第15話:日常への帰還(ただし、少しだけ変化あり)
蒼葉祭の喧騒が遠い昔のことのように感じられる、数日後の特準室。
日陰 蓮は、いつもの指定席であるソファで、珍しく本当に読書に集中していた。いや、集中しようと努力していた、と言うべきか。なぜなら、部屋の中には相変わらず賑やかな(あるいは騒がしい)存在がいるからだ。
「日陰くーん! 白峰さーん! 今日のおやつ、購買で限定発売のプレミアムプリンだってー! 急がないと売り切れちゃうかも!」
キィが、ドアを開けるなり大声で報告する。数日前の絶望が嘘のように、すっかり元の元気を取り戻…いや、以前にも増してパワフルになった気さえする。まあ、吹っ切れたということなのだろう。
「キィさん、廊下は走らない、と何度言ったら分かるのですか」
白峰 凛が、やれやれといった表情で注意するが、その口調は以前よりも柔らかい。
「それと、プリンは私が既に確保してありますから、慌てなくても大丈夫よ」
「わーい! さすがリン! ありがとう!」
キィは、凛に飛びつかんばかりの勢いで喜んでいる。
蓮は、そんな二人を横目で見ながら、小さく息をついた。
(…結局、俺の平穏は戻ってこなかったな)
キィは、あの後、正式に(?)特準室の監視下、という名目で蒼葉学園に留まることになった。例の『確率偏向キューブ』は、あの情報流出の後、力が大幅に減衰したのか、あるいはキィ自身が使い方を改めたのか、以前のような無茶苦茶な現象を引き起こすことはなくなった。時折、キィの感情に呼応して、物が少し揺れたり、電気がチカチカしたりする程度だ。まあ、それでも十分、特殊状況ではあるのだが。
調律師は、あれ以来姿を見せていない。だが、いつまた現れるか分からない。時空管理機構とやらが、キィの存在を放置しておくとも思えなかった。
「それで、今日の依頼はなんなんだ? まさか、またペット探しとかじゃないだろうな」
蓮は、読書を中断して凛に尋ねた。
「いいえ、今日は比較的穏やかなものよ」
凛は、一枚の依頼書を手に取る。
「『校庭の花壇の花が、昨日の夕方までは綺麗に咲いていたのに、今朝になったら全部しおれてしまっていた。原因を調査してほしい』とのことよ」
「…花がしおれた原因調査ねぇ」
蓮は、肩をすくめた。まあ、次元騒動に比べれば、平和な依頼と言えるだろう。
「水不足か? それとも、誰かのいたずらか…」
「さあ、どうでしょうね。現場を見てみないことには…」
凛が言いかけた時、キィが「はーい!」と元気よく手を挙げた。
「キィが石ころパワーで、お花さんたちを元気にしちゃおうか?」
その言葉に、蓮と凛は、同時に声を上げた。
「「やめておけ(やめてください)!」」
二人の声が、特準室に綺麗にハモって響き渡る。キィは「えー、なんでー?」と不満そうに唇を尖らせている。
蓮は、思わず苦笑した。
(…まあ、退屈しなくなったのは確かだな)
キィという嵐が来てから、面倒事は増えた。自分の省エネ主義は完全に崩壊した。だが、不思議と、以前のような退屈や虚無感は感じなくなっていた。隣には、相変わらず真面目で少しズレているが、頼りになる室長がいて。目の前には、手のかかる妹のような、騒がしい居候がいる。
(…案外、悪くないのかもしれないな)
そんなことを考えている自分に気づき、蓮は慌てて首を振った。
(いやいや、断じてそんなことはない。俺はあくまで平穏を愛する男だ)
「さて、と」
凛が立ち上がる。
「原因究明のため、現場へ向かいましょうか」
「了解」
蓮も、重い腰を上げた。
「キィも行くー!」
キィも、元気よく後に続く。
三人が特準室を出て、校庭へと向かう。
午後の日差しが、暖かく降り注いでいた。
ふと、蓮は空を見上げた。
雲一つない、青い空。
だが、その空の片隅に、ほんの一瞬だけ、雨上がりでもないのに、淡い七色の光が架かったような気がした。
「…ん?」
蓮は、目を凝らす。だが、光はもう見えなかった。
「どうかしたの、日陰君?」
隣を歩いていた凛が、不思議そうに尋ねる。
「…いや、なんでもない」
蓮は、首を振った。
「気のせいだ」
気のせい、かもしれない。
だが、あるいは―――
それは、遠い次元にいる姉への想いが届いた証なのか。
それとも、これから始まる、彼らの新しい日常を祝福する、ささやかな奇跡だったのかもしれない。
答えはまだ、分からない。
分からないが、それでも彼らは歩き出す。
それぞれの想いを胸に、少しだけ変わった、新しい日常へと。
特殊状況対応準備室(仮)は、今日も、きっと、平常運転(ではない)。
日陰くんと白峰さん、時々キィ ~特殊状況対応準備室(仮)は今日も平常運転(嘘)~ チャプタ @tyaputa3
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