ここから動けない

ここから動けない 1

 一番近いコンビニまで徒歩で十分ほどの距離を歩く。

 この付近は交通の便が悪く、駅までをバスで向かわなければならない。そのバス停も、コンビニからさらに五分ほど歩いた公園前に設置されているので、結局バス停までは十五分の道のりだ。体は丈夫で朝も強い方だったが、中高のバス・電車通学が結構しんどかったな、と、コンビニの姿を見て思い出した。

 閑静な住宅街にあるコンビニといっても、ラインナップは都心とあまり変わらない。生活品や生鮮食品が若干多いくらいだろうか。職場近くのコンビニで野菜は売っていないが、このコンビには入り口付近に野菜の販売コーナーが大きくとられてあって、そこそこ美味しいと評判らしい。随分昔にアイコから聞いた話だ、今もそうなのかはわからない。

 まっすぐとマコトが弁当のコーナーへ向かったので、慌てて自分も従った。夕方くらいまではいる予定なので、小腹が減った時に食べられるものも買い足しておいてよいかもしれない。マコトがすぐに弁当を決めるのを、どこか懐かしい気持ちで見つめていた。

 子供の頃から、マコトはあまり迷わなかった。

 レストランで食事をしていても、何か複数の候補を出されて「どれが欲しいか」聞かれた時も、マコトはすぐに選択してしまう。まるで最初から答えを知っているかのような決断力は、コウスケを少しばかり戸惑わせ、アイコに僅かに悲しい顔をさせた。時と共に“そういうものだ”と認識してからは何も感じなくなっていったが、子供の頃はそんな顔をさせるマコトが“悪いやつ”に思えてならず、自分はマコトからアイコとコウスケを守るのだ、と妙な正義感に燃えていた。

 それで、マコトが頼んだ食事を横からつついてみたり。マコトが受け取ったプレゼントを勝手に自分のものにしてみたり。

 今思えば、マコトへの意地悪心半分、実際に興味があった気持ちが半分で、マコトはそれを理解していたのだろうと思う。マコトが頼む料理はいつだって自分が「どっちにしようか」悩んでいた料理の片方だったし、マコトが貰うプレゼントは、マコトはちっとも興味がなさそうな、けれども自分は特別興味を持ちそうな、そういうものが多かった。

 マコトがすぐに決断できるのと裏腹に。自分は優柔不断な方だ。ごく一般的なレベルの話で、レストランで注文するまでに時間がかかるとか、買い物をするのに日を跨いで悩んでしまうとか、そういう程度の「優柔不断」。

 それでも、適当な弁当を手にしたマコトがさっさとレジに進んでしまったのを見て、置いて行かれたくない気持ちが先立ちぱっと目についた弁当を手に取る。

 ついでに六個入りのレーズンパンの袋を掴んで、慌ててマコトの後ろに並んだ。

「珍しい、早かったね」

 それで、マコトはこちらの会計が終わるのを待っていた。

 待って“くれていた”が正しいだろう。優柔不断なことをマコトも承知しているのだ。それは、置いて帰りたかった本心の透けた発言だったのか、それとも単に驚いただけの言葉なのか。分からないまま曖昧に笑う。「普段も良く食べるから」と適当な返事をすれば、マコトは「ふぅん」と興味がなさそうに返事をした。

 十分の道をマコトと並んで歩く。

 マコトが大股ですたすたと歩くので、置いていかれないように自分も普段通り歩幅を広げた。横に並ぶとちらりとマコトがこちらを見て、それで、何か言わねば、と気が急く。

「……何買ったの?」

「塩豚丼弁当。こういう日はお肉食べないと」

「あ~、俺もよく食べる。力いるときは肉だよな」

 ぽつり、ぽつりと会話を続けて、世間話が出来ていることに酷く安堵した。なんてことはない、マコトとちゃんと会話が出来ている。

 先ほどの動揺も忘れて、妙な緊張感が少し和らいだ。小さくくすりとマコトが笑って、「仕事はどう?」と聞いてきた。

 マコトから話が振られたことに、少しだけ嬉しくなって。「まあぼちぼち」と答えながら、続けられる話題はあるだろうかと視線をうろつかせた。

「……ハロウィンが近いからな。フラワーアレンジメントのイベントがあるし……園内もハロウィン装飾に切り替えたところ」

 諸々の準備ができた段階で、少しだけ落ち着いたのだ、と伝えれば、マコトは「へぇ」と少しだけ興味深げにこちらを見上げた。

「そういえば、テツの職場って見に行ったことないな」

「まあ、特に変わったところはないと思うけど」

 まさか来たいわけでもないだろう、と謙遜すれば、「そうかな」とマコトは緩く笑った。

 丁度家の門が見えて、会話はそこでぴたりと止まった。十分の道のりだったが、話しながらではいつの間にか歩調も緩んでいたらしく、もっと時間が経ったような気がする。風が冷たいので先にマコトを中に入れてやって、自分の体も玄関に滑り込ませれば、思い出したように皮膚がじんじんと寒さを訴えた。

 家に戻ってきたものの、家具を引き払った後のこの家ではテーブルも椅子もなく、持参した座布団に座って食べるしかない。まっすぐリビングに戻ったマコトは、コンビニで温めた弁当をさっさと開いてこちらを待っていた。

「いただきます」

 二人とも準備が出来たのを見て、手を合わせたマコトが律義にそう言う。誰かが言えばつられるもので、普段「いただきます」なんて言わないのに、思わず自分も両手を合わせていた。子供の頃の習慣というやつなのか、「いただきます」と聞くと続けなければならないような気がする。まるで本当に子供の頃に戻ったような錯覚があって、奇妙な表情をした自覚があった。マコトは箸を持ちながら、「どうしたの?」と静かに問うた。

「いや、べつに」

 むず痒い気持ちと、居心地の悪さを感じて居住まいを正したのに、マコトは「一応聞いておく」ような体で問いかけた。首を振れば追及はなく、それが一層、居心地の悪さを増加させる。

「……その、“いただきます”なんて久しぶりに言ったなって」

 だからぽつりとそれだけを溢した。それだけではなかったけれど、それも本心ではあったので嘘ではない。「ああ、」とマコトは納得した声を上げて、「確かに」と同意した。

「私は結構言っちゃうけど。なんというか、癖のような」

 癖、という言葉に、確かにアイコさんは挨拶をきちんとさせる教育だったな、と思い出す。途中からとはいえ、アイコが家族になったのは自分が五歳の時だ。五歳からであれば、殆ど“一緒に育った”といって差し支えなく、一緒に育ったはずなのに、受け手が違うだけでこれほど違う。

 マコトは理解を示して、「大人になると言わなくなるよね」と続けた。

「職場でも言ってる人は少ないかな」

「ああ、やっぱそうなんだ?」

 付け足された言葉に少しだけ安堵する。今ならそのまま会話を続けられるような気がして、「そっちは最近どうなの?」と問うた。

「どうって?」

「仕事。忙しそうだったじゃん」

 今日この家に来ることについての連絡は、最初に電話をした以降はずっとメールでやりとりをしていたのだが、マコトからの返信は一日後とか、深夜の時間が殆どだった。

 マコトは事務職と聞いているが、務めている会社は日本でも有数の大企業だ。派遣ではなく正社員のはずなので、忙しそう、というイメージがあった。

「ああ、まあ……月末だったから。月変わったから今はそうでもない」

 マコトは思い出したようにそう言って、バツが悪そうに「返信遅くてごめん」と謝罪した。

 忙しいのはお互い様であったし、確かにやり取りに時間はかかったが、音信不通になることはなかった。こうしてきちんと来ることが出来たので、連絡が遅かった点について何か言うつもりは毛頭ない。話題を間違えたかな、と思いながら、「いや、全然」とすぐさま首を振った。

「さっきも言ったけど、俺も丁度忙しい時期だったし。合間縫って連絡したから丁度良かった」

「そっか」

 それで、暫し沈黙が落ちる。

 沈黙が悪いわけではないのに、マコトを前にすると途端に気まずい気持ちになった。思えば幼いころ、あれこれとマコトにちょっかいをかけたのも、そういう気まずさが起因していたように思う。気まずさと居心地の悪さは似ている。マコトの近くは居心地が悪かった。

「……マコトはさ、その、ずっと仕事続けるの?」

 どうにか話題を探さなければ――思って口をついて出た言葉に、言った瞬間「しくじった」と思う。

 マコト相手だとこういうことばかりだ。普段はもっと自然に、何も考えずに、気楽な感じで会話を続けられるのに。よりにもよって妙な話題を選んでしまった、と思ったが、吐いた言葉は戻らない。マコトの眉が一瞬潜められたが、すぐに元に戻った。怪訝そうな顔で「なんで?」と問われる。

「いや……言葉を間違えたというか」

 うろ、うろ、と視線を彷徨わせながらどうにか言い訳を探す。

 結婚しないで働く女性をどうにか言うつもりはないし、活躍するのに性別は関係ないとも思う。ただそれはそれとして、身内の――“家族”の将来について考えてしまうのは別の事だった。

(もっとも、マコトに“家族”が作れるとは思ってない)

 マコト自身の問題だ。いつか優しい家族を作って、幸せになってほしいと願う気持ちは強いものの。マコト自身がそれを己に“許す”ことができるのかは別だと思っている。どうしてか、マコトは“家族”の枠から外れようとするから。

(昔っから)

 一歩引いたところで眺めている。当時、マコトが高校進学を機に寮に入って家を出た時。自分は清々したと感じていたが、あれは正しく「逃げた」のだろう、と、今なら思う。

「……まあ、働けるならずっと働くかな。少しずつ役職も上がってるし」

 ひとつ、ため息をついてマコトは言った。仕方ないというように、宥める様に。

「そうはいっても上層部は男性の方が多いから、私が入るとまだ少し浮くとこあるけど。会社も女性の管理職を増やしたいんだろうし」

 いさせてもらえる限りはいるつもり。

 締めくくったマコトに「そっか」とどうにか頷いた。妙な安堵を覚えて、同時に寂しさもめぐる。

「……辛くない?」

 ぽつりと続けた言葉はしっかりマコトの耳に届いて、「何が?」ときょとりと丸い目がこちらを向く。「その、」と言葉を探しながら、自分の口はごくごく自然に、多分、言ってはならない言葉を足した。

「男に混じって仕事するの。辛くない?」

 大丈夫? と。

 純粋に心配をしたつもりで、マコトの顔が瞬時に強張るのが分かった。引き攣った口元で、もう一度「なんで?」と問う。問われた瞬間、自分で、今自分が何を言ったのか気が付いた。

(なんて言った?)

 ぼんやりしていたわけでも、集中していなかったわけでもなかったのに。

 そう言うと決められていたように、ごくごく自然に落とされた言葉はもう戻らず、マコトは鋭い目つきでこちらを睨んだ。

 上手く言葉が返せない。何か適当に誤魔化してしまえばよかったのに、そうできなかったせいで、言葉に込められた“全て”をマコトは察してしまった。

「……いつから?」

 静かな問いかけに、無意味に口を開いて、閉じて。どう答えればよいのか、は、どう“誤魔化せばよいのか”にすり替わりそうで、軽く首を振る。ここまで来たらどうにもならないことくらい、自分でも理解していた。

「テツ」

 マコトの声が名前を呼ぶ。

 子供の頃から、マコトは時折強い声色で名前を呼ぶ時があって。そうして呼ばれると、どれほど反抗的に逆らってやりたいと思っても、体が思うように動かなくなって、結局従ってしまう。普段はこちらの悪口や暴言を涼しい顔で受け流し、反論もしないマコトが。何か危ないことをしそうな時とか、大人しくしていなければならない時なんかに、そうして強い声で名前を呼ぶのだ。

 テツ、と。

 テツ、ちゃんとしなきゃダメ、と。

「テツ、答えて。いつから?」

 そこに続く言葉は、「いつから知っていたの?」だ。

 理解して、仕方なく肩を落とした。図体ばかりが大きくなって、根本的なところは何も変わらない。“マコトに”優しくあろうとどれほど努力したって、傷つけてしまうのは幼い頃からの咎かもしれない。

「……高校卒業する辺りに、アイコさんと父さんが話してるのを、たまたま聞いちまって……」

 できることと言えば、誰も悪くなかったのだと主張するくらいだ。

 故意ではなかったし、きっと知られたくないことだとも理解していた。両親が、自分には知らせたくなかっただろうということも。

「……そ」

 こちらの答えにマコトはひとつ音を漏らして、半分残った弁当に蓋をした。何も敷かれていない、フローリングに直接置いて、するりと立ち上がる。

 どこに行くんだとも、行かないでくれとも、ましてや視線を向けることすらできずに、横を通り過ぎるマコトを感じる。

 背後で扉の閉まる音がする。マコトの気配が遠のいていくのを感じながら、漸く深く、息をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る