第8話 Adagio,To Coda
白い砂を歩きながら金色の髪をずっと見ていた。
背中はずっと遠く、瞳は夕焼け色。
確かに手を繋いでくれた、あの人。
誰も残さないなら、私が伝えなければ。
それを思い出したのは、銃声が止んだ後だった。
「アダージュ、探したぞ」
告解室の薄暗い壁の先で、マズルカの声がした。
「……またあなたですか」
「放送局の発信源がここなんだってな」
木と埃の混じった匂いが鼻を通る。お互いに顔が見えない状況で、マズルカは口を開いた。
「パン、食べるか? 余っちまってて」
「……急ですね」
扉を開けた瞬間、やさぐれたアダージュの顔が見えた。髪からツヤが消えている。
「……懐かしいですね。よく作ってくれました」
アダージュはそれを見つめて笑った。
「料理なんてしてたのか、あの——エウレカが」
「ええ。酷い出来でしたけど、誰よりも私のことを考えてくれてた」
マズルカは無言のまま教会の長椅子に背を預ける。
月明かりが、十字架に長く落ちていた。
「今さら話して、何になるんでしょう」
アダージュはパンを口にするでもなく、ぽつりと呟く。
「『あの人は聖人だった』なんて言えば、過去は変わるんですか」
「変わんねぇと思うけどさ……残しておく価値はあるだろ」
その言葉に、アダージュの眉がわずかに揺れた。けれど、乾いた笑い声が聞こえた。
「……あなたはエウレカ様じゃない。生きている」
言葉がぶつかる。
部屋の向こうで、白い光が入り込む。
「死んでる奴の事を忘れるのは難しいと思うけどさ……仕方ねえと思うよ」
「都合のいい『記録』にして、『死者の証言』にするんでしょう?」
アダージュの吐く言葉はもはや会話ではなく、告発に近い。
「——あなたの銃を壊します。申し訳ありませんが、容赦はしません」
その瞬間、ヒビの入った大槌が振り下ろされた。パンが小さく圧縮されている。せめてものお礼なのか、こうなる事を忠告しているのか。
(どちらにせよ、当たったら死って事か)
背中の羽根が膨らみ、一直線に大槌が唸りを上げて振るわれる。柱が粉砕され、破片が降り掛かる。
マズルカはそれを掠めるように避けながら、銃口ではなく銃身を構えた。
(——右を重心に足を屈める。次は、振り上げる)
読み通り、アダージュの身体が沈み、大槌が再び高く構えられる。
一瞬の隙。迷いも、憎しみも、そこにはなかった。
「悪いな」
ライフルの銃身が、彼の腹にめり込む。
呻きとともにアダージュの身体が浮き、その背後に、羽根がふわりと広がった。
逃れるように空を取ろうとする気配に、マズルカの指が動く。
——パンッ。
羽根に穴が空き、音を置いてきぼりにして弾けた。 空中でバランスを崩したアダージュが重力に引かれ、落下する。
大槌が落ちた。
「っ……!」
地面に叩きつけられる直前、マズルカの片手が彼の手を掴んでいた。怒号も叫びもない。
ただ、埃が舞っていた。
「終わりだ、アダージュ。もう……」
続きの言葉は言い出せなかった。
踏み外せば、マズルカ自身も同じ未来になるだろうと思ったから。
教会の扉が開き、踏み込んできた数人の影が彼を拘束する。ただ、落ちたパンのかけらが足元で踏まれていた。
それから数日の間、マズルカが自分の手で出来る精一杯の仕事をした。
客にランチセットを提供したり、サイフォンの使い方を学んだり、美味しいパンを作ったり……教会に残った告解室で時々昼寝をしたり。
カフェの休憩室で日記でも記そうかと罫線つきのノートを買ってみたが、三日程度で飽きてしまった。
〈はい、あらすじ終わり〉
「——あれ。こんな点付けてたっけか……?」
三日坊主で止まった日記に、鉛筆で書いたような黒い点が記されている。
上から点をつけたような形ではなく、意図して丸の点が書かれているような——
(……いや、まさかな)
頭の中でふと、一つの可能性が浮かぶ。
マズルカが眠っている間に、幽霊か——エウレカが書いているのかもしれない。
「グレイス、頼みてえ事が有るんだけど」
閉店後のカフェで寛ぐ彼に問いかける。
真っ黒なカラメルのプリンを口にする彼の眉間がぎゅっと寄った。
「物事を頼む側の口調には見えないな」
「英語のノートってどこに売ってね——ますか?」
グレイスはあからさまに嫌な顔をするマズルカに吹き出してしまいそうだったが、そこは気に留めなかった。
「……子どもに英語でも教えに行くのか?」
「うーん……」
〈隠し事は禁止〉の旨が書かれていた契約内容を思い出す。ただ、話してしまったらノートの反応が消えてしまうかもしれない。
しかし、沈黙も契約に反するだろう。
「交換日記、って感じかなぁ……」
「成程、ノートの余りが有る。悪用はしないように」
一冊の英語ノートを抱えて、マズルカは休憩室で考え込む。
何を思いついたのか、ただ一言
「Who are you?」と記して横になった。
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