第5話 ありふれた君へ
今は昔。神が力の一部を八つに分けた。
主が仕事を手放したことから、大罪とも呼べる。
「果実を喰らい、絆を解いて、地を求め、海が引いても、太陽が満ちても、疑を以て、神鳴りを聞き分け、真に魅入られるな」
主は眠りにつき、人々はその力を
「草/風/土/水/火/黒/雷/白」と名付け
「暴食/色欲/強欲/憂鬱/憤怒/怠惰/虚飾/傲慢」へと罪を分けた。
はい、めでたしめでたし。
商人の持つ本がパタンと音を立てる。
「おい……まだ冒頭だろ? 本借りるぞ」
マズルカは適当なページを開いてみると——白が一面に広がっていた。
「神、要らねえじゃん」
乾いた風が肩を撫で、教会へ吹く。
商人の彼は「しかも、実際の魔法史はこんな話では無い」 と添える。
「じゃあ何でこの話はあるのー?」
子どもたちは眠そうに目をこすっていた。
「魔法の開祖ではない『誰か』が、歴史を造ろうとしてる……のか?」
商人の顔を見る。彼はにこやかに笑うだけで何も語らず、子どもたちを見つめるばかり。
「これはほんの投資だ。誰も殺さず、平和な日々が続く。俺はお前さんと何も変わらない——」
何も間違わないのに、吹き始める夜風が痛い気がしてならない。
「——そういえばお前さん、指名手配書に載っていなかったか?」
「……」
商人は手配書を手放し、細く閉じかけた目が追い続ける。
「自覚があるなら俺は何もする気は無い。代わりに俺から何か言うとしたら——」
彼はライターをカチリと開き、タバコに火をつけた。
揺れる煙が立ち上り、空へ消えていく。
「大きな変化が起きても、結局は一つの結果に帰る。事実は変えられないって事だぜ、お客さん」
「お前、何が目的で……」
マズルカが振り返る頃には、音も立てずに消えていた。
帰り道の途中で、ラッピングのない切花を買った。朝は花屋が開いてなかったので、夕陽が沈まないうちに教会へ向かう。
〈——の遠い場所から、こんにちわ〉
誰も居ない教会で、ラジオの音が小さく響く。
コメンテーターと対話していた、牧師の声だ。
男性ながら柔らかさを持つ声質で、マズルカの育て親——シスターの声に、どこか重なる響きがあった。
〈今回は『実際に魔法の開祖に会った』という、奇妙な昔話でもしましょうか〉
マズルカはふと手を止め、ラジオの音量を上げる。
(……また、ありふれた嘘だろ?)
そう思って聞く耳を持たない振りをしつつも、口調が妙に具体的で、気にせずにはいられなかった。
〈その人は——いつか『エウレカ』という名の私は死ぬだろうと仰っていました。私が名前を呼んでも、『似合わない気がする』と言って納得しない様子で〉
喉奥で、ごくりと唾が落ちる音がした。
予想よりもとても早く、あっさりと名前が聞けた。でも、何故か腑に落ちない。
(仮にエウレカって奴が私の中に居ても、私には関係無ぇハズだ)
〈彼は自分が魔法の開祖であることを否定する代わりに、物語を遺しました〉
マズルカの背中に、微かな悪寒が走る。
丁度さっき子どもたちと一緒に読んだ本が有名か知らないが、どこか納得してしまう自分がいた。
〈開祖の死が、私達に何かのメッセージを与えているのではないかと思うのです〉
夕焼けがステンドグラスを紅く染め、教会の空間がほんのりと灯る。
マズルカはラジオの電源を切り、花を捧げる。
そして、静かに目を閉じた。
(何も知らない私は、何をすればいい?)
——音が止まったはずのラジオが、再び囁いた。
〈私は、社会が隠そうとしている真実を伝えようと思います〉
「……今、切ったはずだろ」
マズルカはラジオに目を向けるが、ダイヤルは確かに切れている。
だが、声は——
〈絶対に。〉 ——近くにいる。
シスターが使っていた告解室の扉から聞こえる。
マズルカが銃口を向けると、夕焼けの髪と同じ色の目が合う。
「誰なんだよ、お前」
彼は祈る手を解き、パッと白く発光する
「……この番組は
白い槌が空を裂き、力強く振り下ろされる。
マズルカは照準を合わせられていた、のだが。
(撃って、近づいて、殴る——その次は?)
トリガーが硬い気がした。
あの言葉が頭の奥底で鈍く響く。
〈大きな変化が起きても、結局は一つの結果に帰る〉
(何も、出来ないのか)
そう思った瞬間、足元の影が膨張したように傾く。視界が傾き、重力が凍ったように身体が動かない。
白い衝撃が胸を貫き、時間が止まる。
「防御魔法も無し、ですか……聖職者なのに殺してしまいました」
床の冷たさが、遠い。
心臓の鼓動が遠くて、自分の物じゃない気がした。
〈事実は変えられないってことだぜ、お客さん〉
(……事実は?)
シスターのくれたウィンチェスターライフル。
アダージュが呼んだ、似合わない名前。
誰かが語った、ありふれた嘘。
全て事実だとしても、信じたい真実があるハズだ。
「仕方ありません。もう一振りしましょう」
アダージュは頬についた返り血を拭う。
夜が彼らを覆う前に、
夕焼けが粒になって飛び上がる。
「それなら私は、嘘でも信じてみっかな……」
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