第11話『18:22 新幹線待合室』

 何度も求められた握手の後で、老夫婦が新幹線のコンコースを登っていく。

 私たちはエスカレーターの袂に並んで、その背中を並んで見送っていた。スーツケースにぶら下がって仲睦まじく揺れるマスコットが見えなくなったところで、気を伺ったように私とパーカーの子のお腹が唸り声を上げる。

 緊張がほどけたせいもあるんだろう。顔を赤くして俯きながら見上げてくる目のいじらしさに、思わず頬が緩んでしまう自分がいた。


「これから探せば、時間も丁度いいかな」


 18時過ぎを指す腕時計にとん、と指を置いて、それから適当に目に入ったマクドナルドの看板を指差す。別に指定したつもりはなく、食事を取ろうという提案さえ伝われば良かったのだが──


「マクドナルド!」


 おお……流石というべきか、この名前とロゴも世界共通なんだなあ。

 こくこくと頷きを返してくる明るい顔を前にしては、別の店を挙げる理由などなかった。

 せっかく遠くまで来たとあっては、その土地ならではの名産を出すようなこじゃれた店で一杯……なんて考えなかったかと問われれば嘘になる。だが生まれも育ちも年齢も大きくかけ離れた誰かと食卓を共にするような場合、なじみに味の想像がつきやすく、かつ均一化されているというファストフードの特色は確かな価値を持っていた。


「オッケー、行こっか」


 なるべく快闊な声を掛けてから足を踏み出すと、早速腿の内側辺りに嫌な張りを覚えてせっかくの朗らかな気分に影が差した。  

 ……目指すホテルへ続く『さんさこみち』は、今いる待合室のすぐ脇から伸びている。本当なら先に受付を済ませるべく、そちらを渡って西口へと向かう方が賢いだろう。分かっていながら食事を先に据えたのは空きっ腹のせいだけでなく、脚も同じように限界を訴えてきていたからだった。

 かれこれ1時間近く歩き通し。運動嫌いのデスクワーカーにはオーバーワークも良いところだ。ひとまず一旦何処かへ落ち着かせろと、現在進行形で肩腰脚が合唱している。例えあの時腹の音が重ならなくても、どうにかして先に食事を取る提案をしていたと思う。

 ひとつ下って駅直結のショッピングモールへ入り、食品店の並ぶ地下へ。

 軒を連ねる聞き覚えのない地域店に混じって、なじみの深い全国チェーン店の看板がちらほらと並んでいた。ちょうど夕食時で賑わうそんなフロアの中にあっても、やはり赤地に大きな黄色の『M』マークは一際目立っている。私よりも先にそれを見つけ、それまで一歩後ろにいたパーカーの子が、嬉しそうな顔を浮かべて歩を速めていく。抜かれ様に観たその横顔と弾む歩様は、今までに覚えた印象よりも随分と幼く映った。


「メニューはこっち──」


 入口のメニュー表を素通りして客席に向かう背に声を掛けるが、その脚は止まらなかった。まるで明確な目標があるようにずんずんと奥へと進んで行く。その歩幅は大きく、伸ばした背筋がすらっと伸びる歩き姿は店内の、主に男性の視線を奪っていた。

 ちらほらテーブルに空きはあるものの、客の入り具合はそこそこと言ったところ。もしかして、先に席を確保しようとしてくれたのか──そんな考えはすぐ、首を傾げながら踵を返してきた難しい表情に打ち消された。

 そのままメニュー表を眺め始めたあたり、急にマクドナルドがお気に召さなくなったというわけでもないらしい。空いている2人掛けの席に財布だけ出したトートを放って、ひとまず横に並びつつ顔を伺ってみる。覗き込む私の視線にも気づかないままの横顔は、一層眉間の皺を疑問に深くしていた。

 手の込んだ料理のそれとは異なる、どこかプリミティブに食欲をそそるハンバーガー達の写真。その下には日本語と英語でその名が併記されている。不満とも疑念とも取れる顔色は、そのどちらも読解めないが故のものなんだろうか?

 少し様子を見ていると、その予想もまた見当違いであることがすぐにわかった。

 彼女が低い唸り声はメニューではなく、店内の風景そのものを見回すたびにその閉じた口から漏れていたからだ。その後で何かがあるわけでもない天井を見上げる目は遠く、広がる渋面は何か自分が『思っていたのと違う』ものを見ている事を訴えているようにも感じた。


「バケット」

「え、もしかしてサブウェイの方が良かった?」


 やがて諦めたようにメニュー表に目線を戻した彼女の、けれどやっぱりどこか不服そうな小さな呟きが耳に届く。聞き間違いでなければ、意味するところはあの柔らかく細長いパンの類を指しているのだろう。そこから連想する緑の看板に、ここへきてサンドイッチに気が変わったかと早合点して回れ右──しようとした途端、私の袖口が掴まれる。くいくいと引っ張られるままにその指先から視線で根元を辿っていくと、慌てた様子で左右に往復する彼女の顔があった。

 

「……うん。これフィレオフィッシュで合ってる。イエス」


 続けて聞こえた疑問形に上がり調子の語尾と、袖から離れた指先が次に示したバーガーの写真。頷く私を見たその顔が、やっと明るさを取り戻してくれた。再び滑る指がドリンクの希望も示してくれて、それから一瞬だけ目標を見失ったような戸惑いを見せてからポケットへと戻っていく。

 並ぶために先んじてカウンターへ歩を進めても、もう焦る素振りは見せなかった。今度こそ何とか意を汲めたことに小さな満足を覚えながら、注文を済ませてレジの脇へとける。

 思いの外待たされて出てきたトレイを手に、私達は一番奥の隅っこにあるテーブルへ陣取った。誰かが知覚を通る度、あるいはすれ違う度にちらちらとこちらを伺ってくる視線がただただ鬱陶しかったからだ。

 どこもかしこもインバウンドの観光客でごった返すこのご時世。国籍と身長の差があるくらいで、外人連れがそんなに珍しく見みられるもんかね。

 後ろをついてきつつ渡されたトレイを覗き込むように背を丸める彼女も、肌へチクチクと刺さる目線をが気になる様子だった。落ち着かない様子でさっきとは違った意味合いあたりを伺いつつ、いつの間にフードを深く被り直していた。その窮屈そうな佇まいに、思わず自らの胸元へと目が落ちる。

 知らない誰かの好き勝手な視線に晒されるのは、あんまり気持ちの良いものではない。

 私自身、のせいでそれを良く知っているからこそ、その口から零れるごにょごにょとしたぼやきに的確な反応をしてあげられないのがもどかしくすらあった。

 苦境に都合よく割って入ってくれるヒーローなど、そうそう存在するわけではない。結局の所はやせ我慢を隠した無視を通して過ごすしかないのだけれど、この子の年頃でそれを悟らせる他ないというのも、どこか大人として無力さを噛みしめさせるものだった。

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