第3話『13:05 中央改札口・駅たびコンシェルジュ前』

「ありがとうございました」


 背中に恭しい一礼を受けながら、異なる床の色で表された敷地の境を跨ぐ。

 口からは勝手に溜息が漏れていた。それはせっかく取った午前の半休と、そして1時間弱の慣れないやりとりが殆ど無駄になった事、両方に対するやるせなさのせいだったと思う。

 ……といっても、応対してくれたコンシェルジュに何ひとつ落ち度はない。店へ赴く前に多少なりとも望む旅程に対するイメージを固めるべきだった。原因は忙しさにかまけてそこを怠った自分のみにある。

 そんな状態でいくら熱心なプレゼンテーションを受けたところで、結局北の大地や南の海もいまいち琴線に触れることは無いのは当然の帰結だった……まぁ、そもそも南の海はこの時期入れすらしないんだけど。


「はぁ」


 去り際に受け取った数枚のパンフを、うっすら覚える己への空しさと一緒に左の肩へ掛けたトートバッグへと適当に放り込んで歩き出す。

 木曜日の午後。すれ違うのは大仰なスーツケースを引きずって絶叫にも似たテンションの大声で笑い合う外国人のツーリストたちと、駅中のご飯どころでチャージを済ませて気合を入れるサラリーマンがメインで、あとは私服の家族連れや老夫婦がぽつりぽつり……あの人たちは平日が休みで、日帰り行楽でリフレッシュの最中とかだろう、きっと。

 普段出社日の朝夕に味わう押し合いへし合いと比べると、密度も空気のピリ付き具合も段違いに大人しい。そんな平日昼過ぎの人いきれは、むやみに脚向きを変えたりぶつかる誰かの肩を気にさせる事もない快適なものだった。

 心地良くすら思うのはきっと、みんな日々の何かに追われるでもなく、ただへと向かっているからなんだろうなあ。

 ……いけないいけない。今はこの後の仕事へ邁進すべし、と。

 普段過ごす自分の休暇と比べて抱く僅かな嫉妬に苦笑を噛み締め、なるべくまっすぐ前を見て歩を進めていく。定まらない間隔でぴーんぽーんと間の抜けたアラート音を鳴らしている改札が見えて来たあたりで、ポケットのスマホが低く唸った。


『急にごめんね。15時からの打ち合わせ、先方の都合で来週にリスケだって』


 そそくさと切符売り場の隅にハケて耳に当てたスピーカーから聞こえたのは、枕ことばとは裏腹に全く悪びれていない先輩の声だった。


「あんなに急かしてきたのに……?だったら丸1日休めば良かったな」

『まあまあ、いいじゃない。言ってたでしょ?まだ今一納得できるイメージが固まってないって』


 二段階に出鼻をくじかれたこちらの落胆を、先輩はからついた笑い混じりに受け流す。さらに返す刀で痛い所を突かれ、続けようとした反論と愚痴を封じられてしまった。

 思わず天井を仰いだせいで、頭の後ろをごちんとぶつけてしまう。衝撃に身体全体が揺れ、肩の斜面をトートの紐が滑り落ちた。


「だって、しょうがないじゃないですか……っと」


 言葉尻に勢いをつけて身を屈め、辛うじて自立を保つような形で落ちたトートを拾い上げる。幸い飛び出たのはサブポケットに入れていたメモパッドとボールペンだけだった。開いたままのページには輪郭だけを引かれただけの駅舎と、フリーハンドで切り取られたキャプションを入れるための枠組み。代理店へ赴く前に、表のカフェで描いていたものだった。


「なにせ向こうが一切、具体的な要望伝えて来てないんですから」

『「望郷と憧憬」だっけ?確かに、せめてあらすじくらいは教えてほしいもんだよね』


 言葉尻に漏らす鼻息を交えて同情を示す先輩へ、こちらも負けじと閉じた歯の間へ通した息で憤懣を返してやる。

 ずっと不要な苦労を背負わされている気がしていた。考えあぐねた末にキーワードをまるごと両親へ投げてみたところ、やおら良案とばかりに返ってきた有名な演歌の一節。苦し紛れにそれをサブスクで訊きながら描いてみたものの、このアイデアも遠からずゴミ箱行きだろうなという直感がすでにあった。

 何せ『暗い顔して北に向かう人』が見当たらない以前に、ここから出る『夜行列車』も10年近く前に廃止されている。名曲は色あせないのかも知れないが、だからといってモチーフまでもが普遍的な訴求力を保持するとは限らない。

 ……年末進行もうっすら見え始めるこの時期に突然舞い込んできた、演劇のポスターデザインの依頼。国内でも指折りの劇団か何か知らないが、その広報担当がいちいち持って回った言い回しで展開やらオチやらの核心を避けるせいで、こちらはラフの段階から苦心を重ねる羽目になっていた。

 はじめはせめてもの救いだと思っていた余裕のあるスケジュールも、雲を掴む様な依頼の前では却って逆効果だとすぐに思い知った。半端に時間があるせいで出来上がったラフを見直す度、果たしてこれで良いのだろうかという疑念が絶えることなく湧き上がってくる。

 これが答案の見直しであればミスに気付いて一安心……ということもあるのだろうが、いかんせんデザインというものには明確な正解が存在しない。更に相手の求めるものも碌に見えてこない状況とあっては、日を追うごとにただただ不安がいや増すばかりだった。

 

 ──テーマやキーワードだけでなく、もう少し具体的な情報をお伝えいただければ幸いです。


 言い回しを変えて何度伝えたか、いつしか数える気も失せていた。

 その上返って来るメールやら電話は一切要望に応える気配すらなく、代わりにやっぱりどうにも鼻持ちならない上から目線で押し通そうとしてくる。暖簾に腕押し、おまけに押した腕にはいちいち汚れが付いてくるおまけつき……そんなやり取りを日々重ねて日々機嫌を悪くしていく私を見かねて、部署の上長でもある彼女が動いてくれた。

 画面越しでは埒が明かないだろうと気を利かせて、ようやく今日の午後に対面する席を設けてくれたのだが──結局は再び出足を払われた形に終わった。


『自称「クリエイティブ」な連中は、決まって横文字と抽象的な事しか口にできないものよ。せいぜい反面教師にしてやんなさい』

「こっちの実務に影響出されちゃ、たまったもんじゃないですけどね。劇団に身を置いてるからって他との窓口まで芸術家気取られても、こっちは困るだけですよ」

『あはは……いざとなったらアタシも知恵を捻ったげるから──』

「だったらポスターのイメージくらい、一発で伝わるような言葉を選んでよって話ですよ」


 こちらの止まらない毒舌に、ひゅうとわざとらしい口笛が返って来る。

 といっても、別にこちらの舌鋒に感心したわけではない。彼女が時々見せるこの外人じみたリアクションは話が面倒な方向に転がりそうになった時、とりわけさっさと打ち切るための布石として挟む癖だった。滅多に配置換えの起きない部署内で私だけが看破していると、はじめは内心優越に浸っていた。だが最近、つまりは私が他の人より多くこの対応をされているだけに過ぎないという事実に気づいた。

 人と話題を見てブレーキとアクセルの具合を決めよう。毎晩寝る前にひとり行う反省会は、こうして今日も活かされずに終わる。


「……すみません」

『いいのよ。愚痴を聞くのも上司あたしの役目。それに、むしろ溜めてるストレスの分だけ、一層旅行が楽しくなるってもんでしょ?』

「あ、あー……」


 無理矢理楽しい話題にハンドルを切った事で、先輩の声には再び弾みが戻る。

 そんな彼女とは対照的に、こちらはいっぱいに間延びさせた相槌を返すのがやっとだった。


『で、どこか行きたいとこ、見つかった?』

「そう……ですねぇ」


 まるでこっちが乗り気じゃなかったみたいじゃない。

 空手に終わったことをどうにも言い出せず、窮する。

 もとより今日の半休で代理店へ足を向けたのは、煮詰まった私を案じた彼女からの提案だった。

 気分転換には旅行がうってつけだ、有給も溜まっているしこの案件が終わったら一度羽を伸ばしてきたらどうか──日付の変わろうとしているオフィスでふたり居残っている最中、この上ない妙案だとばかりに息巻いてきた彼女の姿を思い出す。その時の私は決して勢いに負けただけではなく、確かな魅力を感じて応えていたはずだった。

 生まれながらの出不精であるこの身にとって、休暇を旅先で過ごすというのはまず思い浮かばない選択肢。そこには新たな体験があって、覚える刺激はなんとなしに日々感じている行き詰まりに穴を開けてくれるかも知れない。

 行き先なんてどこだっていい。修学旅行すらも仮病を決め込んで参加しなかったのだから、どこへ行こうが未体験で溢れている筈だ。

 ……確かにそう思っていたんだけどなぁ。店に入るまでは。 


『慌てて探すものでもなし、か。ま、ゆっくりやればいいのよ。仕事も行き先探しもさ』


 こちらが返答に窮していると見るや、まるで散らかった机の上へ腕を払うように、先輩はさっと話題を片付けに掛かった。時折雑にあしらわれはするものの、対応の根元にあるのはあくまで面倒見の良さと厚意。つくづくこの人が先輩であり上司で良かったと、人の巡りに感謝してしまう。


 ──それに答えられているかどうかは、また別問題なのだけれど。

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