い当たる点が多すぎる。
私が魔法を使えるタイミングではなかったので、原因は私と私の身体以外にある、とすれば。
「裂傷型シガナントカ?」
「正解だよ。あれは幻覚剤で——」
当たり前のように、バリスタが椅子を寄せて座っていた。
居るなら一言くらい、声をかけてくれても良かったのに。
思わず背筋が大きく震えてしまう。
「おわっ……!」
拍子に。
掛け布団が、バサバサと大きな音を立てて震え出した。
自分の入っているベッドに。
知らない生物が。
居る。
「何、何か居るんだけど‼︎ 怖えよっ、何、マジでなんか居るのか? 害虫とか居たらやめろよ……?」
脳裏に浮かぶ、《死》の一文字。
助け舟を求めるようにバリスタの顔を見つめる。
「……」
冗談めいた表情には見えない。笑いもしなければ、怒りや悲しみ、試すといった顔もせず、彼女はベッドの中にいる生物を見つめている。
狐としての本能で、生物をじっと見つめているだけ。
そこに感情は無かったのだから、きっとそうだ。
「スッ……はっ、よし、開けるぞ——」
めくる時に思い出したのだが。
あらすじが、無い。
今まであったから別に気にしていなかったものの、いざ語ってくれる人がいないと思うと、強い違和感を持って当然だった。何ならそれがエウレカの声という事さえも分かっていた。
なぜ覚えていなかったか——簡単だ。
「ホッ」
フクロウ目、フクロウ科、ワシミミズク属。
種の名前は、ベンガルワシミミズク。
エウレカの背中にあった羽根。
……見つけてしまった。
全長50センチになってしまった彼女を、抱き上げる。
「——お前、なの?」
「ホホッ」
本当にエウレカなのか。
確かな証拠がなくとも、確かに私の心臓が、彼女の中で脈打っている。胃も腸も、羽毛の奥にある骨さえも、私から入れ替えられたものだと、触れただけで分かった。
そうじゃないと。
「死んでないんだよな、よしよし、良かったな……ああ……」
胸の中が空っぽなこの感覚が、唯一残されたこの心が、何だっていうんだ。
「キイッ」
彼女に触れている。
柔らかい。フワフワとして、すこし重い。
温かいし、でかいし、胸が縮んだりして、生きてる。
撫でる。
撫で……。
「——イチャついてる所悪いんだけどさぁ、マズルカと……君、エウレカだっけ? 私達は知ってる限りの情報が欲しいんだよねぇ」
「ホーッ」
当たり前だ。
私に仕事を与えたのも、逮捕せず生活の場を与えたのも、《魔法の開祖》という立場を使って何かをする為。詳しい経緯は今も語られていないが、この時をずっと待っていたのだ。
「……」
私とバリスタが、フクロウに視線を集める。
ことの重大性を分かっていない様子。
エウレカは首を傾げ、可愛く目を瞑った。
「一度、健康診断でもしようかねぇ」
「——そうだな」
……。
柔らかい布団の中で、金色の髪が乱れたまま広がっていた。
手を伸ばしてみる。
鳥の羽毛がマズルカの頬を触れている。
この毛は、私の手か。
「かわいい……抱っこ、すっからな」
軽々と。
我を抱き上げた。
我の方が人間だった筈なのに——マズルカが自分の正体を分かっていないからこそ、私がこんな姿に変わっているのだろうと邪推する。まぁ、別に外を歩きたい気持ちは無かったし。
飛んで楽ができるなら。
別に良いか。
「我をどこに運ぶのだ?」
「……」
あれ。
何やら笑っている。全く言葉が通じていないらしい。
「マズルカ? 冗談にしても無視は酷いぞ……それよりあれか。我を拷問か注射か、何かさせるつもりか?」
この身体でも魔法は使える筈。
杖を持てるかどうか。
それが唯一の問題点だが。
「——なぁバリスタ、彼女が何言ってるか分かるか?」
「え、いやー……分からないねぇ」
ええっ。
普通に話しているのだが。
マズルカからは別の言語で聞こえているのか?
まぁ、あり得る。
彼が自分を人と考えているのなら、逆に私がフクロウであると思われても仕方ない。フクロウの姿をした人間——フクロウの獣人なら人語が話せるだろうが、野生のフクロウが人の言葉を話すなんてファンタジー以外何者でもない。
夢の中なら話せるかもしれないが。
「うわっ、懐かし……」
「君も受けてたねぇ。身長、体重、運動機能、魔法適正……あとは、脳機能も見ておかないといけないねぇ。人が動物になるなんて話、聞いた事ないしねぇ」
硬い爪が体重計に乗せられ、二桁目、三桁目と数字が上がっていく。じっとその数字が止まる様子を見ようとするが、人間の膝よりも低い身体だったからか、すぐに検査が終わってしまう。
この身体になったとはいえ。
人間らしさが、こうもすぐに消えていたとは。
「ホーッ……」
「身長、体重、骨格から言語能力までフクロウだねぇ」
「——でも、エウレカは人じゃねえのか? 記憶の中では確かに人の姿をして、私を抱き抱えて……」
「うーん」
マズルカの隣で口に手を当てている女性。
誰だったか分からないが、真剣に我をみているようだ。
もう少し、ヒントがあれば。
彼女も我も、考える事は同じようだ。
「魔力検査をしてみようかねぇ。コーヒーを飲ませたら体調を壊すだろうから、魔法で作った生物を飛ばして反応を見る——とか、どうかな」
「聞かれても、詳しくねぇんだよな……」
「試してみようかねぇ。待ってて、反射蝶を持ってくるよ」
女性は部屋を後にし、一人と一匹になった。
首を傾げる一人。
「大変なのか?」
「とっても」
聞こえていないだろうから、首を傾げておいた。
さて。
例として、マズルカの使う《入れ替わり》の魔法を扱う。何度も使った今ならその異質さが目立つかもしれないが、元々は魔法を使ったA地点から、到着するB地点へと移動するもの——と思い込ませていた。一見すれば《思い込ませる》という言葉に強い悪意を感じるだろう。実際、マズルカから恨まれる覚悟を持って生きていたし、今も嫌われていないか不安になる。
でも。
そのお陰で魔法を再現する事は極めて困難。不幸中の幸い、というものだ。
「……実は休憩室のパン持ってきたんだ。食う?」
頷く。
「おっ——会話できたぞ!」
今もマズルカは優しさに満ちている。私が教えた魔法の凶悪さに気づいていないのだから、この笑顔をいつか壊してしまわないか——今は考えないようにする。
《入れ替わり》の魔法の凶悪さ。
A地点からB地点へ制限なしに移動する。
これは、過去から現在、または未来。
知らない誰か、知っている自分の死に際に入れ替わることができる。マズルカ本人が自覚せず魔法を使っていた為に、記憶が途切れる現象を起こしていたが——これはニストが《青い弾丸》を渡すことで、魔法を銃で撃たないと使用できないもの、という思い込みを強める事で制御できている。
「バター入ってんな……パンの部分やるよ」
我が用いるだけの技術を使って育て続けた——私の最高傑作で、…………。
「ホホッ」
「美味しいか、良かったな」
我はそれ以上を知らない。
ただ、マズルカが何も知らないまま生きれば良い。
「……」
「どうしたんだ?」
マズルカの心音が、消えていても。
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