七
六月の中頃。
節刀は、天皇の代わりとして唐へ出向くことの証。大王からの餞別でもあり、遣唐使にとっての重荷そのものでもあった。それでも、人など斬ったことはなかろう刀の装飾の美しさは確かである。我々は、確かに、確かに大王から任ぜられた国の使いなのである。巧みに盛り込まれた鞘の装飾だけが、きらきらと大和の朝日を受け止めていた。
なだらかな飛鳥の山々を目に、博徳らは難波へと下った。早くても一年はこの景色を見ることが出来ない。そう思うと、毎日見ているはずの景色がどうも愛おしくなった。
前を行く副使の
飛鳥寺のそばまで来て、柳の下に三人の人影を見た。妻の
昨晩のことを思い出しながら、博徳は小さく笑って三奈子の視線を受け止めた。無邪気に手を振る
「早帰りませ、早帰りませ」
ふと、見送りの観衆から声が上がった。連なるように、人々が歌を口ずさむ。
「早帰りませ、早帰りませ、栄えてあり待て梅の花」
「早帰りませ、早帰りませ、大和は日の出ずる国」
一人が唄えばまた一人。子が口ずさめば母もまた。学堂から飛び出してきた少年たちが、賑やかし半分に笛を吹いた。手拍子が飛鳥の空を包み、行列の足並みも自然と揃った。人混みから出てきた役人たちが、沸き立つ人々を押さえつける。それでもきかない子供たちが、追いかけるように行列の後をついてまわった。
都に広がった大和歌は、それからしばらく続いた。博徳らは出立後のことを知る由もない。しかし、行列が見えなくなって役人たちが人払いを始めるに至るまで、長い間続いていた。昇った日に祈るように、ずっとずっと続いていた。
歌が聞こえなくなってからは、嗚咽だけが聞こえる物悲しい旅路となった。それでも山を越えた遣唐使一行は、斉明天皇五年六月末日、ついに二隻の船が待つ
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