秋犬

心の入れ物

 従兄弟のりょう兄ちゃんは私の憧れだった。勉強も運動もよく出来て、気は優しくておまけにかっこいい。亮兄ちゃんは同じ学校で私の二学年上だったので、みんなからよく「亮のイトコの方」と私は揶揄された。でも私も亮兄ちゃんがかっこいいと思っていたから、「イトコで羨ましいでしょう?」と言い返した。ちょっぴり痛む私の自尊心なんて、膝小僧を擦りむいた時より痛くはなかった。


 私ですらそんなことを言われていたので、当の亮兄ちゃんへのやっかみはすごかった。中学に上がって余所の学校から来た意地の悪い連中が亮兄ちゃんを虐めにかかったことがあったらしいけれど、亮兄ちゃんはうまく立ち回った。気がついたら虐めっ子はみんな大人しくなって、隅っこで小さく丸くなるようになったらしい。不登校になった子もいたという話も聞いた。


 いよいよ私も中学へ上がり、やはり余所の学校出身の人から嫌なことを言われるようになった。思い切って亮兄ちゃんに相談すると、亮兄ちゃんは笑ってこう言った。


早希さきちゃん、そういう時は人の心を食うんだよ」

「何それ?」

「いじめをしてくる奴って言うのは、自分の心が満たされなくて空っぽになってるんだ。だから満たされた人間の心を狙うのさ」


 亮兄ちゃんの言っていることはよくわからなかった。


「じゃあ、満たしてあげればいいんじゃない?」

「残念なことに、満たされていることに気がつかない連中は多いんだ。だから、皿を壊してやるのさ。そうすれば、満たすことができなくなるからね」


 やはり亮兄ちゃんの言うことはよくわからなかった。それでも何らかのアドバイスだと思って、私は頷いておいた。亮兄ちゃんは受験でもいい成績を残して、風通しのいい進学校へ進んだ。一方の平凡な私は、平凡なせいでいじめのターゲットになっていた。


「サのやつさあ、今朝校門で見たんだ!」

「マジ? 朝からサとかきついね!」


 私の目の前で繰り返される、意地の悪い会話。私に構ってほしいのか、私を遠ざけたいのかよくわからない。ただ剥き出しの悪意だけが私に突き刺さる。物を隠されたり、暴力を振るわれたりという露骨な嫌がらせはない。でもちくちくと迫る悪意が私を追い詰めた。


 机の中を探ると、ぐしゃぐしゃになった捨てるはずのプリントがたくさん入っていた。ただプリントが入っていただけで、担任に訴えたとしても過失であってこれはいじめではないと彼女たちは言い切るだろう。私は無言でゴミ箱へプリントを捨てると、彼女たちはきゃいきゃいと喜んでいるようだった。一体何が面白いのだろう。


『奴らは満たされた人間の心を狙うのさ』


 亮兄ちゃんの言葉を私は思い出した。つまり、私は彼女たちによって満たされた人間だと認定されているわけか。そんな私の心を空っぽにしようと、空っぽな心の彼女たちは私の満たされた何かを狙っている。同じような空っぽ仲間にしようとしているのか、あるいは壊れた私を見て笑いたいだけなのか。


『だから、皿を壊してやるんだ』


 皿、とは一体何だろう。亮兄ちゃんは高校になって毎日遅くまで好きな部活に勤しんでいるらしいので、私は私なりに考えてみることにした。


 心の反対は、身体だろうか。虫ケラどもに直接暴力を振るう? 亮兄ちゃんがそんなことをしたとは思えない。じゃあ、どうすれば心の入れ物を壊すことが出来るんだろう。


 心の入れ物を、壊す……?


 それから、私はよく勉強して運動もした。何でも一番を目指すことにした。それだけでなく、完璧な振る舞いを心がけた。先生には気に入られるようにして、虐めをしてこない友人たちには朗らかに接した。みんなに私を気に入ってもらうようにした。


 そうして、虫ケラにも笑顔で接するようにした。プリントを手渡すときなど、わざと声をかけるようにしてやるんだ。


「あ、この前のテストの成績良かったんだって? すごいじゃない!」


 この言葉がけで、だいたいの人は意地悪をやめて謝ってきた。それはそれで良かったのだが、残った虫ケラ二人はしつこく私に嫌がらせをしてきた。


「ねえねえ、サって調子乗ってね?」

「サと一緒にいると空気気まずいんですけどー!」


 そう私のネガティブキャンペーンに勤しんでいたが、直に虫ケラの一人が学校に来なくなった。一人で頑張っていた最後の奴は、クラスで浮きまくることになった。そこで、遠慮なく私は虫ケラの皿をたたき割ることにした。


「あれ? ひとりで帰るの? 一緒に帰ってあげようか?」


 放課後寂しそうにしていた虫ケラは案の定、ブチ切れた。


「そうやって煽ってくるところとか本当ウザいからマジで空気読めよ! てめえのせいで空気悪くて仕方ないんだから、死ねよ!」


 虫ケラがどれだけ羽根を震わせても人間には敵わないのだけど、私は優しいので虫ケラの鳴き声を一生懸命聞いてあげることにした。


「気に障ったらゴメンね、じゃあずっと声かけないであげるね。クラスのみんなにもそう言っておくから」

「コラ本当に性格悪いな!? だからキモサって呼ばれてんの知らねえのか!? バッカじゃないの!?」

「知らなかったー、教えてくれてありがとうね。先生にも相談しておくから」

「待てよふざけんなよ、キモサのくせに調子乗ってんじゃねーよ!」


 虫ケラの鳴き声が大きくなったので、クラスのみんながやってきた。


「大丈夫早希ちゃん?」

「こんな奴の言うこと真に受けちゃダメだよ」


 私の活動のおかげで、清く正しく美しい友人たちが私を庇ってくれた。既に担任を呼んできてくれた人がいたので、虫ケラは自主的に逃げていった。駆けつけた担任によって、私は生徒指導室に連れて行かれた。そして担任は一部始終を聞いて、こんなことを教えてくれた。


「確かに悪口はよくないが、お前もあまり他人を追い詰めすぎるもんじゃないからな。お前のイトコがいただろう? あいつもお前みたいに虐められていてな、男のことだからもっと酷かったらしいが、虐めに関わった奴らの親が全員半年以内に離婚してな……俺はその時生徒指導をしていたから念のためアイツに何もしてないか確認したら、中学生に何が出来るんですかって流されちまった。今回お前を見ていて思ったよ。なあアイツ、本当に何にもしてないのか? 今度会ったら責めたりしないから何をしたのか教えてくれないかって伝えておいてくれ」


 そうか、私は「皿」ってプライドのことだと思ってたんだけど、違ったんだ。やっぱり亮兄ちゃんは凄い人だった。私も亮兄ちゃんみたいになれるよう、頑張ろう。


〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

秋犬 @Anoni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ