畏能 ーイノウー
タカノハナ
第1話 播磨助雨平 その1
――カコーン。――ザパァーン。
「あぁ…………生き返るぜ……」
高校生でありながら播磨助雨平は、夜の銭湯でオヤジくさい声をもらしていた。
ボイラーで熱せられた湯の熱を、だらりと頭を浴槽の縁に預けて味わえば、普段の力強い助雨平の目つきも力なくゆるむ。
(…………腹、へってきた……)
どうでもいいことを思いながら銭湯特有の高い天井をぼうっと口をあけて眺めると、そこへのぼっていく白い湯気たちがまるで浄化されていく魂のように見えて、
ふと、自分が死んだときはきっとこんな光景を見るのだろうな、と思った。
熱の心地よさに目を閉じれば、浴場に少しばかり流れるしっとりしたクラシック音楽が耳さえもほぐしていく。
「…………ふぅ」
湯をすくい顔にかけ、首元まで浸かる。ささやかな至福。
しかし。
のんびりとした助雨平とは裏腹に男湯の空気はピリピリと張りつめていた。
原因は客層にある。
男湯にいる客は助雨平を含め、五人。
そのうちの四人は背中に恐ろしく鮮やかな刺青が彫られている。
もちろん助雨平の背中にはなく、つまり助雨平以外は『ソッチ系』の客。
はじめは一般の客も浴場にいたが、ぞろぞろと入ってきた彼らの背中を拝見したところで足早に湯からあがっていった。
なかには男湯の出入り口の引き戸を開けた途端になにかを察してそのまま閉めて帰っていった者まで。
昔ながらの銭湯ではこういった客もさほど珍しいものでもない。
結局、浴場に残ったのは彼ら四人と助雨平のみ。
今は壁際の洗い場一列には、虎やら般若やら不動明王やらが並んでいる。
(……浮世絵の展示ブースかよ)
皮肉めいた思考をしていると展示ブースから男が一人、浴槽の前にやってくる。
「おいテメエ、ガキ。なにガンとばしてんだ。ああ?」
「え?」
「だからなにガンとばしてんだって言ってんだろうがぁ!」
「いや、べつに」
「出ていけや。ぶっとばすぞ」
下っ端風情のチンピラ男は聞く耳をもたなかった。
ほかの奴らもとめようとはせず、むしろ怒鳴られる助雨平を見てニヤニヤしている。
おそらく自分たちが入ってきても呑気に浴槽に浸かっているのが気に食わなかったのだろう。
助雨平は口元を湯に沈めたあと、ブクブクした。
「テ、テメエ! 話きいて――」
癪に障ったチンピラが詰めるように助雨平のいる湯船に足を入れる。
――ゴボッ!
引きずり込んだ。湯の中へ。
「………………フンッ……」
チンピラの首を裏からがっちりと腕で絞め固め、熱い湯の中に平然と沈める助雨平。
バシャバシャ、ボコボコ、と激しく湯船が揺れるが次第に弱くなり、静まった。
しっとりとしたクラシックが流れる。
湯の中からぐったりした人間を引き揚げ、それを通路へ難なくぶん投げると、
まるでタイルに落とした石けんのように滑っていき、座っていた彼らの横で停止する。
「風呂場を乱すんじゃねえよ。ぶっ壊すぞ」
湯船を出る助雨平。
その姿、およそ高校生と呼べるものではなかった。
滴る湯がそれらをなぞっていく。
頑健な肩周り、分厚く形成された胸筋や腹筋、引き締まり盛りあがる上腕や太腿、等々。
一月や二月で作られたものでは決してない。
強く抱いた信念を注ぎつづけることにより存在し得る強靭な塊。
そんな助雨平の肉体に漂う異常さに彼らも心底では驚いただろうが、なにぶん相手も引けない稼業。
「なめやがって……!」
奴らの一人が動き、手元に置いてあった剃刀に手を伸ばす。
それを見逃さなかった助雨平はすかさず移動し、中央の島の洗い場、ちょうど彼らとの間に腹の高さほどの壁を挟んだ場所で間合いを取る。
そして相手の死角で、左手には刃物への対抗策としてケロヨンと書かれた黄色い桶を握り、右手には目潰し用のシャンプーを手のなかに溜めこんだ。
助雨平は、臨戦態勢に入った。
「こいよ」
「テメエ……! どこまでもなめやがって……!」
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