第12話 注文入りました

 西陽も沈みかけたカフェテラスの植物は、いつも通り静かに揺れていた。金髪のうるさいバイトも、怪しさにメスを入れないキツネも、今は買い出しの時間。常連の少女も居なかったからか、ただ少し、静かすぎた。

「キッシュ、美味いな」

 しっとりとフォークが刺さる。キッシュに入ったポテトがほろりと崩れて、残った二口もグレイスがそっと口をつける。


 そんな穏やかな時間も、「チリリリ」と鳴る一報が壊した。

 口元をナプキンで拭いながら手に取ると、数日前と同じ本部からの声だと悟る。

「こちら道草亭、ご注文をどうぞ」

「こちら、モデラート。言わんでも分かるやろけど、本部隊の連絡班や」

 商談や在庫確認の電話とは明らかに違う。

 凍えた息を吸っているような。


「高速道路に逃走した男が一名、名前は——」

……グレイスは受話器をテーブルの上に置き、そのままキッシュを食べた時の皿とフォークを洗い始める。モデラートと名乗った彼女が「あの?」や「もしもし」と言ってみせても、蛇口の音が鳴り止む気配は無い。

(休憩時間まで後二分……)


 スポンジに付いたブロッコリーのくずを払い落とした辺りで、ようやく水が止まった。

「担当変わります。こちらグレイス。ご注文をどうぞ」

「噂通りの堅物やな……」

 犬科特有の湿った荒い唸り声が受話器越しに当たりそうな気がした。

「はぁ」と軽く吐く彼女の声を合図に、メモ帳を取り出す。


「注文は一名、名前は魔法の開祖を殺した『ソレノイド』や。ドリンクは必ず冷やして氷追加、トッピングにクランベリー追加で頼むわ」

「ご注文確認します」と記憶内のマニュアル表を思い浮かべながら返す。

「一名様で、ソレノイド様が『コールドドリンク』、氷が追加——」

 対象の名前と、生死の確認。必ずという注文は無いが、それ程心臓を冷やしたいらしい。氷は高売こうり——予算費用の規模。追加ということは出回る銃器や魔道具の数も多いと見える。


「トッピングはクランベリーの追加で、以上ですか」

「……せや。今後の歴史に響くと思うから、後は頼むで」

——ソースのトッピング。この案件の予想死者数とその規模を表したもの。

 クランベリーは赤い果肉を潰した酸味の強いソースだが……あえてぼかした表現になっているのは、通達者のメンタル保護の為と言われている。これでは帰って逆効果な気もするが。

「ブツッ」 潰れる音を最後に、普段の静けさが戻ってきた。


 店員と客。なんてことのない二人の間を繋ぐただの注文書。

 どのような思いで書き起こし、その商品を受け取るか。何の思いも無いかもしれない。ただ、新聞を見下ろして「これが平穏な日常を創れる物なのだろうか」と呟く。

 目を瞑って一つ頷いた後、電話帳に手を伸ばした。


「もしもし、こちらグレイス」



 前回までのあらすじ。

 魔法の開祖、エウレカを殺したらしい奴——ソレノイドが高速道路の上で逃走中と連絡が来た。私の中に棲む彼が何を考えているか、生きているかすら分からない。

 それもこれも、彼を殺したソレノイドに会わなければいけないだろう。

 小刻みに揺れる左耳に手を当てて、ライフルを構え直した。

 はい、あらすじ終わり。


「あぁ」なんて嗚咽に近い声を吐く。すぐ、焼けるような苦しさを吸い込むのに。

〈——マズルカ、大丈夫か〉

「ゴホッ……一応生きてっけど、現場は最悪だ」

 割れたコンクリートの隙間で浅い呼吸をする者、横で弾薬を取り出して前線へ向かう者。治療をする以前に医者が辿り着こうにも足場が悪すぎる。

 焼けた血痕と鉄クズがその惨状さを物語っていた。


〈新聞の力を使う前にソレノイドを殺せ、と本部からのオーダーが入った〉

「……アダージュの時と違って、殺さねえとダメなのか?」

 相手の言い淀む声が漏れる。


〈これは俺の仮説だが、歴史的影響の大きい人物、地域をフェイクニュースの力で改変しても『歴史的事件』として何らかの形で残る可能性が高い〉

「だからって殺す以外にも別の手段が、何かこう、もっと……」

 その為にこの仕事があり、新聞を使って常識から書き換える。

 なら、戦ってでも和解しに行く事が——

「出来んのか……?」


 返事はわかっていた。

 が、彼も無情なロボットでは無い。

〈……正直、証人としての価値が高いソレノイドを殺す意義が見えない。エウレカの情報が眉唾物だった状態からここまで信憑性を高めたのも、彼が居たからだ〉

「ダメ元で対話を試みるのもアリって事か?」


 囂々ごうごうと鳴り響いていた銃声が静まり返る。

 電池切れかと手を当て直して辺りを見回したが、彼は何も返さない。

「しょうがねえな、注文通りにぶっ殺してきますか」

 小さな靴音が六回。音声が入り直したかと思えば、少女が囁くように〈……頑張ってね〉と。後ろで「ああっ、おい」とくぐもった声が聞こえた。

 今朝抱っこしながら一緒に散歩したシュレディンガーだろう。


 彼女の声が途切れたところで、静まり返った高速道路を探った。

 奥に数歩進んだところで、通信機に別の帯域からのノイズが走った。

〈現在ソレノイドが……不詳の武装個体と交戦中! この先、重度の精神汚染が見込めます、周辺被害と一般人含む負傷者の治療へ!〉

〈制止不能、介入すれば戦闘激化の可能性あり……本部判断を仰ぎます!〉


 一拍置いて、別の声が続く。


〈当面は『停滞』や。交通整備と治療に切り替えるんやで、状況転換は待つんや。杖が持てる輩はそのまま前線の……確かに、情報の記録か。頼むで〉

 通信はそこで潰れた。

 

 人混みがここぞとばかりに都心部へ駆けていく。

 緊迫した空気に当てられるが、照準は白く動き回る男を捉えていた。

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