第三楽章

第17話 目覚めと言われましても

 今回——いや、前回までのあらすじ。

 私が目覚めてから、シスターはずっと育ててくれた。それがたとえ嘘だったとしても、鮮やかなステンドグラスが祈る彼女を照らし続けていた。綺麗で繊細で、そこはかとない寂しさが彼女を包んでいたように思う。

「マズルカ」

 口を開く、金色の髪が色褪せた彼女。

 分かっている。

 エウレカの金髪や瞳、身体全て——本当は彼女のものだと。

 私は彼女の代わりに生きている。それが二重人格だとか精神に何か問題がある物ではなく、エウレカという人を生かす為に彼女の血液や、神経や、かけがえの無い何かとして生きている。

 事実は一つしか無いだろう。

 が。

 正論や真実が《正しい》とは思わない。

 親父として人に間違った知識を放送する神父から、神という心の拠り所を奪われるように。文明を壊す程の大雨を降らせた魔法の開祖が、何らかの理由で殺されるように。エウレカが私を抱えて最初に死んだように。

 私はまだ——何も知らない。

 足らない。

「何とでも、言うがよい」

 目が微かに揺れながらも真っ直ぐに捉えていた。

 シスターの服は、無い。

「言いてえ事は沢山あるけどさ——生きて安心した、って言ったら変になるな。お前の事、知らねえからさ……」

 彼女は魔法の開祖、エウレカだ。

 私の知るシスターではないと言うだろうし、目的が何であれ私を騙し続けたのは紛れもなく彼女だ。分かっている。

 私は彼女を知らなすぎる。


——《I am you.》

 あの書き残しが本当なら、私みたいに、自分よりも大切な人が幸せになってほしい気持ちが有るだろう。

「なぁ……エウレカ」

 手を伸ばす。

 その手は、赤、緑、黄——と、ステンドグラスの光を受けて色を変え、エウレカの前へと近づいた。

「——これは?」

「握手だよ。初めて話すなら、こうしねぇとな」

「…………」

 彼女の輪郭がぼやける。

 朝日が夕陽へ傾いて、表情を見ることはできなかった。

「マズルカは、わだしが嫌い……ではない、のか」

 ただ、声が震えていた。

 どうだろう。 

「話してみないと分かんねぇよ」

 手のひらの温もりを感じないって理由だけだったが、納得するには十分で——私は夢を見ているのだと悟った——だから、ただ彼女の顔を見て精一杯笑うだけで、何も答えなかった。

 教会での見慣れた朝日が、滲もうとしていた。

「ありがとう……」

 背中の重みがすっと抜けていく。和やかな朝の温かみに抱かれるような満足感が、胸の奥に広がっていた。

 陽が沈めば朝が来る。

 私はそう信じて、瞼を開いた。

 はい、あらすじ終わり。


 予想に反して。

 無慈悲にも鋭い光が差す。

「どこだ、ここ……?」

 思い出してきた、確かエウレカが暴れて捕まったんだ。

——ある意味、予想通りかも。

「ん……」

 動けない。

 寝ぼけて動きたくない——という訳ではないのに、視界がぼやけて

 急に魔法の開祖を名乗る本人が現れた。

 人を傷つけず、ただ雨を降らせた。

 それだけなのに。

 それが大問題だったのかも知れないが。

「……彼、起きたよ」

「よく寝はりますなぁ、こっちは休む暇もないんやけど」

 バリスタの声、と。

 知らない女性。

 うーん。

 デジャブだろうか。

 似たような体験をした覚えがある。

「第4条
《自身に関する全ての既知情報を乙に誠実に開示する義務を負う》に則り、裂傷型シガソフィオスDの投薬で処罰する——バリスタ。頼むで」

 第4条、投薬、処罰。

「はいはーい」

 バリスタの黒く長い毛並みが、頬を撫でている。

「今の立場、分かってきたかい?」

 そうか。

 やっぱりだ。

 ドラマで見かける取調室そっくりで、書記と質問者だろうと瞬時に察する。四方が暗いグレーの壁紙で囲われている分、前に受けた取調室よりも質の高い部屋だ。

 エコノミーからビジネスクラスに変わった程度だろうか。

「ここが普通の建物と勘違いしてるみたいだねぇ」

「……違うのか?」

 気の抜けた返答に、ついバリスタは笑っていた。

「ここ、本部だよ」

「……マジ?」

 まさかのファーストクラス。

 サービスだけでも最高級であってくれ。

「地上で暴れすぎたからねぇ」

 とは言っても、私はエウレカではない。この問題の罪を全て私になすりつけられたようでどうにも納得がいかない——が、バリスタは構うことなく、朝刊を見せる。

 魔法の開祖、エウレカがニストだったものを魔法の杖に変え、雨を降らせ、堂々と宣言する様子が刷られていた。

 知っていることを全て話さなければいけない。

 なら。


「私は何も知らねぇ」

 これで良い。

 仮にこの一連の話がミステリーだとしたら、エウレカが全てを知っている犯人で、私は彼女に踊らされた一般人兼証人になる。巧妙なトリックに加担させられているのか、ただ利用されているのかは分からない。

 そう言えばいいのに。

「元気に……してんだな」

 大きく広がったフクロウの羽根を指でなぞる。ざらざらとした紙面はと冷たくて、夢の中の温もりが抜け落ちても、こうして彼女の姿を見たのは初めてだった。

「今ものうのうと、私の中にみついてるんだろ?」

「——泣いてるのかい?」

 そうなのか?

 ただ。

 死人に口はない。

 喋らない、いや、喋れない。

 エウレカもシスターも守れず、ただ死んだと思っていただけ。

 それだけが。

 ほんの少し、嬉しかったんだ。

「知らねえよ——」

 早鐘を打つように心臓が鳴る。

 一つ打って、やまびこみたいに、もう一つ。

 身体は一つなのに心臓がふたつあるような、矛盾。

「邪魔だな……」

 顔が見えなくとも、女性と考えていることは同じだった。

「何があったんや?」

 私が知りたいくらいだ。

「無意識の部分だよ。良い兆候だねぇ」

 早く止まれよ。

 何で泣くんだよ。

 エウレカは今、生きてるだけじゃないか。

「——続行出来るんかな、れ」

「大丈夫だよ」

 後ろの鉄扉に視線を逸らしたくなった。

 隙間から、陽が伸びていたから。

 親近感もあった。

 安心感……も、感じている。

 不思議と懐かしいのに埃や錆のない綺麗さがある違和感で、まるで聖女のような優しさが——。

「——居るのか?」

 書記がペンを止めた。

 死んだ霊でも見ているかのように、扉の向こうを見る。

「分かるんか?」

 姿が見えなくても、見た事がなくても。

 ほんの少し。

 信じたくなった。


「エウレカ……だよな?」

 夕焼け色の瞳がピクリと揺れる。

 急に信憑性を帯びてくるなよ。

「……」

 私は腕を上下左右に動かし、少しの隙間でも出来ないかと奮闘してみる。看守が目の前にいるといのだから、彼女らには私の滑稽な姿が目に入るだろう。

「逃げるつもりかい?」

「第5条の違反やな」

——甲が契約期間中に正当な理由なく職務を放棄、または逃亡を試みた場合、乙の判断により即時処罰の対象となる。

 分かっていての行動だ。

「業務を誠実に、遂行しよーってだけだよ」

 扉の先に危険が潜んでいても、私は何も知らない。

 これに賭けるしかない。

「エウレカが私を信頼しようとしている……気がするんだけどさ、信じてくれっかな」

 嘘でも信じさせてくれ。

 愉快そうに笑うバリスタに、私は真剣な目を向けた。


「じゃあ次回に回そう」

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