六月の中頃。博徳はかとこらは石布いわしきを中心として大王おおきみたから(斉明天皇)に謁見した。彼女は静々と祝詞のようなものを述べると、唐へ渡るための勅を下して手元の節刀を掲げる。控えていた葛城かつらぎ鎌足かまたりはただただこちらへ笑顔を向けるだけだった。石布が節刀を授かったこの瞬間から、長い旅が始まる。

 節刀は、天皇の代わりとして唐へ出向くことの証。大王からの餞別でもあり、遣唐使にとっての重荷そのものでもあった。それでも、人など斬ったことはなかろう刀の装飾の美しさは確かである。我々は、確かに、確かに大王から任ぜられた国の使いなのである。巧みに盛り込まれた鞘の装飾だけが、きらきらと大和の朝日を受け止めていた。


 なだらかな飛鳥の山々を目に、博徳らは難波へと下った。早くても一年はこの景色を見ることが出来ない。そう思うと、毎日見ているはずの景色がどうも愛おしくなった。

 前を行く副使の吉祥きさが、ふと歩みを遅めて嗚咽のようなものを漏らした。街道にいた幼子が懸命に吉祥へ手を振っていた。まだ三つばかりに見えた。吉祥に良く似たまろい目元にあるのは、見送りの意味さえ分からぬまま、祭りの如き賑やかさの中で父を見つけた喜びだけだった。

 石布いわしき稲積いなつみも、同行する神官や留学僧や通訳おさもそれぞれに涙を堪えていた。彼らにも家庭はあろう。たった十ばかりの我が子を、二十年も異国へ遣わす母親もおろう。父母にとっての二十年後など、死ぬかどうかの瀬戸際である。少年が青年となって無事に帰ってきたとしても、親と再会出来るとは限らなかった。この使節団が幾人もの寄せ集めなのだという事実を、博徳はやっと肌身に感じた。

 飛鳥寺のそばまで来て、柳の下に三人の人影を見た。妻の三奈子みなこと二人の子らだった。他の女人とは違い、三奈子は一切涙を見せなかった。しかし、昨晩博徳の部屋を訪ねてきた彼女が強がっていたことくらい分かっている。手渡された上衣の紐は既に固く結ばれていた。博徳はそれの意味を知っているが故に、解かずに身につけて一度だけ小さく抱きしめてやった。夫や子が無事に帰ってくるまで、衣の紐を解かずにおくおまじないだった。海へ出る家の者たちは昔からそうやって家族の航海を祈っていた。博徳も、幼い頃新羅へ渡った父へ紐を結んでやった記憶がある。普段まじないなどやらぬ三奈子だからこそ、彼女なりに不安なのだろうと思った。しかし、行かぬわけにはいかない。博徳には、寝ぼけ眼の子らと共に、三奈子へ身を寄せてやることしか出来なかった。


 昨晩のことを思い出しながら、博徳は小さく笑って三奈子の視線を受け止めた。無邪気に手を振る古麻呂こまろを撫でながら、三奈子もまた笑った。相変わらず強気な笑みだったが、娘の弥央みおと繋がれた手が少々白んでいた気がした。

「早帰りませ、早帰りませ」

 ふと、見送りの観衆から声が上がった。連なるように、人々が歌を口ずさむ。

「早帰りませ、早帰りませ、栄えてあり待て梅の花」

「早帰りませ、早帰りませ、大和は日の出ずる国」

 一人が唄えばまた一人。子が口ずさめば母もまた。学堂から飛び出してきた少年たちが、賑やかし半分に笛を吹いた。手拍子が飛鳥の空を包み、行列の足並みも自然と揃った。人混みから出てきた役人たちが、沸き立つ人々を押さえつける。それでもきかない子供たちが、追いかけるように行列の後をついてまわった。

 都に広がった大和歌は、それからしばらく続いた。博徳らは出立後のことを知る由もない。しかし、行列が見えなくなって役人たちが人払いを始めるに至るまで、長い間続いていた。昇った日に祈るように、ずっとずっと続いていた。

 歌が聞こえなくなってからは、嗚咽だけが聞こえる物悲しい旅路となった。それでも山を越えた遣唐使一行は、斉明天皇五年六月末日、ついに二隻の船が待つ難波なにわ三津みつの松原へと入った。

 


 

 


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