制服デート

 その日は仕事が早く片付いたので、夜はゆったりと過ごすことにした。インスタに投稿する動画の編集が済んだナナセは、ソファにつくと嬉々としてポテトチップスの袋を開ける。そこへ皿洗いを終えたノゾミが、冷えたビールの缶を両手に持ってやってきた。

「またポテチなんか食って。体重増えても知らないぞ」

「だいじょぶだって~。せっかくの週末、楽しまなきゃソンじゃん!」

 ふたり並んでソファに身体を沈める。ふかふかの感触に包まれて、自然とため息が漏れた。

 ビールを開けて乾杯をして。ポテチをつまんでひとしきり駄弁っていた。溜まったドラマでも流そうかと、ナナセがリモコンに手を伸ばす。テレビをつけると、チャンネルは朝観ていた公共放送だった。二十一時のニュースが流れている。トピックは「制服の自由化」の是非についてだった。

「あっ、ノゾミ。制服だってさ」

 ナナセはリモコンを置いて、隣のノゾミへと語りかける。

「今の子たちが羨ましいねぇ。好きな制服を選べるなんて」

「そんな単純な話でもないだろ」

 ノゾミは真顔でテレビの画面を見つめている。

「いくら選べたって、周りの理解がなくっちゃどうしようもない」

「そんなこと言っちゃって〜。ノゾミだってもし選べたなら、スラックス履いてたでしょ」

「まあ、そうだけど」

「ボクもスカート履きたかったなぁ。だってゼッタイ似合ったはずだもん」

「そもそも、僕たちはブレザーじゃなかっただろ」

「そうそう。ノゾミんとこはセーラー服だったよね」

「ナナセはそういや、学ランだったか」

 ふたりはしばし天井を見上げて、いまは遠い学生時代に思いを馳せる。それは高校生の頃、互いの制服を交換して出かけた時のことだった。


 出生時、ふたりには性別がなかった。

 診断名は「無性別症」。外性器が存在しなかった新生児たちは、戸籍上でも「無性別」という性別として登録された。

 その事実を受け入れられなかった二組の家族たちは、ノゾミを「女の子」として、ナナセを「男の子」として育てることを決める。男児を、女児を、待望していたからだった。

 小学生から中学生、高校生になるにつれ、小さなふたりは、自らの内で膨れ上がる違和感を無視できなくなっていく。溌剌さは失われ、表情にも影が差していく。自分を押し殺しながら、学生生活は続く。

 その象徴が「学ラン」と「セーラー服」だった。


 更衣室から出てきたその生徒は、学ランをまとった肩を窮屈そうに縮こまらせた。ため息をついてポケットの中身を探る。その感触に少しだけ安堵する。

 そこに男子学生たちがやってきて、背中を思い切り叩いてくる。

「りょーちん、放課後ひまだろ?」

「カラオケいこーぜ」

「う、うん。いいよ」

 七瀬涼は男友達に連れられて、廊下の奥へと姿を消す。そんな涼を横目に、セーラー服の優等生は日誌を提出しに職員室へと向かった。

 教師のにこやかな態度に、日々野望は愛想笑いで応じた。

「日々野さんは良い生徒ね。真面目で規則も破らないし」

「ありがとうございます」

 踵を返して廊下に出る。その日は風が冷たくて、スカートの中が寒い。他の同級生のようにジャージのズボンを履きたかったが、校則違反になるので出来なかった。


 ふたりの幼馴染の人生は、そのまま交わることなく続くはずだった。

 望が七瀬の落とし物を拾った、その朝までは。


 幼馴染同士だったので、ふたりの家はすぐ近くにあった。曇り空の通学路、学ランの七瀬の背中をぼんやりと見つめながら、望もまた学校への道を行く。一定の距離を保ちながら、疎遠の相手と気まずい思いをしないように。

 その時、七瀬のポケットから何かが滑り落ちた。落とし物だ。しかし、あえて渡しに行く義理もない。望はそのまま歩みを進め、地面に落ちたモノをちらりと横目で見やった。

 レースのハンカチ。淡いピンク色の上品な、金糸で刺繍の施された。

 望ははっとして、ハンカチをすぐさま拾い上げる。前方へと駆け出して、学ランの肩をつかむ。

「七瀬さんっ!」

「うわっ!? 日々野さん、どうしたのいきなり……、あ」

 望の手にあるものを視認して、七瀬は顔色を青くした。秘密を知られてしまった。どう言い逃れしようか、いやすでに察されてしまったかもしれない。ボクのひそかな願望、その正体について。

「か、返して、それ」

「返すよ。そのために走ったんだし」

 かろうじて絞り出した言葉を、望は決して笑うことはなく。

 はい、とハンカチを手渡す。良かった、汚れたり破れたりもしていない……柔らかな手触りに安堵して、七瀬はそこで初めて、望がまっすぐにこちらを見据えていることに気づいた。

「えと、まだ何か」

「七瀬さん」

 望の瞳には一瞬のためらいが浮かんだが、それもすぐに消え去った。凛とした声が風に乗って、七瀬の鼓膜を揺らした。

「私も……いや、「僕」も一緒だよ」

「え」

 そのとき、雲の切れ間から朝陽が差して、ふたりをひととき照らし出した。しばし見つめ合っていたふたりは、その日初めて、並んで通学路を歩いて行った。


 それからというもの、望と七瀬はしょっちゅう行動を共にするようになった。同じクラスでも接点のなかったふたりが、放課後や休み時間、教室の片隅で仲良さげに話している。昼休みは屋上や校舎裏に赴いては、ふたり並んで弁当箱をつついた。

 当然、周囲は「ふたりは付き合っている」と思い込んだ。決して、「ふたりは秘密を共有している」と感づくこともなく。時たまはやし立てられたりしながらも、望と七瀬の交流はあくまで穏やかに続いていった。

 家が近いふたりが互いの部屋に出入りするようになるのも、そう遠い話ではなかった。

「まさか、日々野さんも《無性別》だったなんて。ボク思いもよらなかったよ」

「僕も全然気づかなかった。あの日七瀬のハンカチを拾うまではね」

「でも、言われてみれば納得だなぁ。日々野さん、格好いいものね」

 七瀬は見ていた。望がさりげなく友人の荷運びを手伝ったり、クラスで何かあったときは学級委員として毅然とした対応をとったりしていたことを。それに、教師から褒められたり良い成績をとった時に、変に浮かれたりしないで平然としているところも。それでいて、いつもぴんと背筋が伸びているところだって。

「七瀬だって、けっこう可愛いところあるじゃん」

 望は知っていた。七瀬はかなりの丸文字を書くし、教科書の隅には可愛らしいキャラクターが落書してあることを。それに、たまにお弁当を手作りしてくる時は、ウサギ型に切ったリンゴやゴマの目のついたたこさんウィンナーなど、細々したものがいつも入っていることも。それでいて、妙に涙もろくて、感動するショート動画なんかを見るとすぐに目を赤くするところなんかも。動物が好きで、子犬や子猫の写真を隠しフォルダにたくさん保存しているところだって。

 ふたりは顔を見合わせて、それから花が咲くように笑った。


 制服を交換しようと提案したのは、七瀬からだった。学校からの帰り道、おずおずと切り出した七瀬に、望はあっさりと「いいよ、やろう」と返した。

「え。……いいの?」

「一回着てみたかったんだよね、学ラン」

 制服のままふたりで七瀬の部屋に集まって、互いのセーラー服と学ランを脱いでハンガーにかけた。制服に芳香剤をかけたり、学生カバンの中身を入れ替えたりと準備を終えて、いよいよふたりは制服に袖を通す。

 体格がほぼ同じの二人は、互いの制服をさらりと着こなすことができた。

 七瀬が机上の鏡を前に薄化粧をしている。望は全身鏡の前でそわそわと自分の姿を見つめていた。

「緊張してきた。ほんとにこのまま、街に出るの」

「きっと大丈夫だよ。だってボクたち、こんなに似合ってるんだし!」

 学ランをまとった望は姿勢を正したが、表情はどこか不安げだ。その一方で、セーラー服の七瀬は嬉しさが勝るようで、言葉の端には高揚がにじみ出ていた。

「それじゃあ、行こう、望」

「うん。七瀬、足元に気をつけて」

 慣れないローファーにつまづきそうになった七瀬を、望がさっと支えてやる。その感じがあまりにしっくりきて、ふたりは苦笑した。玄関扉を開いて、初夏の日が差す街へと踏み出していく。


 電車に揺られて一時間弱。やってきた金曜夕方の街は、思ったよりも人出が多い。

「ここまで、誰にも何も言われなかったね」

「ねぇ、このまま買い物行っちゃおうよ」

「いいね、とりあえず駅ビル入ろうか」

 服屋に雑貨屋、100円ショップ。陳列棚の間を回遊しつつ、何とはなしに見て回る。

「このアクセ、カワイイね。値段は……うん、買っちゃおう」

 ラベンダー色の大きなヘアピンと、白いレース地のシュシュを手に、七瀬はうきうきとレジに向かった。

 買い物を終えた七瀬は、望が難しい顔をしてメンズ服コーナーの前に立っているのを見つけた。

「どうしたの、何か気になる服とかあった?」

「いや、その」

 紺色のジャケットとスラックスを着たマネキンを見上げて、何やらまごついている。

「私……ううん、僕も、いつかこんな服着てみたいと思って」

「あー。望ん家って良いとこだもんね。お父さんお母さんが、いい顔しないかも」

 借り物の学ランの背を丸めて、望は所在なさげに佇んでいる。そんな空気を振り払うように、セーラー服の七瀬は望の袖を引く。そして勢い勇んで言うことには。

「望、バーガー食べに行こっ!」

 望は虚を突かれて後ずさるも、やがてにんまりと笑みを浮かべた。

「いいね、七瀬。確か駅前のアーケードに、店があったはず」

「よーし、それじゃあレッツゴー」


 エスカレーターを降りてエントランスを出れば、そこは駅前通りの雑踏だ。おびただしい靴音とうねるざわめきに、ふたりの足は一瞬止まりかける。しかし、互いの存在を隣に感じ、その事実が学生たちの背中を押した。

「手、つなぐ?」

「うん」

 どちらともなく手を差し出して、固く握りしめた掌は少し汗ばんでいる。覚悟を決めて、ふたりは白昼の雑踏へと歩みを進めた。

 コツコツと、ローファーと革靴の音がやけに大きく聞こえる。足並みを揃えて、固唾を呑みながら。人混みを通り抜けて、横断歩道を渡り、アーケード街に入るころには、ふたりの緊張も大分やわらいだ。

「なんだか、恋人同士みたいだね」

「はは、言えてる」

 はにかみながら呟く七瀬に、からりと笑う望。

 良くも悪くも、街の人々は周囲に無関心だ。特段見とがめられたり呼び止められたりすることもなく、ふたりはファストフード店へとたどり着いた。


 モバイルオーダーで注文を済ませる。ほどなくして、ふたりの居る二階席のテーブルにバーガーセットが運ばれてきた。

「ふぅーっ。キンチョーしたぁ」

「僕も。でも、意外となんともなかったな」

「とりあえず食べよっか」

「だね」

 七瀬はてりやきバーガーにポテトとバニラシェイク。望はチーズバーガーとナゲットのセットを頼んだ。仲良く手を合わせて、ポテトやナゲットをつまみながらお喋りをした。

「望はこういうとこ、よく来るの」

「いや、全然。うちほんとは寄り道禁止だし」

「えーっ。放課後友達と来るのが楽しいんじゃん。親御さん、分かってないねぇ」

「でもたしかに、新鮮だな。こんな風に喋りながら食べるの、ほとんどなかった」

 しなしなのポテトを口に含んで、望は目を細めて頷く。七瀬はしょっちゅうファストフードには来ていたが、望の感慨深げな反応に嬉しくなってしまう。バーガーに思い切りかじりつけば、甘じょっぱいソースと肉のうまみが口いっぱいに広がった。


 帰り道も、ふたりは手を繋いで帰った。浮き足だった七瀬は、望の方に身体を寄せて、甘えた声を出す。

「なんだかボク、帰りたくなくなっちゃった」

「ん、僕もだよ」

 望も名残惜しそうに、夕空の向こうを見上げている。その横顔を見つめながら、七瀬はふと、口を滑らせた。

「本当に、ボクらが恋人同士ならよかったのに」

 一瞬の間が空いて、望が訝しげに七瀬と目を合わせる。しまった、失敗した。七瀬が顔を青くした、次の瞬間。

「じゃ、ほんとに付き合ってみる?」

「……へっ、え??」

 望の爆弾発言に、七瀬は素っ頓狂な声を上げる。

「だって、こんなにお似合いだったじゃない」

「それは、そうだけど」

「僕たち、いいパートナーになるよ」

「そうかもだけど、話が急っていうか」

「嫌?」

「ううん、いやじゃない……」

「じゃ、決まりね」

 七瀬の鼓動が早鐘を打つ。繋いだ手からそのドキドキが伝わってしまいそうで、気が気でないまま帰り道を行く。隣の望は涼しい顔をして、「夕焼け、きれいだな」と独り事を言ったりしている。

 

 輝かしい青春の残像が、夕陽に溶けて消えていく。


「あ〜、そんなこともあったね。懐かしい」

 ポテチの袋はいつのまにか空になっている。ビールのグラスを傾けながら、ナナセは目を細めて思い出に浸っている。

「まあ、そんなに良いことばかりでもなかったけどな」

 ノゾミとナナセがこうして暮らすに至るには、さまざまな困難と葛藤があった。決して順調とはいかない高校生活を、ふたりは手を取り合って乗り越えてきた。

「でもね、ノゾミ」

「ん、なに」

「ボクたち、今、とっても幸せだよね」

「ああ、そうだな」

 ソファに隣り合って座って、どちらともなく手を重ねた。テレビは梅雨明けのニュースを映し出している。眩しくも心躍る、夏はもうすぐそこだ。

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ノゾミとナナセ あおきひび @nobelu_hibikito

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