第12話『18:50 フェザン店・最奥席』

 それぞれのトレイにバーガーとポテト、そしてドリンク。

 ふたつ置いたら殆ど隙間の無くなるふたり掛け用テーブルに、対面で腰を下ろす。たとえクッションも何もないプラスチック製の簡素な椅子でも、自重を預けられるというだけでこの上なく有難い座り心地がした。


「いや、歩きっぱなしで疲れたねえ」


 弛緩する身体に大きく息を吐きながら、テーブルの下で組んだ足の先をぶらぶらと遊ばせてやる。本当に、スニーカーを通勤の友としていて良かった。これがミュールやらパンプスやらだったなら、今頃爪先か踵が擦り切れて真っ赤になっている所だ。

 歳は違えど対面に腰を下ろして顔をしかめた彼女も似たような疲れを抱えていたみたいで、二度三度腰を揺らして座りを調整した後、横へ背けた小鼻から深く息を吐いていた。そうして一瞬こちらへの視線が切れたタイミングで、さりげなく私のトレイからドリンクのカップを移してやる。


「はい、これはいい子にご褒美」


 まぁ、せめてこれくらいは、ね。

 日本語がわからないと知っていつつも、アクションに沿った言葉を織り交ぜるのが癖になっていた。というのも口にした方が、気がしてならなかったからだ。

 自分のトレイにカップが増えていると彼女が気付いたのは、ナプキンを広げ思いのほか上品に手のひらを拭ってからだった。驚きに丸くなっていく目に向かって、片目を閉じながら小さく笑いを返してやる。

 いっぱいに開かれた瞳の形を変えずにこちらを見つめるその顔には「どうして?」という疑問が前面に広がっている。だが、種を明かせば簡単なものだった。

 こちらへオーダーを伝え終わった彼女の顔がメニュー表から離れる直前、その指先は僅かにバニラシェイクの写真へと動こうとするそぶりを見せた。そして僅かな逡巡のあと、包み隠すようにその指が手の中へと折り込まれた。そんな明らかな遠慮を見逃さなかっただけだ。

 子供にそんなもの似つかわしくないし、食べ盛りに思う様食べさせないのはひとりの大人としてどうかと思っただけの事……とはいえ半日前には刃物で脅してきた相手にどうしてそこまで施すのか、我ながら警戒心と判断基準のネジが飛んでいる自覚はある。

 しかしひとくち食べたっきりフィレオフィッシュを放っておいてストローを加える彼女の顔が綻ぶのを見ていると、間違っている気にはならないのがまた不思議というか、何というか。

 半分凍った中身の抵抗に苦闘しながらストローを啜り、時々思い出したように店の中を仰いではまたトレイに顔を戻してフィレオフィッシュとポテトへ齧りつく。ひと口ひと口を目一杯に頬張るのもあって、その所作はさながらリスやハムスターのそれに映った。しかも私より頭ひとつは高い上背を丸めているものだから、余計に愛くるしい。

 今やあのニューデイズの横で初めて目にした顔つきが本当に同じ人間のものかと疑うほどに、所作も纏う空気も無邪気さそのものを振りまいていた。

 コーヒー片手にぽつぽつとポテトをつまんではいたものの、意識を見物に割き過ぎていたか。私がバーガーの包みに手を掛けるよりも先に、彼女のトレイの上はあらかた片付いてしまっていた。きちんと畳まれた自分の包みとポテトのケース越しに、何かを言いたそうな顔を浮かべながら私と私のチーズバーガーを交互に眺めている。

 きっとそういうつもりはないのだろうが──わかっていつつも試しに黙って私のバーガーを彼女トレイに乗っけてやる。するとやっぱり、意表を突かれた様子でその顎が弾かれるように上がった。そこへ今度は何も言わずに小さな含み笑いだけを返してやると、やがて少しだけ目を泳がせた後に深々と頭を下げて黄色い包みに指を掛けた。

 ……うん、やっぱりこっちが素なんだろうな。

『悪人を描くには食べ物を粗末にさせよ』っていうのは、誰が言っていた手法だったっけか。食べる勢いにこそ目を見張ったものの、食べこぼしやソースの撥ねといった不作法とは無縁の所作は、そんな創作論とまるで真反対のものだった。そして何より、こうして人から受けた厚意にしっかりと謝意を返すことが出来る。出会ったばかりの言葉も伝わらない、育ちの違う人間にもかかわらずだ。 

 そして警戒をあっさりといた最大の理由は、さっきの困っていた老夫婦に対する献身的な態度を目にしたことだった。同郷の志だったというはあったんだろう。けれど困っている見ず知らずの誰かへ迷いなく手を差し伸べる事が出来るという素質は、自分本位に誰かを気付点ける為刃物を振り回す悪人が持つものとは真逆のものだ。

 そんな確信を得た今では、成り行きで辿り着いた慣れない土地で食べるファストフードの夕食時が、むしろ普段の暮らしより新鮮で心地の良いものにすら思えている。ポテト半分で満たされた気になったのは、そこに充足を覚えていたせいもあったのかも。

 チーズバーガーの包みを折り目正しく畳み終えた彼女の方へ、自分のポテトの取り口を向けてやる。ちょっと顔を赤くして微笑む彼女にこちらも笑いを返し、コーヒーを啜りつつさりげなく脇へと視線をずらす。

 

 ……なら、こんな彼女にナイフを握らせるほどの出来事とは、一体どんな凶事だったのだろう。

 明日からも行動を共にする中で、いつかそれが解る時も来るんだろうか。

 飲み込む生唾と一緒に、溶け切った氷で薄まったコーヒーが喉を落ちていく。その冷たさによるものとは異なる、何かうっすらと寒いものが身を包んだ気がした。

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