6話「武田佳織里」

「あ、あの…」

桜坂花蓮と南條愛美は声がした方に振り返ると、見知らぬ少女が息を切らしながら立っていた。

『中学時代にどこかの大会で会った事あったっけ?でも、私、他校に知り合いとかいないし…愛美の知り合いとかかな?』

と思いながらも南條愛美に声をかける。

「ねぇ、花蓮の知り合い?」

「私は知らない子だけど、愛美の知ってる人じゃないの?」

「私も花蓮と同じで知らない人」

てっきり、桜坂花蓮は南条愛美の知り合いが急いで来たものだと思っていたが、予想は完全に外れてしまっていた。

いや、考えれば簡単なことだった。南條愛美は桜坂花蓮とは違い、中学時代の水泳部で結果を残しているわけで、関東大会や全国大会に常連でいっている人が強豪校でもない清流高校にいるわけがないし、それを踏まえれば知り合いではないと考えなくとも結論付くはずだ。

桜坂花蓮と南條愛美はタイミングよく顔を合わせて思い出してみると、2人の後ろにいた初心者の子で名前は武田佳織里たけだかおりであることと、自己紹介の時に「テレビで大会の映像を見て、泳いでいる人がかっこよく見えたんです。私もこんな風に泳いでみたいと思い、部活に入部しました。宜しくお願いします」と話していたのを思い出した。

「で、私達に何の用なのかな?」

『ちょっと強気な態度じゃないかな?』と桜坂花蓮は南條愛美に対して、少し思うところがあったが、意を決するような覚悟で武田佳織里は言葉にする。

「初対面の人にこんなお願いをするのは違うかもって思うんですが、私に水泳のことについて詳しく教えてほしいんです」

と同時に頭も深く下げてきて、2人はどう反応していいか困ってしまい、固まってしまう。

まず、2人の頭の中では「どうして、私達なのか?」という疑問が浮かび上がってしまったが、武田佳織里にとって高校に入ってから始めるのも、経験者に声をかけるのも、きっと凄く緊張したと思うし、これは武田佳織里にとって大きな一歩である。

初心者のためにDVDを流してはいた。凄く細かく説明はしていたが一度聞いただけでは頭に入らないと思ったし、経験者である桜坂花蓮と南條愛美は「私達が助けてあげなくちゃ」と手を差し伸べることをしないと経験者としても、人としもダメな気がした。

「頭を上げて、水泳の事だったらいくらでも教えるから。泳ぎじゃ愛美には勝てないけどね。じゃあ、駅前のスポーツショップはどうかな?道具も揃っているし」

「あそこね。確かに、あそこなら大抵な物は揃うから、説明しながらできるね」

「でしょ。佳織里ちゃん、連絡先交換しようよ。それで、いつ行くか決めよう」

「はい、宜しくお願いします」

彼女は嬉しそうに微笑みながら、武田佳織里は桜坂花蓮が田崎怜奈に対して言った言葉を教室で聞いてみて、「この人と友達になりたい。水泳のことを教わりたい」そう思って、勇気を振り絞って話をかけた。

それは、間違えなんかではなくて、高校に入って初めてできた友達が桜坂花蓮と南條愛美で良かったと心の底から思えたから。



連絡先を交換した夜のこと、携帯の音が武田佳織里の部屋を反響した。

携帯を覗いてみると、桜坂花蓮、南條愛美、武田佳織里の3人でグループを作ったところを開くと、桜坂花蓮から『土曜日に駅前のスポーツショップに行くのはどうかな?時間が余れば、そのまま屋内プールにも行きたいんだけど、2人はどう?』と通知が入っていて、なんて返すか迷っていたら、南條愛美から『私は行ける』と返信があり、武田佳織里も『行けます!』と返事を返す。

そして、当日になってみると、水泳を教えてもらうと気分が上がったせいか、あまり眠れずに駅前に武田佳織里は到着してしまい、少し眠たげに待っていると「お待たせ〜」と言いながら、桜坂花蓮と南條愛美が目の前に現れた。

「愛美さん、花蓮さん、そんなに待ってないですよ。大丈夫です」

ドラマとかでありがちな定型文を返しながら、『なんかデートみたいだな』と思ってしまう。

「じゃあ、スポーツ店に行きましょうか」

「行き先は簡単でこの道を歩いていれば看板は出てくるから、わかりやすいんだけどね」

「凄く楽しみです」

そのまま、雑談をしながら歩くこと数分で目的地であるスポーツ店が見えてくる。

外には旗が立っており、『特売の日』と書かれていた。

スポーツウェア、ランニングシューズと新商品と入れ替えのためか安い値段で売られており、用事が済んだら見てみようと3人は思ってしまっている。

そのまま中に入っていくと、野球、サッカー、テニスなどの人気が高いスポーツ関連の物が多く所狭しと並んでいて試着室も完備されており、水泳関連の道具はどこかと探してみれば、奥の端っこの狭いエリアに集約され置いてあった。

水着、ゴーグル、水着に着替えるタオルやその他の小道具などが置かれてはいたが、それを見てから桜坂花蓮と南條愛美は溜め息をついてしまう。

「どうかしたんですか?」

「予想はしていたんだけど、やっぱり他の人気あるスポーツに比べて水泳の扱いはひどいよねって思って」

「花蓮、こればっかりはしょうがない。置いてあることに感謝って思わないと」

武田佳織里は2人の言葉を聞いた後に、周りを見回してみると「確かに言いたい気持ちはわかる」と思ってしまった。

それは、野球、サッカー、テニスなどはボール、シューズ、ウェアなどでも多種多様な柄があり、値段もかなりの数を揃えているのに対して、水泳は違っている。

水着や着替え用タオルに関してはかなりの種類があったが、ゴーグル、キャップに関しては手で数えるほどしか置いておらず、選ぶに選べない状況になっていた。

「そうだね。ここはそもそも小さい店舗だし、愛美の言う通り置いてあることに感謝しないとね」

「小さい店舗だからか、ここにはそこまで高い物が置いてないから初心者の佳織里にはピッタリかもね」

そう言われてみたので近くにあるゴーグルやキャップを手に取って値段を見てみると、二千円から三千円くらいのが多く、一番高い物で有名なスポーツ選手の着用モデルで五千円という値段であり、決して安くはないなと武田佳織里は感じてしまう。

『これで安いのか…水着、ゴーグル、キャップ、全部揃えたらいくらになるんだろう?部活とかスポーツなんてやってこなかったから知らなかったけど、かなりお金を使うんだ。だから、部活に入ると決めた以上は絶対に真面目にやらないと親に顔向けできない』

水着、ゴーグル、キャップに関していえば、性能を求めれば求めるほど値段を数倍にも跳ね上がる。

性能の違いは何なのかといえば、それは水の抵抗を抑えるか抑えないかの違いである。

シリコン素材を使っているキャップ、水の抵抗を抑える形になっているゴーグル、軽量化しながらも水の抵抗を抑えている水着など、各社から沢山の商品が出ているが、どれもタイムを1秒でも削るためのレース用の商品だ。

あくまでこれは道具であり、これらを使ったからといって必ず速くなるものではない。

『道具に頼るなんて甘え』なんて言う人もいるかもしれないが、それは正解とも言えなくもない。技術があってこそ、使われる道具は輝くのだ。

いい道具を揃えても、本人の実力が備わっていなければお金をドブに捨ててるのと一緒である。

「親からお金は貰ってきていますけど、足りるか心配です」

「大丈夫だよ、花蓮ちゃん。最初からいい道具を揃える必要なんてないからさ」

「そういうこと。練習を積み重ねていって、大会に出るようなことがあれば少し背伸びするのがいいと思う」

「それもそうですね。まずは、泳ぎをちゃんと覚えるところから始めたいと思います」

武田佳織里は気がついていなかったが、2人は『大会に出るようなことがあれば』などと失礼なことを言ってしまったと思ってしまい、怒るんじゃないかと内心ヒヤヒヤしていた。

経験者である2人は初心者に負けることを恐れていて、もしそんな人が現れて大会に出られないようなことがあれば、今までの積み重ねた経験値がゼロになってしまうような錯覚に陥り、水泳を好きでいられる自信がないとも感じる。

「今日は水泳の道具選び、宜しくお願いします」

武田佳織里の声が響いて、2人の意識が戻ってくるきっかけになった。

「もちろん」と言いながら、水着、ゴーグル、キャップとその他に必要なものを選び、会計をする。

水着は花柄をしているのを選び、ゴーグルは安いモデルではあるが有名な選手の着用モデル、キャップは有名なブランドのワンポイントが刺繍されている物を選んだ。

ゴーグルやキャップは無難な物が多いわけだが、水着の柄に関していえば、男子女子関係なしに多種多様に存在する。

武田佳織里の買った花柄をはじめ、花火、水玉、無地、無地(赤や青のラインが入るやつ)などあげ始めたらキリがなくなるほどに各社から沢山の商品があるため、水着選びも水泳を始める時の楽しみの一つといえるだろう。

3人はそのまま外に出て、時間を確認するが丁度お昼の時間になっていた。

時間を確認した途端に、お腹の空腹を感じ始める。

「近くでご飯食べてからプール行くことにしようか?」

「ま、それでいいんじゃない。バス使わないといけないから、時間見てこないとね」

武田佳織里は2人の会話を傍で聞きながら、新しく買った水着で泳げることを心から楽しみで仕方がないと、ウキウキしてしまう。

まるで、クリスマスの日にサンタさんからのプレゼントを貰ってはしゃぐ子供みたいだった。

「どうしたの?笑って?」

「花蓮さん、泳ぐのが凄く楽しみなんです。スポーツなんて今まで学校の授業以外ではしてこなかったし、初めて自分でやりたいって思えたスポーツが水泳で、初めて水着とかの道具も買って、これで始められるんだなって思えたら嬉して」

「いいことじゃない、私にもそんな時期はあったし、毎日が楽しくて、『早く泳ぎに行きたい授業なんか終われ!』何回も思ったこともあるんだよ。花蓮ちゃん、これから辛いこともあるとは思うけど水泳を楽しんでね」

「はい!」

そこには、笑顔だけが残されていて、その笑顔を見るだけで2人は話しかけてくれた時に『助けてあげよう』と思ったのは決して間違いではなかった。

だって、ひまわりのような笑顔が見れたから。



お昼ご飯を食べ、バスに乗り、室内プール場に向かう。

行く場所は日本水泳連盟公認 国内基準競泳ブールであり、大会などでも使用されており、50mプールと25mプールの2ヶ所が設けられていた。

50mプールのレーンは10レーンであり、水深は1.90mから2.15mであり、大人でも床には足がつくことは不可能ではないだろうか。

25mプールのレーンは6レーンであり、水深は1.20mから1.40mになっており、何故そうなっているかといえば、こちらは初心者や子供からお年寄りまで使う用に作られているからだ。

水深も浅く設計されており、運動のために通う人、泳ぎを覚えたいから通う人、水中ウォーキングをする人など、用途は様々だろう。

簡単に纏めると、がっつり泳ぎたい人は50m、日頃の運動不足解消したい人は25mを選ぶといいと思う。

ちなみに大会で使用されている方は50mプールの方になっている。

3人が室内プールに到着すると、武田佳織里に配慮してか迷わず25mプールの利用権で2時間利用を3人前購入した。

そのまま女子更衣室に向かい、3人は水着に着替え始める。

武田佳織里はしみじみと先程のスポーツ店で購入した水着を見てしまう。

『かっこよくて可愛い』と一目惚れで購入したわけだが、この選択は正解だったと思うくらいに満足している。

あまり見ていても時間がもったいないので急いで着替え、3人全員が着替え終わったところでプールの方へと歩き始め、プールへと繋がる扉を開けるとそこには武田佳織里が待ちに待った塩素の香りがする水泳の世界が待っていた。

「凄く広いですね」

天井はかなり高く何処かのライブ会場のように見えなくないし、丁度全体を縦長で見渡せるように小さい小窓が設けられていた。

その小窓というのは、休憩スペースような場所で自動販売機と椅子や机が設置されており、ご飯を食べたりすることも可能となっている。

各種大会の時も開放されており、上からライバルの選手の泳いでる姿を見たりすることができてしまうわけで、水泳をある程度やっている人は泳ぎ方の癖なんかがわかってしまうのが特徴だ。

左右を見てみれば、観客席が設けられており約千人は収容できる作りになっている。

「ここは大会でも使用されているからね。学校のプールよりも泳ぎやすいと思うよ」

「そうなんですか?」

「塩素は丁度いいし、プールの水は衛生管理させているから綺麗だし、屋内プールって最高なんだよ」

「花蓮、立ち話もいいけど時間は有限じゃないからね」

「あ、そうだった。時間制限あるの忘れてた。じゃあ、行こっか」

一番端っこにある6レーンが空いていたので、3人はそこに入る。

他のレーンに目を移してみると、がっつり泳いでいる人が多い印象であり、武田佳織里に水泳を体験してもらうには不都合だと思ったからだ。

入ってみて、武田佳織里が受けた印象は「普通の水と変わらない」というところ。

屋内プールは学校のような屋外プールと違い、太陽の下ではないし、雨や風などの影響も受けない、砂や埃、虫などがプールに入ることがなく、水温と塩素濃度は一定に保たれており、空調設備が入っていることによって塩素臭さもない、そして何よりプールの水が綺麗なところが一番良い点と言えるだろう。

桜坂花蓮は3人が入り、少しだけ体を動かしたのちに水泳のことを教え始める。

「じゃあ、基本的な事から覚えようか。」

「はい。お願いします」

「そんなにかしこまんなくてもいいけど…大体の人は泳ぎ方がわからないから、泳げないと思っている人が多いけど、意識を向けていないから泳げないこともあるんだよ」

「意識ですか?」

初心者の武田佳織里にとって、意識をするだけで泳げるようになると言われても、何1つピンとはきていなかった。

武田佳織里のような初心者がまず目指すべき所は、浮く所からである。

それは、何故か?といえば、浮く事ができなけれなば、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライをする時に手と足を使って前を進もうとしても前へ進めないためである。

「とりあえず、1回見せて。手は真っ直ぐ伸ばして、足は軽くバタ足をするくらいでいいよ。足は下に着くから、限界だったら足ついてもいいからね」

「はい、わかりました」

そのまま、緊張した面持ちでプールに入っていき、足で壁を蹴って前に進みながらバタ足で水を蹴る。ここまでは、良かったのが…結論を言ってしまえば、全く前へ進む事が出来なかった。

彼女は力尽いてしまい、プールの底に足をついて周りを見回して見れば、スタートした直後とさほど風景変わっていない事に驚きを隠せない表情をして『あれ、前へ全く進んでいない…』と思ってしまう。

「愛美、やっぱり、お腹に力入ってないし意識してないから、初心者は足下がりがちだよね」

「誰もが通る道だよ。ここを克服しないと水泳ができないし、難しい問題だよね」

「お腹に力ですか?」

武田佳織里はその会話を不思議そうに聞いていた。

学校のプールの授業でも泳げない組の1人でもあるが、泳ぎ方のコツを熱心に教えてもらえるわけでもなかったから、毎年夏のプールの授業が嫌いでテレビで大会の映像を見たりしなかったら『水泳をしたい!』とは思わなかったはずだと武田佳織里は感じている。

「そう。水泳の基本って、手、頭、お腹、足が水面と同じ平行になって泳ぐ事が基本。だからこそ、お腹に力を入れてないと、足がプールの底に垂れ下がってきて、前へ進まない。つまり、バランスが悪いって事」

「言葉で説明してもわからないから、実際にやってみよう。私が足を持って、愛美が手を持つから、お腹に力を入れるって事に意識を割いてみて。浮けるなって判断したら離すけど、慌てないでね」

「わ、わかりました」

手と足を真っ直ぐな状態で水面に浮く、掴まれた感覚がしたのでお腹に力を入れ、そのまま浮く事に意識を集中してみる。すると、ゴーグルからの視界だけでもわかるが、水面と平行になって浮いてる感覚があった。

『これが、浮くって事…意識するだけで、こんなにも変わるなんて』

「浮いてました!」

と水面から勢いよく顔を上げて、武田佳織里が凄くいい笑顔だったので、2人は『教えた甲斐があったな』と心の中で自分の事のように嬉しくなってしまった。

「手とかバタ足は後で覚えるとして、今後の部活での練習でもお腹に力を入れる事を意識して」

「はい。忘れません」

頭の片隅ではなく場所にメモを書き残しながら、もう一度お腹に力を入れることを意識しながら、水面に浮く。

何度も繰り返しながらやっていくと、何度目かわからなくなるぐらいの時に2人の補助なしでできるようになってしまっていた。

水泳をこんなに真剣で楽しそうに覚える武田佳織里を見ていて、ついぽろっとこぼしてしまう。

「なんか、昔を思い出すね」

「私も」

それは水泳に出会い、始めた頃の記憶。

出会った場所が違えど、その頃の2人は少しでも泳げるようになれば嬉しくなり、1秒でもタイムを削れば飛び跳ねるくらいに喜んだものだ。

今日、武田佳織里が水泳で覚えたことは他の人にとっては当たり前の事かもしれないが、大きな一歩となった。

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君は水泳という名の青春に飛び込めるか 柏木京介 @kasiwagi9625

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