第2話 外の世界


 ウリンは何と返すべきか悩んだ。ダァーリャの母には会ったことがあるらしいのだが、記憶はない。


 それにウリン自身も、物心つく前に両親を亡くしている。だから母というのが、どういう存在なのかを知らない。ダァーリャの母がここにいたら、彼女の姿を見て喜んだのだろうか。


「ダァーリャ、その……」


 自分でも何を言おうとしたのかわからないが、ウリンは口を開いた。その時、遠くから笛の音が聞こえ、二人は同時に窓の外に目をやる。


 人々の歓声がここからでも聞こえる。本格的に新年祭が始まったのだろう。ダァーリャは顔をほころばせて、市場の方を指さした。


「ウリン、ウリン、行こうよ。広場では歌や踊りが見れるんだって、お父様が言ってた。私も近くで見てみたい!」

「僕たち二人だけで? だめだよ。旦那様に言わないと……」

「あの過保護なお父様のことだから、絶対にだめって言うもの。だからこっそり行こう。お父様は今ごろ、北市場の方にいらっしゃるはず。行くなら今だよ」

「でも……」

「こんなにおめかししたのよ。すぐに帰ってくれば、ばれないでしょ。ねえ、ウリン。私ずっと祝祭に参加してみたかったの」


 彼女を近くで見てきたウリンは、彼女が外に憧れ、それでいて窓から眺めることしかできなかったのを知っている。毎年、新年祭の日になると、綺麗な服を着て歩く同年代の少女たちを見て、いつか外に出てみたいと言っていたのも、ずっとそばにいたウリンは全部知っている。


 期待するような眼差しで見つめてくるダァーリャを、ウリンは悩ましげに見返した。いつもより顔色は良いし、昨日はよく眠れたようだ。朝食もよく食べていた。


 ここ最近で一番体調が良い状態だと断言できるが、サンガに黙って出かけるのは気が引ける。だけどせっかくだし、少しだけ……ほんの少しだけなら、外に出ても構わないだろう。


「…………わかった。わかったよ」

「やった、そうこないとね!」

「でもあまり長く出るのはだめだ。旦那様も夕方には戻ってくるし、それまでに帰ってこないと怒られるよ、僕が」

「私だって怒られるよ。お父様、怒ると怖いんだよね。さあ、そうと決まれば早く準備しよう」


 ダァーリャは髪が乱れないようにそっとフードをかぶり、金貨や銀貨が入った革袋を腰に下げた。外出するような格好だとは思っていたが、最初からそのつもりだったらしい。


「ほら、見てないで、これ着て」

「わぶ」


 てきぱきと身支度をしているダァーリャを黙って見ていたウリンは、布の塊を顔に押し付けられた。見てみると、ダァーリャのものよりはシンプルながら、品の良いアビヤだった。


 ダァーリャが十歳の時に仕立てたものだ。どうしてこれを渡してきたのだろうと彼女を見ると、籠やタンスをひっくり返して、何かを探している。


「靴は……前に履いてたのでいいか。ウリーン、これはどう? ちょっと履いてみて」

「何を履くって?」

「靴だよ、靴! 足の大きさ、私より少し小さいくらいだったよね」

「そんな、ダァーリャのものを履くわけにはいかないよ。僕はただの従者だ。どうして靴を履く必要があるの。このままの方が良いよ」


 ウリンは何も履いていない自分の足を見下ろした。靴を履く者は、宮殿に出入りできるような高貴な者だけと決まっている。三等市民のウリンは、常に裸足で生活している。


 ダァーリャは王族の遠縁にあたる貴族だから、靴を履くのは当然だろうけれど、なぜウリンまで履くことになっているのだろう。


「まずいいから履いてみて。小さかったらこっちね」


 ダァーリャはまた新しい靴を引っ張り出してきた。カヌピーシュという、革でできた平たい靴だ。ビーズや刺繍が光るさまは、宝飾品のようである。そこらの貴族が履いているものとまるで遜色そんしょくない。


「……」


 ウリンは輝く靴とダァーリャを見比べたが、さあ履いてみてというように、ダァーリャは靴を示しただけだった。折れるつもりはないらしい。意図はどうあれ、これは身分詐称さしょうになるのではなかろうか。そう訴えたがダァーリャは、


「そんな法律なんてないんだから、誰かに責められるいわれなんかない。もし誰かに文句を言われたら、私が言い返してあげる。ウリンは私と一緒に暮らしているの、何か言いたいことがあれば私に言いなさいってね」


 とけろっとしている。貴族のダァーリャにそう言われて、反論できる人などほとんどいないだろう。ウリンはため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月26日 18:00
2025年12月27日 07:00
2025年12月28日 06:00

翠風のウリン 天瑶 @npan-rokana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画