第4話 普通の世界 そこにだめな人
「じゃあ、これからよろしくお願いしますってことで……かんぱ〜い!」
そう言って刈羽さんは、俺のメロンソーダにドブ色のグラスを打ちつけた。
ガラケーの画面は15時過ぎを示している。
ドリンクバーのジュースで行われたささやかな乾杯は祝いとか歓迎といったムードはまるでなくたいへん慎ましいものだったが、もともとそんな価値のない自分にはむしろありがたい度合いだった。
俺の地元にもある、全国チェーンのファミレス。周囲にはポテトをつつきながら勉強をするカップルや、季節を感じさせる華やかなパフェやケーキを囲んで談笑するマダムの会合。あまりにも日常で、俺たちは間違いなくその何気なさの一部だった。
「よかったの? 居酒屋とかちょっと良い……ステーキとか洋食とかさ、そういうとこじゃなくて」
刈羽さんがドブのグラスを煽る。
ドリンクバーのソーダ全種類を混ぜたらしい、食欲とは対極にある色味の液体に一瞬怯んだが、特に変わることのない表情を見るに味まではドブではないらしい。
「俺、お酒飲めないので……そんなに食うのも得意じゃないし」
メロンソーダはいつもどおりの人工的な甘みの味がする。
大学生のとき、陽キャコミュ強オタクの主催する飲み会になぜか巻き込まれたことがあった。20歳になったばかりの俺はもちろんそれまで律儀に法律を守っていて、まともなアルコールの席なんてそれが初めてで。
凄まじい種類のカクテルを提供しているそのお店で、主催者のオタクが参加者のイメージに合わせて酒を注文して本人に飲ませるという謎の時間があった。俺の眼前にはメロンのリキュールとざくろのシロップが炭酸水で割られた飲み物が供されて、青臭くて甘さがまとわりつくような、端的に言って好みでない味がした。
隣に座っていた主催者はおいしいじゃんとか言って何口か飲んでいたが、場の空気の馴染めなさと酔いで手が震えてそのあと股に全部ぶちまけてしまって、それ以降の記憶がない。
メロンソーダを飲むたびにこの黒歴史を思い出すのだから飲まないほうがいいんじゃないと思うものの、そういうふうに地雷を避けて生きようとするとこの世の全てがダメージ床になってじゃあもう生きないほうがいいじゃんになってしまうので、ことこの観点においては一周回って気楽なものだ。
「僕も好きなの頼むからさ、あんたも自由にやってよ。何頼む?」
刈羽さんが開いたメニューにはところどころにかわいらしいイラストが描かれている。この絵のひとつひとつに、この世界の誰かが発注を受けて打ち合わせして描いて納品して大金が動いているんだ。
最初駅に着いたときよりは緊張が和らいでいたものの、画面いっぱいに広がる色とりどりの味とカロリーを見るやいなや胃酸が込み上げてくる。
コプッ。
おお。体が食うことを拒んでいる。
「……俺はいいんで、刈羽さん好きなもの食べてください」
「そ? じゃまあ適当に頼むから、あとで追加しよか」
刈羽さんは速攻でベルを鳴らし、慣れた様子で店員さんに注文を取り付けていく。常連なのだろう、店員さんも「ああ、今日もそれなのね」といった口ぶりで手早くハンディに入力している。
メシ見たら減れよ、20代成人男性のくせに。そう脳内で呪詛を吐いて自分の胃をさすった。苦言を呈された胃のほうは熱を帯びるばかりで、沈黙を貫いている。
ああもう、結局どのコミュニティでもこういう気持ちにさせられるんだ。
「それにしてもさあ、よく僕の申し出なんて受けたよね?」
「え」
「顔も名前も知らない、どこに住んでるかもわからない他人が『一緒に住もう』なんてさ、普通受け入れないって。しかも出会いダメ板だよ?」
そう、俺は刈羽さんに声をかけられて今ここにいるのだ。
インターネットの中でも比較的アングラ寄りな場所である匿名掲示板で出会い、そこからSNSに誘導された。しかもダメ板とかいう、よりにもよってアングラの中でも特にキッツい空気の立ちこめる、社会不適合者の吹き溜まりみたいなゾーンだ。
そんな限界集落みたいな板に『これが自分のアカウントだ』なんつってフォロワー10万のアニメ化作家のIDが張られたとき、ほとんどのほかの住人は当たり前に信じなかった。自分たちと同じように外の土を踏まないで久しい無職だと断じてすぐ話題が切り替わっていた。
俺はアホなので、あともう暮らしが限界で全部のことがどうでもよくなってたので、そのアカウント——『三十四』というペンネームの漫画家にDMを送った。初期アイコンでフォロワーがアフィ垢の3件しかないアカウントで。
『あなたのアカウント、2chで晒されてますよ』
それ僕、と返信が来たのはわずか2分後だった。
三十四、惜しかったよねえ ナキエイドー @nakieidoh
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