エピローグ
箴言と希望
――わたしが新聞記者となって、三ヶ月目のことだ、突然デスクに呼ばれたかと思うと、「戦後五十周年」の記事を書けと命じられた。
確か戦後五十年を振り返るという企画で、社をあげて、国立博物館の特別展を行うはずで、そのような重大な記事をなぜわたしのようなペーペーに書かせるのかと、最初は疑問に思った。
ただ、疑問はすぐに氷解した。当時、与野党にまたがる一大疑獄が起こり、政治部と社会部は総動員、なおかつ、文化部と生活部からも人員を割くほどの態勢だったので、わたしにそのお鉢が回ってきただけのことだ。
とはいえ、新人だったわたしにつてなどなく、途方に暮れていたら、多忙の合間を縫って、先輩がある人物の住所を教えてくれた。まずはここから調べてみろとのことらしい。
他に当てもないので、わたしはその日のうちに下りの汽車に乗り、一路葦牙に向かうことにした。
その途上、「万人淵」で巨像が車窓の向こう側に現れた。護国の英雄「保原陽輝」の像である。彼の逸話を聞いたとき、最初、国も守れずにただ犬死にしただけと反発したものだ。
ただ、他の人に言わせれば、最後まで民を守るために戦い抜いたその姿勢が人々の感銘を呼ぶのだそうだ。
結果がすべてと思っていたわたしにとって、納得のいく答えではなかった。
しかし、いざというとき、自らの身を盾にして、弱者を守ることができようか。そう自問したとき、即座にできないとの自答が返ってきたことから、やはり保原陽輝は英雄に値する人物なのだと思い直した。
秘術を用いて保原をこの世界ではないどこかから呼んだという人物が、今や地方の中小都市に成り下がった葦牙の郊外に住んでいるという。名は明かせられない。歴史に名を残したくはないと、彼女自身が強く望んだことだからだ。
なので、以降は彼女の雅号である
穂積は荒れ地を開拓しては、作物が実るようになると、それを貧民に譲り、本人は別のところをまた開墾すると言ったように転々としていた。
わたしが訪ねたときも彼女は別の場所に移り住んでしまった後だった。幸いだったのが、そこに住んでいた家族が穂積の居場所を知っていたため、案内してもらって事なきを得た。
わたしが身分を明かし、名乗ると、穂積はたちまち顔をほころばせ、歓迎してくれたのである。
「まあまあ、『あの方』のお孫さんね。ようこそいらっしゃいました。何もないところですが、どうぞ中へ」
何のことかわからずに、わたしは戸惑ったが、彼女の話を聞いていくうちに意外なところで接点があることがわかった。
わたしの祖父はかつて穂積とともに敵国である羅喉国に和睦の使者として赴いたのだ。穂積が正使であり、祖父は副使だった。護衛に妙齢の女性がいたと言うが、こちらのほうはついに手がかりすらつかめなかった。
羅喉国の王、无妄王は使者を見るなり、斬ろうとしたほど、憤激していたが、穂積がある桶を差し出し、その蓋を取ると、たちまち王の怒りは霧散したという。
桶の中にあったのは塩漬けされた生首だった。无妄王は桶の前で崩れ落ちるように膝をつくと、震える手で生首を取り出し、愛し子を抱くかのようにその胸にかき抱いた。
「馬鹿者が……本当に首一つで来るとは……」
无妄王は悄然を通り越して、生気すら失っていたが、無条件の和睦を受け入れた。
无妄王に和睦を受け入れさせた首は誰のものだったのかと、ぶしつけな質問を穂積にぶつけてみたところ、彼女は悲しげに首を振り、そのことについてはついに口を開くことはなかった。
その後、平和条約が結ばれると、両国に国交ができるようになったが、无妄王は数年後、病を得て、亡くなってしまった。
多くの民を失った无妄王にとって、今の世界は生きづらかったのかもしれない。
晩年に无妄王は和睦の立役者となった生首を熾燈連山の火口へと投げ入れたという。
「无妄王陛下は約束を守ってくださったのです」
穂積の言葉はわたしに向けられたものではなく、どこか遠くにいる誰かに思いを馳せているようだった。詳しいことを聞いてみたかったが、とてもそれができるような空気ではなく、わたしはつい聞きそびれた。
无妄王の死後、羅喉国は内戦状態に陥った。何でもかの国では最も強きものが王になるという風習があり、種族単位、部族単位で次の王位を巡って、争ったのである。
そして、晦人は誰もいなくなった。音信が途絶えたことを不審がった当時の政府が探索隊を出したところ、大陸の端から端まで誰一人いなくなっていたのを確認したのだ。
絶滅したというには争った形跡もなく、死体はおろか、骨肉の一片すら見つからなかったという。彼らがどこに行ったのか。その謎は今もわたしたちを悩ましている。
そこでわたしは一旦彼女のもとを辞したが、その後も足繁く通うことになる。その都度、確信について聞いてみるのだが、いつもはぐらかされ、結局は重要なことは聞けずじまいだった。
ただ一つ、わたしは興味深い話を聞くことができた。穂積が用いたという秘術についてだ。わたしはなぜ、その秘術を使い、優れているとされる上方世界から人を連れてこないのかと尋ねた。そうすれば、戦後の復興は早かったのではないかと。
穂積はやはり悲しげな顔を浮かべ、逆にわたしに質問してきた。
「もし、あなたが誘拐されて、その場所で誘拐犯のために働けと言われたらどうしますか?」
「それはとてもいやですね。あ……」
「そう、そういうことなのです。わたしたちの幸福のために上の世界の人を犠牲にするのはやはり間違っていると思うのです。わたしたちはわたしたちの足で歩かねばなりません」
独立独行、これが彼女の終生の戒めとなったようだ。穂積は秘術を後世に伝える気はないと言った。
伝承を守ってきた招請大社も今はない。戦火から遠かったにもかかわらず、なぜか焼け落ちたのである。そのことに関し、いくつかの風聞が存在する。戦後、月岡衆なる集団が犯行声明を出した。
「我ら、主の命により、京と大社を焼きし者なり。生き残りし者よ、己が魂に銘記せよ。他者に命運を委ねること、これすなわち生殺の権を明け渡すものなり。ゆめゆめ忘れるなかれ。我らは常に貴君らの傍にいる。貴君らが教訓を忘れし時、我らは再び煉獄をこの世にもたらすであろう」
歴史学者の大半はこの声明を無視している。愉快犯の狂言としかとられなかったのだ。現に月岡衆はこの後歴史から完全に姿を消してしまった。
一方で、重要視する学者もいるのだが、彼らは彼らで声明文の解釈を巡って、日々益のない論争に明け暮れているという。
特に「主」が誰なのかが論争の的になっている。戦前の暗君だった地統皇晃仁だったとか、あるいは英雄保原陽輝に要職を追われたかつての軍主流派だとか、最も滑稽なものとなると戦前の豪商が黒幕だというらしいのだ。
この豪商の名前は全く伝わっていない。都の大火で資料が逸失してしまったのもあるが、どこか人為的に彼の事績や痕跡をなくそうとの意図が働いたと言えば、大げさだろうか。
そもそもの問題として、利益を追求するはずの商人が都と大社を焼いてどんな得があるのかという質問に答えられるものはいないだろう。その商人は狂人だったというのなら、その証拠を示さねばならないし、まずはその商人を特定することから始めねばなるまい。
さて、話を戻そう。わたしと穂積の交友は数年に及んだ。その間にわたしの祖父が死んだ。
常飲していた睡眠薬を飲み過ぎたとのことだったが、おそらくは自殺だったのだろう。
祖父はわたしが新聞記者になることを反対していたが、死ぬ間際、一冊の手記を手渡してくれた。戦後まもなくから臨時政権の首班についた頃まで日々の出来事と感想が綴られていた。
概ね穂積が語ったのと同じような内容だったが、祖父は穂積こそが新しい世を率いるべきだと考えていたらしい。それだけが心残りだったとも。
ただ、その手記は今手元にはない。手記の存在を知った政府が国家機密として、百年間の封印を決定したからである。今は国立図書館の最奥で公開される日を待っている。
祖父の死後、さらに数年経って、今度は穂積が死病に冒された。畑の中で倒れているところを近くの住人が発見し、穂積の家に連れ帰ったのだという。わたしは彼女の最期を看取るべく、おそらくは最後になるであろう葦牙行きの汽車に飛び乗った。
わたしが到着したとき、すでに意識は混濁していたらしいが、そこに一人の女が現れた。派手という文字を人の形にしたような女性で、わたしと入れ違いに穂積の家から出てきたのだ。
女はわたしを一瞥したが、それ以上興味はないとばかりに立ち去っていった。蛇に睨まれた蛙の気分を存分に味わいながら、穂積の家に入ると、彼女は半身を起こして、今まで見たことないような朗らかな笑顔を浮かべていた。あの女は誰かとわたしが尋ねると、穂積はますます嬉しそうにこう語った。
「お友達です。いえ、同士と言うべきかしら? 同じ男の人を愛し、逃げられちゃったもの同士ってところかしらね」
穂積はくすくすと少女のような笑い声を上げたが、その直後に激しく咳き込んだ。咳には血が混じり、とっさに口を抑えた彼女の掌を赤く汚した。もはや彼女の命が尽きようとしているのは誰の目にも明白だった。
女が来たその夜、ついに穂積は多くの人に看取られながら、天に召された。死の直前、彼女の口が動いているのを見たわたしは周囲のものを黙らせ、彼女の口に耳を寄せた。
「あなたに言われた責任……わたしは果たすことができたでしょうか?」
その言葉の意味を知ることはわたしにはできないだろうが、それでいいと思う。おそらくそれは彼女と共に生きたものたちだけが共有できるものなのだから。
身寄りのなかった穂積の葬式の喪主はなんとわたしがやることになった。荷が重いと思ったが、どうにかやり遂げた。忙しさの合間、仮眠をとっていると、穂積が夢に現れた。
わたしが知っている彼女よりかなり若い穂積は誰かと一緒だった。寄り添う穂積の顔はなんとも言えない幸福感に満ちていた。
おそらく穂積は向こうで彼女の言う「あなた」に会えたのだろう。勝手な解釈かもしれないが、わたしはそう思うことにした。
風の噂で、あの日、穂積を訪れた女が死んだ聞いた。遺書には「やるべきことはすべてやった」と書かれていたという。彼女もまた同じ場所に行けたのだろうか。行けたらいいとは思うが、そうなったら、逃げられた男を巡って、けんかになるかもしれない。もしかしたら、穂積はそれを望んでいるのかもしれない。
すべてが終わったとき、わたしは一つの時代の終わりを感じた。
これから戦争の惨禍を知るものがいなくなり、その知識をどう受け継いでいくか、試されているような気にもなった。
穂積と彼女の死の直前に現れた女、そして、わたしの祖父と何かが一本の線、いや、一人の人間につながっているような気がしてならないのだ。そのものが常にわたしたちの傍にいて、見ているのではないかとの錯覚にも陥りそうだ。
わたしたちはもう上方世界の誰かに頼ることはできない。自分の足で立って、歩かねばならないのだ。それを忘れたとき、災禍は再び訪れるだろう。
そんな日が永遠に来ないよう、わたしたちは日々自らを戒めて、生きていくしかないのだ。
新暦九十六年開封、乙級機密文書、「文殊四郎實篤の手記」より抜粋。
(了)
爆ぜよ、悪の火花。祓え、希望の一矢 秋嶋二六 @FURO26
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