第4話 ダイバーと怪物

 金髪のポニーテールに青い瞳。ワイシャツの上からジャケットを羽織り、ミニスカートとニーソックスという装いは一見すれば学園風の少女に見えなくもない。だが、その右目がスコープを覗き込みながら山頂に佇む姿は、明確に戦場の空気を纏っていた。少女はコード・ダイバー。

 彼女は島の南端に位置する山の山頂にて、狙撃銃を肩に担ぎながら周囲を観察していた。スコープ越しに視線を流しつつ、冷静に情報を整理する。

「南側の山の背後はすぐ海。山麓には荒野が広がってる。荒野の左奥が森林地帯、右奥は市街地。そのさらに右手には再び海。市街地と荒野の背後には、島を貫く山系が伸びてる……つまりこの山は、南・西・北の三方向を押さえる戦略拠点ってわけね」

 ダイバーの声に感情はない。正確な状況報告を独りごちるように、口元だけが動いていた。

「確認済みの敵性勢力――市街地の走行戦車。森林地帯にサブマシンガン使いの女と、戦闘コンバットスーツの女。荒野のほうには……アレは、何かしら」

 最後のひとつに視線を留め、ダイバーの眉がわずかに動いた。スコープの先に映る不可解な動体に、分析対象としての興味が滲む。

 彼女もまた、他のテスターと同様に覚醒直後からオペレーターと接触し、自身の兵装を受領していた。その兵装は二種――一つは高性能狙撃銃。そしてもう一つは八十基のドローン群で構成される戦術支援兵器である。

 この兵装の総称は「ドローン連動式狙撃銃」。周辺に展開されたドローン群は、常時連携しながら広域の索敵、環境情報の収集、敵影の警戒を実行している。それらから得られた情報は、狙撃銃本体に内蔵されたOSに集約され、即座に演算・統合処理がなされる。そして最終的に、ダイバーの電脳へと同期送信される仕組みだった。

 この山頂に陣取る少女は、単なる観測者ではない。地形と動向を制する、静かな狩人だった。


 風が鳴っていた。乾いた空気が山肌を滑り、ダイバーの頬を掠める。彼女はスコープを覗いたまま、小さく口を開いた。

「デルタ、こちらダイバー。荒野の対象について確認を取りたい。方角は北北西、距離およそ一三〇〇。単独行動の人物を視認」

 瞬時に通信が返る。デルタの声は落ち着いていた。機械的でありながら、どこか人間臭さもある中庸な響きだった。

「確認した。映像データ、リンク受信完了。……装備は視認困難。少なくとも兵装からはどこの部門のテスターかは判断が不可能だな」

「外部勢力の混入、という可能性もある?」

「理論上はゼロではない。しかしこの無人島において、無許可での侵入は技術的に困難なはずだ。むしろ、想定外の部門により新規投入されたテスターと見るのが妥当」

 ダイバーは頷いた。スコープの先では、その人物が何かを拾い上げるような動作をしていた。判断不能。武装の有無すら読み取れない。

「対象の挙動に異常あり。動線が読めない。地形を熟知しているか、こちらの観測を前提にした行動を取っている可能性がある。――どう見る、デルタ?」

「ダイバー、現段階での戦術判断を求める。対象は本作戦における脅威因子と断定してよいか?」

「肯定する。正体不明、意図不明、行動に一貫性なし。テスターとしての初期目標、ならびに他拠点への干渉可能性を考慮し、早期排除が望ましい」

 通信の向こうで一拍の沈黙。やがてデルタが冷静に応じる。

「了解した。コード・ダイバーに狙撃による排除権限を付与。目標コードは仮称コード・ノーとする。以後、戦術排除プロトコルを開始せよ」

「排除プロトコル、了解。狙撃ポイント、固定。気流、安定。距離、補正済み。生体反応、照合完了」

 彼女はトリガーに指をかけた。風向き、湿度、照度などの情報がドローンから伝わってくる。それら全ての変数を頭の中で処理し、視界の中の謎の人物――コード・ノーを狙い撃つ。

「排除を実行する」

 指が、わずかに沈んだ。


 引き金を絞った瞬間、空気が一点に収束したように感じられた。次の瞬間、山頂の静寂を切り裂く重低音――狙撃銃が咆哮し、超音速の銃弾が一直線に荒野を貫いた。

 狙いは外れていない。スコープ越しに、標的の右目と胸郭中心部――心臓部位が同時に穿たれるのをダイバーは確認した。ヘッドショット、エイム。ハートショット、エイム。即死。それ以外の解釈はあり得なかった。

 だが。


「……立った、だと……?」


 死体であるはずの人物が、ゆらりと起き上がった。頭部の半壊した骨格が、ひと息に脈動して再結合する。破れた胸元の肉が泡立つように膨張し、血管が走り、皮膚が覆う。まるで時間を巻き戻したかのような、非科学的とも言える再生だった。

「ダイバー、状況を報告せよ」

「排除、失敗。対象は……再生した。頭部と心臓、両方を撃ち抜いたにも関わらず」

 ダイバーの声は、僅かに震えていた。理解不能。論理外。予測を遥かに超えた現象に、脳が拒絶反応を起こしそうになる。

 それでもダイバーは、職能に従って再び銃を構えた。呼吸を整え、再装填のアラートを解除。再び狙いを定め、撃つ。頭部を狙い、今度は顎から頭頂にかけてを貫通。確かに命中した。

 ……だが、再び起き上がった。

「っ……もう一度」

 撃つ。再生。撃つ。再生。まるで不死性の演算が繰り返されるかのように、標的は毎回同じ挙動で蘇る。銃弾による損傷は確かに起きている。だがそれは即座に打ち消され、元に戻る。いや、元以上だ。再生のたびに、対象の動作は滑らかに、精緻に、そして速くなっていく。

「対象の特性を推測。これは薬物による能力だと予測される。再生、強化、排除不能。……これは恐らく、薬物適合試験体。身体強化薬開発部門のテスターか」

「……コード・ギフト」

 聞きたくない名だった。だがこの名前に込められた皮肉と狂気を、ダイバーは直感した。それは“才能”ではない。“呪い”だ。肉体を捧げ、薬に身を売り、死すら踏み越える人体――《ギフト》とは、選ばれし者などではなく、選ばれてしまった者のコードだ。

 ダイバーは硬直していた。再生する対象にスコープを向けながら、身体が言うことを利かない。指先が汗ばみ、頬に冷たい感覚が落ちる。これは恐怖だ、と彼女は自覚した。対象を狙うことはできても、理解することはできない。命を削りながら再生するあの姿に、思考が凍る。

「デルタ……どうする……?」

「冷静になれ、ダイバー。感情を数値にするな。対象に恐怖を覚えることは錯誤の始まりだ。戦術の再構築を行う。こちらで動きを分析、今後の最適解を算出する」

 言葉は届いていない。ダイバーの心は、既に計算と反射の間で揺らぎ始めていた。――《死なない敵》に、どう対峙すべきなのか。


 ダイバーは、スコープ越しの標的の挙動に異変を察知した。

 ギフトの瞳が、はっきりとこちらを捉えていた。狙撃地点までの距離はおよそ一三〇〇メートル。一般的な人間が視認できる限界距離を遥かに超えている。

 だが、ギフトの動作に迷いはなかった。荒野の砂を踏みしめ、一歩、また一歩と山へ向かって歩みを進めてくる。その直線的な軌道は、まるで自分の立ち位置を正確に把握している者の動きだった。

 鼓動が速まる。理解不能。論理の限界を超えた“敵性”が、確実に自分に向けて歩いてくる。冷静であれと、デルタの声が脳内に響くが、皮膚感覚が警鐘を鳴らし続けている。

「ダイバー、状況を報告せよ」

「こちら、狙撃位置が特定された。対象は直線で接近中。迷いは無い。私を見ている……っ」

「可能性として、視覚の強化、あるいは熱源追尾系の薬物適合が考えられる。だが、ここまで精度の高い探知が可能とは……」

「想定を超えてる。デルタ、これは“戦闘”じゃない。“狩り”だ。私が狩られる側になってる」

 眼下の人影は、既に射程内に入っている。しかし、もう撃つ意味はなかった。何発撃っても、何度死なせても、ギフトは歩みを止めなかった。再生する。強くなる。確実にこちらへ近づいてくる。

 ダイバーは銃から目を離した。冷静さを取り戻そうとするが、理性より先に本能が動いていた。

「デルタ、判断を仰ぐ。――撤退を希望する」

「確認する。戦術的撤退、推奨。周辺ドローンを再展開して離脱経路を算出、最適ルートを速やかに移動せよ」

「了解……」

 銃を畳み、身体を低くしながらその場を離れる。背を向けたくはなかったが、逃げなければ――“殺される”という確信があった。兵士としての判断ではない。生物としての本能だ。

 彼女の背後で、再びギフトの身体が蠢いた。

 何かを喰らい、何かに変じていく。殺意の形をした人間が、確実に、山を登ってくる。

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