その翡翠き彷徨い【第2話 出会い】

七海ポルカ

第1話


 立ちこめる煙。

 炎の残り香。

 空気はまだ熱を帯びていて、喉を圧迫するように息苦しい。


 

有翼の蛇ゆうよくのへび戦争】が始まってからエデン各地を転戦して来たが、こんな光景は何度も見て来た。


「……。」

 

 兵と兵、軍と軍がぶつかり合うならまだいい。

 だがこうして戦によって治安が悪化したことによる、盗賊の襲撃の犠牲になるのは、いつもこのような辺境の小さな村々なのだった。


 すでにエルバト王国とドリメニク公国の凄惨を極めた攻防戦は、ドリメニク最後の首級と呼ばれたバゼット将軍の戦死により終局へと向っている。


 それなのに……。


 またなだらかな丘を火の匂いを孕んだ風が吹き下ろして来ている。

 その一団を率いていた鎧姿の女はす、と焼け落ちた村の方へと真っすぐに腕を伸ばした。

 すると後ろに控えていた小隊が速やかに二手に分かれて村の方へと走って行く。


 騎士姿の女の側には同じ年頃の神官服姿の女が一人残っていた。

 じっとそこに立って村の方を見ている女の心情を、彼女は手に取るように理解したらしい。

 懐から聖典を取り出すと、神官服の女は膝を軽く折った。


「……私が祈りを捧げましょう」


 憐れみを込めた声でそう言った女に、主である騎士姿の女は下馬して帽子の中へ隠していた輝く金色の髪をバサリと腰まで下ろした。

「いいのよオルハ。私がやるわ。病み上がりなんだから無理しないで。鎮魂詩くらいなら私も読めるから」

「姫様……」

「やっとリングレーか。サンゴール王国まではもうすぐね」

「長い一年でした……」

 オルハも神官帽子を外すと脇に抱え、村の方に向けて静かに眼を閉じる。


「多くの命が失われたわ。……オルハ、私はサンゴールへ戻るけれど……貴女はアリステアへ戻りなさいね」


「アミア様?」


 アミアカルバ・フロウは大陸北東の王国アリステアの第二王女だが、今は隣国サンゴールの第一王子の許に嫁いでいる。


 婚礼は挙げていない。


 第一王子グインエルは優しく穏やかで人望があるけれど、身体が昔から弱かった。

 もともとこの二人は幼馴染みであり、それを分かった上でも好きなのだから構わないとこの若い王女は笑っていたが、いずれ季節が暖かくなる頃には……と遅りに遅らせていた婚礼を挙げる前に南方ドリメニクで火の手が上がってしまったのである。


 エルバト王国によるドリメニク急襲に始まるこの『有翼の蛇戦争』は瞬く間に各地へ戦渦を広げ、大国サンゴールは介入の為に軍を動かすことになった。

 しかし先だっての大戦でサンゴールの名を大陸中に知らしめた英雄にして偉大なる王、メルドラン・ヴィレムはすでにこの世に無い。


 第一王子グインエルには弟が一人いたが、王宮は王亡き後、兄弟による王位継承を巡って膠着状態にある為、夫であるグインエルの立場と健康を考慮したアミアがグインエルの名代としてサンゴール王国軍を率いることになったのである。

 男女問わず王族が武芸に長ける伝統があるアリステア王国の姫にとって、一軍を率いるということはさほど苦になるものではない。


 ……だがこの一年の間に、婚礼も挙げてない本国の夫の病状に、胸を痛めながらも悲惨な戦場に軍を進めて来たアミアの心に苦しみがないわけではなかった。


 そんなアミアとは、慣例により王族も通うアリステアの王立学院の同級生でもある神官戦士オルハは、最初から彼女に付き従いサンゴール王国について来るとそのまま従軍し、戦の最中ずっと彼女を支え続けていたのである。


 この一年間、オルハ・カティアの中には悲しみしかなかった。


 しかしそれを耐えて来られたのは、間違いなくこの生まれながらに太陽のような気質を持ったアミアの側にいたからこそだろうと彼女は思っている。

 旅が終結に向っていることを感じられるようになった今、オルハの中には確かに生まれ育ったアリステアへ戻り、もう戦いからは離れて静かな日々を暮らしたいという願いが生まれつつあった。

 だがそれをアミアの前で口にしたことは無い。


 アミアはオルハの身体を抱きしめた。


「……もっと早くそう言ってあげたかったけれど……私には貴女が必要だったから言い出せず、こんな所まで付き合わせてしまった」


「……姫様……」


 オルハの傷ついた背を、優しく撫でる。


「ごめんね、オルハ……」


 オルハは込み上げて来た涙を隠すようにアミアの肩に顔を埋める。

 そして首を大きく横に振った。


「これが最後の仕事になればいいわね」


 アミアが顔を上げていつものように明るい笑顔を見せた。





「アミアカルバ様!」





 一人の兵士が戻って来る。

「どうしたの?」

「ひどいもので……生存者はいないと思ったのですが……教会の方に子供が一人、衰弱しているようですが生きているようです!」


 アミアとオルハは顔を見合わせると、すぐに馬に跨がり走り出した。



◇   ◇   ◇





 石造りの壁が大きく破壊されている。



 こうした小さな村でも教会には価値ある装飾や金属が保管されていることが多いため、教会は徹底的に破壊されることが多い。

 ここも中に入ると、椅子は砕かれ少しでも価値の見られるものは壁から剥がされ、掘り出されて略奪されていた。

 入り口が落ちた天井で塞がれているので窓から中に入ったアミアは、オルハに手を差し出して彼女を助けつつ教会の中をぐるりと見渡す。

 祭壇に飾られた女神像は上半身が砕かれていた。


「……ひどいものね」


 かなり多い人数の襲撃だったようだ。数に頼って激しく何もかもを叩き壊したような印象がある。

 こういったやり方は生粋の盗賊というより、見知らぬ土地で行き場を失った残党兵が略奪に転ぶ時によく見られるものだった。

 追いつめられれば人は何でもするものだが、何もこんなたった一つの教会に村人全員の信仰を集めるような小さな、穏やかな村で残虐を働く必要がどこにあるのかとアミアは心の底に怒りを抱く。


 ひどい惨状の教会の奥へ続く扉の所に三人の兵士がいた。

 アミアの姿を確認すると彼らはすぐに道を空ける。

 教会の奥に部屋があるのは珍しい造りではない。扉も特別分かり難くされていたわけではなかった。

 教会の中があの状況では賊達はさぞかし執拗に部屋を探り回ったのに違いないのだから。


 ……しかし不思議なことに、本当に入り口から全てが見渡せるほどの小さな小部屋には破壊の影が全く無く、一つだけ取り付けられた天窓からは黄昏時の黄金色の光が静かに差し込んでいた。


 そして、その小さな部屋の隅に確かに一人の子供が倒れていた。


 アミアは駆け寄り側の兵士に尋ねる。

「傷は?」

「特には無いようですが」

 手袋を外して小さな手を取り脈を調べてみる。

 すると弱々しく、だが確かに打ち返す感覚があった。


 何よりも握った手が温かい。


 アミアがすばやく軍医を、と呼んだ。

 兵が頷き走って行く。


「……この子だけ?」

「今の所は……そのようです」

「分からないわ、まだいるかもしれない。徹底的に探して頂戴」

「ハッ!」

 残っていた兵士もすぐに教会を飛び出して行く。


「……なんてことなの。奇跡だわ」


 アミアは自分の外套を脱ぐと子供をそれで包み込み腕の中に助け起こした。オルハも膝をついて心配そうに様子を見ている。

「少年ですか?」

 アミアは子供の栗色の前髪を指で優しく掻き上げてみた。

 顔も髪も土と煙に汚れていたが、幼い輪郭ははっきりと見える。

「男の子よ、オルハ」

「何故ここに……賊の入った様子はありませんが……、どこかに隠れていてここに行き着いたのでしょうか? 表の惨状ではここだけが難を逃れたとは思い難いのですが」


「そうかもしれない……でもどうでもいいわ。この村に生ある者がいてくれて私は嬉しい」


 アミアはそう言って、眼を閉じたままの少年の身体を大切そうに抱きしめた。

 軍医がやって来た。

 アミアはその手に少年を委ねると立ち上がる。

 まだ生き残りがいるかもしれないと村を歩いてみたが、やはりどこもかしこもが砕かれ焼き尽くされていた。

 陽がだいぶ傾いて来た頃、オルハがアミアに声を掛けた。


「どういたしましょう、姫様。希望は持ちたい所ですが……これ以上の生存者が見込めるかは難しいかもしれません」

「そうね。今日中にはリングレーの街につきたいし……もう一刻したら出発するわ。あの子の容態も大きな街の方が見やすいし……」

「お連れになるのですね」

「もちろんよ。私が保護するわ。……こんな所に置いてはいけない」

 オルハも頷く。

「……あまりひどい光景を見ていなければいいのですが……まずは目を覚ますのを待ちませんといけませんね」

「うん、そうね」

 アミアは再び教会に戻り、少年の手当が済んだら外へ運び出すように命じた。

 出て行く前にもう一度だけ蹂躙され尽くした教会を見回す。そして彼女は呟いた。



「……本当に奇跡だわ。――まるで神の両手に隠されていたように」



 焼かれた村からは少年以外の生存者は発見出来なかった。



◇   ◇   ◇



 少年は、村を発った一行が立ち寄ったリングレーの街でも目を覚まさなかった。

 アミアは一夜考えた結果、少年をサンゴール王国まで連れ帰ることに決めた。

 オルハがリングレーの孤児院や教会に預ける手もあるのでは、と進言したがアミアは首を振る。


「この子が目を覚ましてこの地に戻るというならそれでもいいわ。けれどこのまま誰かの手に委ねるのは嫌」


 この戦争の間だけでも、アミアが親を失った孤児と会うのはもちろん初めてではない。

 残酷な言い方だが、よくあることだった。

 その一人一人を引き取って救ってやることなど出来ないのだ。

 だからアミアが自ら、こんな風に言って来ることは非常に珍しいことだった。


 その夜、少年に付き添って眠ると言って聞かないアミアに「仕方ありませんね」と笑いかけて部屋を出ようとしたオルハは、ふと扉を閉める時、隙間から見えるアミアの背に……命の定まらない夫を持つ妻、他国へ嫁ぐ姫としてアミアが抱え込む、普段は見せない重荷の影を見た気がしたのだった。



 サンゴール王国へ戻る最中、少年は目を覚ました。



 最初は軍の行軍に驚いて怯えていたが、アミアが村で見つけたこと、サンゴールという国へ向っていること、そして貴方が望めば生まれ育った土地に戻ることは出来るのだということ、今は体調を戻す為に一緒に連れて行くのだということをゆっくりと説明すると、落ち着いて一つこくりと頷いた。


 以後はずっと目を覚ましていて、彼の側にはオルハがずっと付き添っていた。


 夜はやはり少し魘されているようだったが、少しずつ聞き出してみると村の惨状はあまり覚えていないらしかった。

 多分襲われた中には親兄弟もいたのだろうが、まだ幼いのでそのあたりのことがよく飲み込めていないのかもしれない。

 襲撃のせいか元来の性格なのか分からなかったが、人見知りをしそうな大人しい性格の少年だった。


 その大きな二つの瞳は澄んだ翡翠色で、リングレー地方ではあまり見ない色をしているとオルハは思う。

 アミアがやって来て何度か名前を尋ねるうちに、口を閉ざしていた少年は子供らしい声でぽつりと答えた。


『メリク』と。


「リングレー王国では『知恵の女神サダルメリク』が強く信奉されておりますわ。

 恐らく女神の名前からご両親が付けられたのでしょう」


「そうなのね。ではその女神の加護があったから、貴方は無事だったのかもしれないわ。

 その名前を大切にするのよ、メリク」


 アミアが笑いかけると、少年は乏しい表情で小さく頷いた。


【終】

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