第7話 涙のプリズム

第7話 涙のプリズム


 北へ向かう街道沿いに、遠くからでも槌音が響く街がある。


 職人の街、スミスポート。大陸中から腕利きの鍛冶師や魔導具職人が集まり、昼夜を問わず鉄を打つ音が絶えない場所だ。煙突からは常に煙が立ち上り、街全体が煤と鉄の匂いに包まれている。


 その街の入り口で、悲痛な溜息が漏れた。


「……はぁ。軽くなっちゃいました」


 ルナが自分の手元を見つめて呟く。


 彼女の手にあるのは、何も握られていない空虚な空間だ。愛用していた安物の樫の杖は、先日の特訓で砕け散り、灰となって風に消えた。


「荷物は軽くなったのに、心は鉛のように重いです……」

「道具は消耗品です。機能しなくなれば更新する。それだけのことです」


 ノエルは淡々と告げ、石畳の大通りを歩き出した。


 道の両側には、武具屋や工房がずらりと並んでいる。店先には剣や槍、煌びやかな鎧が飾られ、熱気と共に職人たちの活気ある声が飛び交っていた。


「わぁ……すごい。キラキラしてますね」


 ルナがショーウィンドウに飾られた宝石付きの杖を見て、少しだけ目を輝かせる。


「師匠、あれなんかどうですか? ピンク色の宝石がついてて可愛いです!」

「あれは装飾過多です。魔力伝導率よりも見た目を重視した貴族向けの玩具ですね。あなたの出力に耐えられるとは思えません」


 ノエルは一瞥もくれず、大通りを外れて路地裏へと進んでいく。


「えーっ、可愛いのにぃ。……どこ行くんですか?」

「量産品に用はありません。あなたの特異な魔力特性に合わせるなら、オーダーメイドか、あるいは訳あり品を扱う店でなければ」


 ノエルが目指していたのは、観光客など寄り付かない、煤けた裏路地の一角だった。


 古いレンガ造りの建物。看板には、読みづらい文字で『工房・鉄の金槌』とある。


「……ここです」


 ノエルは懐かしそうに、錆びついた看板を見上げた。


 七九年前、戦士ガストンが愛用していた店。『俺の戦斧(相棒)を任せられるのは、ここの頑固親父だけだ』そう言って、ガストンはいつもこの店で何時間も油を売り、酒を飲み、武器の手入れをしていた。槌音と笑い声が絶えなかった場所。


 今は、静まり返っている。


 重い扉を開けると、カウベルが乾いた音を立てた。


 店内は薄暗く、埃っぽい匂いがした。棚には修理待ちの武具が無造作に積まれているが、人の気配がない。


「ごめんください……?」


 ルナがおそるおそる声をかける。


「……今日は休みだ。帰ってくれ」


 奥の作業場から、不愛想な声が響いた。


 現れたのは、一人の青年だった。背は低いが、岩のように隆起した筋肉。豊かな髭を蓄えた、ドワーフ族だ。


 彼はエプロンで手を拭きながら、面倒くさそうにこちらを睨んだ。


「聞こえなかったか? 今日は炉の火を落としてるんだ。急ぎなら大通りの店に行きな」

「……血筋ですね。客を追い返そうとする間の悪さも、そっくりです」


 ノエルはふっと口元を緩めた。


「ガストン・ブロンズビアードの紹介で来ました。……と言っても、彼はずっと昔にここを去りましたが」


 ガストンの名が出た瞬間、青年の目が鋭くなった。


「……じいちゃんの名を知ってんのか?」

「知っていますとも。彼は私の戦友でしたから」


 ノエルがフードを少し上げ、銀色の髪を見せる。


 青年は目を丸くし、それから鼻で笑った。


「はっ、笑わせるな。じいちゃんの戦友って言やあ、伝説の勇者一行だぞ? もう七九年も前の話だ。あんたみたいな嬢ちゃんが……」


 言いかけて、青年の目がノエルの首元――包帯の下にある気配に吸い寄せられた。


 ドワーフ族特有の、魔力の本質を見抜く目。


「……おいおい。マジかよ。時が止まってやがる」


 青年は乱暴に頭を掻いた。


「俺はボルド。ガストンの孫だ。……じいちゃんから話は聞いてるよ。『化け物じみて若くて、生意気な魔法使い』の話をな」

「生意気は余計ですが、概ね合っています」


 ノエルは涼しい顔で肯定した。


「要件は単純です。この弟子に合う杖を探しています。予算は……これくらいで」


 ノエルが金貨を数枚提示すると、ボルドは興味なさげに鼻を鳴らした。


「金の問題じゃねえ。……合う杖、だと? そのひよっこにか?」


 ボルドがルナを値踏みするように見る。ルナは萎縮してノエルの背中に隠れた。


「ひよっこですが、使い方は乱暴です。恐怖心から常時最大出力を流し込み、物理的負荷もかけます。並の杖では一日で炭化するでしょう」

「……なるほどな。下手くそな魔力制御を、杖の耐久性でカバーしようってか」


 ボルドは呆れたように溜息をつき、それから少し考え込んだ。


「……待ってろ。心当たりがなくもねえ」


 ボルドは店の奥へ引っ込み、やがて埃を被った細長い木箱を持ってきた。


 カウンターの上にドン、と置く。


「開けてみろ」


 ルナがおそるおそる蓋を開ける。


 中には、一本の杖が収められていた。


 長さは一メートルほど。柄の部分は白銀の金属で、先端には握り拳大の透明な結晶が埋め込まれている。その結晶は、薄暗い店内のわずかな光を受けて、七色の虹を放っていた。


「わぁ……! きれい……!」


 ルナが声を上げた。


 ガラス細工のように繊細で、触れれば壊れてしまいそうな儚い美しさ。


「『涙のプリズム』。じいちゃんが晩年に作った、最高傑作にして最大の失敗作だ」

「失敗作? こんなに綺麗なのに?」

「素材に使ってるのは『天泣石ティア・クリスタル』っていうレア鉱石なんだがな……致命的な欠点がある」


 ボルドがカウンターにあった鉄屑を拾い上げ、杖の結晶部分に軽くコツンと当てた。


 ピキッ。


 たったそれだけの衝撃で、結晶の表面に微細なヒビが入った。


「ええっ!?」

「見ろ。魔力を通してない時は、ガラス細工より脆いんだ。ちょっとぶつけただけで砕け散る。こんなもん、実戦で使えるかよ」


 ルナの顔が青ざめる。


「そ、そんなぁ……。すぐに壊しちゃいますよぉ……」

「だがな」


 ボルドはニヤリと笑った。


「こいつは魔力感応度が極端に高い。魔力を流している間だけ、その魔力を吸って硬度を増す特性がある。……普通の魔導師なら、戦闘中に常時魔力を流し続けるなんて芸当はできねえ。すぐにガス欠になるからな」


 ノエルが頷いた。


「ですが、ルナなら可能ですね」

「え?」

「あなたは常に怯えている。敵を前にすれば、無意識に杖を握りしめ、過剰なまでの魔力を込め続けている。……その『無駄』が、この杖には必要なのです」


 ノエルはルナに杖を持たせた。


「握ってみなさい」


 ルナは恐る恐る、杖を握りしめた。


 ひんやりとした感触。


(壊さないように……でも、守らなきゃ……)


 彼女の魔力――「壊れたくない」「守りたい」という強い意志の力が、杖へと流れ込む。


 ブォンッ! 杖が低い共鳴音を立て、七色の光が強まった。ヒビが入っていた箇所が、光に満たされて修復されていく。


 ストーンモンキーの投石すら弾いたルナの魔力を、この結晶は底なしに飲み込んでいく。


「……すごい」


 ルナは呟いた。


 重い。物理的な重さではない。魔力の通り道としての「太さ」が、手に吸い付くようだ。脆くて、手がかかって、魔力を欲しがる杖。まるで、寂しがり屋の自分そのものみたいだ。


「……私、これがいいです」


 ルナは杖を胸に抱いた。


「この子となら、一緒に頑張れる気がします」


 ボルドは満足げに鼻を鳴らした。


「持ってけ。どうせ誰も使えねえガラクタだ。じいちゃんも、倉庫で腐らせるよりは、使ってくれる奴がいた方が喜ぶだろうよ」



 その夜、二人は街の宿に泊まった。窓の外からは、夜になっても止まない槌音と、蒸気の噴き出す音が聞こえてくる。


 ルナはベッドの上で、新しい杖を熱心に磨いていた。


「名前、つけなきゃですね。『プリズムちゃん』かな、それとも『キララちゃん』かな……」


 新しい友達ができた子供のように楽しそうだ。


 ノエルは窓枠に腰掛け、街を見下ろしていた。無数の煙突から上がる火の粉が、星空に混じっていく。


 七九年前。この街の酒場で、ガストンと飲み明かした夜があった。


『俺たちの武器はな、職人の魂がこもってんだ。だから俺たちが死んでも、武器だけは残る。誰かの手に渡って、また新しい物語を紡ぐんだ』


 酔っ払ったガストンの言葉。


 ノエルは懐から、ボロボロになった「民間魔法集」を取り出した。


 これもまた、誰かが遺し、巡り巡って自分の手元に来たものだ。形あるものは壊れる。人も死ぬ。


 けれど、そこに込められた想いや技術は、形を変えて受け継がれていく。ガストンの作った失敗作が、半世紀の時を超えて、ルナという臆病な少女の手で輝きを取り戻したように。


「……ルナ」

「はい?」

「その杖、大事になさい。……それは、私の友人が遺したものですから」


 ルナは手を止めて、真剣な顔で頷いた。


「はい。……私の命と同じくらい、大切にします」


 槌音が、子守唄のように響いている。街は眠らない。火は消えない。過去の熱を孕んだまま、時間は確かに進んでいる。


 ノエルは目を閉じた。この騒がしい音が、今夜は心地よかった。

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永遠の魔法使いは、愛の言葉を求めて旅をする ひより那 @irohas1116

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