第6話 臆病者の才能
第6話 臆病者の才能
鏡の湖ミラルカを離れ、一行はさらに北へと進路を取った。
景色は一変し、ゴツゴツとした岩肌が露出した乾燥地帯が続いている。太陽が照りつける中、乾いた風が吹き抜ける。視界は良好。隠れる場所などない、開けた荒野だ。
「……良い地形です」
ノエルは足を止め、満足げに頷いた。
「え? 何がですか?」
汗を拭いながらルナが尋ねる。
「実験場としてです。……ルナ、荷物を置きなさい」
「はい? 休憩ですか?」
ルナが喜んでリュックを下ろそうとした瞬間、ノエルは杖で前方の崖を指した。
「休憩ではありません。計測です。あなたの防御魔法が、実戦でどれだけの負荷に耐えられるか、限界値を測定します」
ノエルの言葉と同時に、崖の上から「キキッ!」という甲高い鳴き声が響いた。
見上げれば、岩肌にへばりつく無数の猿の影。その手には、握り拳ほどの石が握られている。
ストーンモンキー。この地域に生息する、投擲を得意とする魔物だ。
「えっ、ちょ、ちょっと! いっぱいいますよ!?」
「彼らが投げるのは、体内で魔力を込めた硬化礫です。直撃すれば人体など容易く貫通します」
ノエルは淡々と説明し、一歩下がった。
「条件は一つ。私が許可するまで、絶対にシールドを解かないこと。……回避行動は禁止です。全て防ぎきりなさい」
「そ、そんな無茶な! 師匠は戦わないんですか!?」
「特訓です。私は記録係に徹します」
言うが早いか、崖の上から一斉に石礫が放たれた。
ヒュンッ! ヒュンヒュンッ! 風を切る音が、まるで矢の雨のように降り注ぐ。
「わぁぁぁぁっ!!」
ルナは悲鳴を上げ、杖を突き上げた。
「《シールド》!」
青白い光の半球が、二人を包み込むように展開される。
ガガガガガッ! 激しい衝撃音が響き渡った。
石礫が障壁に激突し、火花を散らして弾かれる。一発一発が、まるで鉄球のような重さだ。
「うぐぅ……っ! お、重い……!」
ルナは歯を食いしばり、必死に杖を支えた。
魔物は手を休めない。次々と新しい石を拾い、連続で投擲してくる。終わりのない、岩の雨。
ノエルは障壁の内側で、優雅に腕組みをして観察していた。
「……障壁強度、良好。多重構造による衝撃分散も機能しています。ですが、魔力効率が悪いですね。もっと薄く、鋭く展開しなさい」
「そ、そんなこと言われてもぉ! 怖くて手加減なんてできませんよぉ!」
ルナの顔から余裕が消えていく。
防御魔法は、受けた衝撃の分だけ術者の魔力を消費する。これだけの数の攻撃を受け続ければ、魔力は湯水のように削られていく。
「あ、足が……震えて……」
五分が経過した頃、ルナの膝が笑い始めた。額から大量の汗が流れ落ちる。
「師匠……まだですか……? もう、魔力が……」
「まだです。魔力が底をついてからが、本当の特訓です」
ノエルは冷徹だった。
魔物は疲れる様子もなく、むしろ獲物が弱るのを見て攻撃を激化させている。
ガキンッ! バキンッ! 障壁の表面に、微かな亀裂が走り始めた。
「あ……」
ルナの顔が青ざめる。
割れる。この盾が割れたら、私たちは肉塊になる。怖い。痛いのは嫌だ。死にたくない。
「いやだ……いやだぁぁぁっ!」
ルナが絶叫し、最後の魔力を振り絞った。
亀裂が修復され、障壁が眩い光を放つ。恐怖心が魔力回路を限界以上に活性化させ、一時的に強度を跳ね上げたのだ。
「……素晴らしい」
ノエルは小さく頷いた。限界ギリギリでの出力上昇。生存本能こそが、彼女の才能の源泉だ。
だが、それも一瞬の輝きに過ぎない。
プツン、と糸が切れるように、ルナの力が抜けた。
「……もう、無理……」
杖を取り落とす。障壁がガラスのように砕け散った。
頭上から、数十個の石礫が殺到する。
ルナは死を覚悟して目を閉じた。ごめんなさい、ハンス君。私、モテる前に死んじゃうみたい。
しかし。
いつまで経っても、痛みは来なかった。
「――よく耐えました」
静かな声が、頭上から降ってきた。
目を開けると、そこにはノエルの背中があった。
彼女は杖を一振りもしないまま、ただ右手を空にかざしていた。
それだけで、降り注ぐ全ての石礫が、空中でピタリと静止していた。風魔法による精密制御。全ての石の運動エネルギーを、逆方向の風圧で相殺したのだ。
「防御のテストは合格です」
ノエルは振り返らず、空中の石礫を見上げたまま言った。
「ですが、実戦では不合格です」
「え……?」
「あなたが防いでいる間、敵は無傷でした。魔力が尽きれば、あなたの防御は消え、敵の攻撃だけが残る。……結果は死です」
ノエルが指を鳴らす。
静止していた無数の石礫が、きびすを返すように向きを変えた。標的は、崖の上の猿たち。
「防御だけでは勝てません。生き残るためには、相手の攻撃を終わらせる必要がある」
「《リターン・ショット》」
ノエルが手を振り下ろす。
空中の石礫が、放たれた時以上の速度で撃ち返された。
ドドドドドドドッ! 豪雨のような着弾音。猿たちは悲鳴を上げる間もなく、自分たちが投げた石によって薙ぎ払われた。
一瞬の静寂。崖の上には、もう動くものは何もなかった。
ルナはへたり込んだまま、その光景を呆然と見つめていた。
「守るだけじゃ、ダメ……」
「そうです。私がいなければ、あなたは今頃死んでいました」
ノエルはルナに向き直り、冷たく言い放った。
「私があなたを弟子にしたのは、魔法使いとしての才能を見出したからです。私の後ろに隠れるためではありません」
ノエルはルナの手を取り、立たせた。
「考えなさい、ルナ。攻撃ができないあなたが、どうすれば敵を倒せるのか。その強固な盾を使って、どうやって『勝利』をもぎ取るのか」
「盾で……勝つ……?」
ルナは自分の杖を見つめた。
ただ防ぐだけではない。痛いのを我慢するだけではない。
まだ答えは出ない。だが、ノエルの放った「撃ち返し」のイメージは、ルナの脳裏に深く焼き付いていた。
「……分かりません。今はまだ」
ルナは悔しそうに唇を噛んだ。
「でも、いつか絶対に見つけます。師匠に頼らなくても、私のやり方で勝つ方法を」
「期待していますよ」
ノエルは歩き出した。
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