第2話 播磨助雨平 その2




「こいよ」


「テメエ……! どこまでもなめやがって……!」




 一触即発。





「おい」



 張りつめた空気をかき消したのは、洗い場の上座に腰をおろしていた坊主頭の男。


 彼は桶にたまった湯を頭から流したあとで、「その辺にしておけ」とつづけた。



 すると剃刀を持った男が、一瞬で姿勢を正し、そちらへ顔をむける



「登久寺の兄貴……しかし、こい――」

「おい。今、俺はなんて言った?」



 坊主頭の登久寺という男は、異論を唱えた部下を、鏡越しに睨みつける。



「……!? すす、すんませんでした兄貴!」


「それと、さっさとソイツを起こせ」


「はい! すみません! ……オラ、さっさと起きろ!」



 冷水を浴びせられて目を覚ましたチンピラ。起きたところでまた騒いだので頭を一発叩かれて落ち着く。



「ウチのモンが失礼した。風呂の邪魔をしたな」



 登久寺が座りながら振り返り、興ざめした顔の助雨平に言う。



「本当だよ。おまえらのせいで何人帰ったと思ってんだ」


「おいテメエ! 気安く――」

「よせ。……四人か?」


「開けてすぐさま出ていったヤツも含めて五人だ」


「そうか。お前もよく見ているな。しかし随分と鍛えていやがる。……それになんだ、桶を持つのは想像できたが、まさか目潰し用のシャンプーまでこしらえるとは。驚いたぞ」



 否、驚いたのは助雨平だった。



 登久寺の座っている位置からでは助雨平の動きは腹より上しか見えていないはず。それに剃刀の男にも隠し持っていることは気付かれていない。


 すなわち、登久寺もこういった荒場には慣れているようだ。



 助雨平はシャンプーでべたつく手を洗ったあと、風呂に入り直す。



 すると洗い場から立ちあがった登久寺は誰もいない浴槽がもう一つあるにもかかわらず、わざわざ助雨平のいる浴槽に足を入れ、その隣に腰をおろした。





 静まり返る男湯。よく聞こえるクラシック。





「いい湯だ」


「……そうだな」


「ウチのモンに難癖つけられて、どうして引かなかった」



 その口調は尋問に近い。助雨平は言った。



「引く理由がどこにあるんだよ」


「……もしアイツらが本気で手ぇ出していたら、どうしていたんだ」



 助雨平はため息をもらす。湯心地からくるものではない。



「なんか勘違いしていないか?」


「何をだ」




「おまえらこそ《四人がかり》でもボコボコにされたらどうしていたんだ」




 登久寺の部下たちが血眼になって睨んできたが助雨平はつづける。



「一つ言っておくぞ。群れたときだけ態度がでかくなる奴なんざ、自分が弱くてダセえって言っているもんだ。そんな奴らに負けるかよ」



「……そうか」



 登久寺はそっけない相槌を打った。



 だがそこに人の温もりは含まれていない。ほんのりと敵意さえ感じられた。


 あれだけ罵倒すれば当然だろう。ほかの男たちも黙ってはいるが今にもキレそうである。



 登久寺は独り言のように語る。



「最近……俺等のような連中はサツからの締め付けがきつくてな。組の名前を出しただけで一目散に飛んできてワッパをかけにきやがる。まあ時代だ。


それのせいか不良どもはおろか一般人にも気安く扱われる始末だ……だがな、俺らはナメられたら終わりだ」


「ふうん」


「そろそろ風呂からあがったほうがいい。のぼせるぞ」


「お気遣いなく」




 二人の間に沈黙が詰まる。



 すると入浴してまだ長くない登久寺が立ちあがった。



「お先に」



 助雨平にそう告げた登久寺は浴槽を出ていき、出入り口の横に設置されたシャワーで冷水を浴びたあとそのまま出入り口の引き戸に手をかけた。


 そのとき登久寺が言い残す。




「俺はもうあがるが、お前らは……好きにしていい」




 引き戸がピシャリと閉まる。


 その言葉に別の意味が含まれているように感じとれたが、さらにボイラーで加熱された湯の熱によってその思考はぼやけた。




 だが、あることに気付く。




 登久寺の部下たちが全員こちらを見て立ちあがっていた。



 彼らを一瞥すると先程のチンピラが出入り口の前に立ちふさがっている。


 まるでこの場から助雨平を逃がさぬように。彼ら三人は、間違いなく助雨平を標的にしていた。



(なるほどな……『好きにしていい』ってことか)



 チンピラがニヤリと笑った。



「次回からはナメる相手を間違えないことだなガキ。安心しろよ、殺しはしねえ。ただすこしのぼせるだけだ」




 それらの目はどれも本気だった。





     ・・・・・





 助雨平は着替え終え、更衣室のロッカーを閉じる。



 番頭のお婆さんが今は留守にしていたので番台に風呂代を置いて更衣室を出ていった。



 玄関の古い下駄箱に木製の鍵をさして靴を取りだし、『ゆ』と書かれたいかにも銭湯らしい暖簾をくぐり、夜風を浴びた。



 午後十時を回っているためか一層に静かだった。



 入り口に置かれた自販機の隣ではワイシャツの胸元をゆるめたスーツ姿の登久寺が缶コーヒーを灰皿代わりに紫煙をくゆらせていたが、助雨平に気付くと怪訝な顔をして煙草を口から離した。



「お前、どうして先に……」


「なにか」


「……いや。なんでもない」



 登久寺が煙草をくわえ直し、眉間に皺をよせる。



 どうやら銭湯から平然とでてきた助雨平について思案しているようだったが答えが浮かんだ様子でもなかった。



「あんたの部下なら風呂で我慢比べしていたよ。負けた奴はジュースを奢るんだと」


「……そうか」



 もちろん納得した様子ではない登久寺。助雨平も自販機で缶ジュースを買った。



「じゃあな」



 夜道を歩いていくと、銭湯の前から登久寺が叫んだ。



「なあ! あいつらは好きにしていたか!」



 おかしな質問をするな、と鼻で笑った。


 振り返って登久寺の目をじっと見つめる。




「俺もちゃんと言ったよな。負けるわけがねえって。もしかしてただ威勢を張っているだけだと思ったか?」


「おい、まさか――」


「おまえらがナメられるの嫌なのはわかるけどさ、今回はナメたのどっちだ……なあ、おい。俺も『好きにさせて』もらったぞ」




 風呂をあがったばかりの登久寺の頬から冷や汗が垂れる。助雨平から目をそらし、煙草を消した登久寺は急いで銭湯の暖簾をくぐっていった。




それを見た助雨平もその場を後にした。

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