第1話 「人形ノ夜」7.再開

 銃を下ろしたあと、陽はしばらくその場から動けずにいた。


 力が抜けたわけではない。

 心がすっきりしたわけでもない。

 ただ、静かだった。音も、動きも、呼吸も。すべてが“終わった”後の、無音の海のようだった。


(終わった……んだよね)


 手の中の式弾銃シラヌイは、ほんのり温かかった。

 さっき撃った「還」の弾が、まだその記憶を宿しているみたいに。


 ふと、扉のほうで気配が動いた。


 反射的に陽は構え直す――が、その直後、足音とともに、懐かしい気配が届く。


「……鶴矢先輩!」


 声が漏れた。安堵と驚きと、少しの気恥ずかしさが混ざった声。


 薄暗い廊下の奥から、鶴矢玲二が姿を現す。

 無事だった。服に多少の傷と埃はあるが、血の気配はない。


 彼は何も言わずに歩いてきて、部屋の中を一瞥する。

 沈黙のまま、足元の人形たち、作業台、陽の表情、そのすべてを一瞬で見て取った。


 そして、ぽつりと呟く。


「……一人でやったのか?」


「え、えっと……その、結果的には……はい……」


 陽は胸元を押さえながら答えた。

 言葉があやふやになるのは、心がまだ揺れている証拠だった。

 でも、その言葉には確かな手応えがあった。


 鶴矢は、ふぅと小さく息を吐いた。


「霊障の核は?」


「人形の……中にありました。たぶん、職人さんの記憶……娘さんを模した人形に、ずっと宿っていて……」


 ぽつぽつと説明する陽の言葉を、鶴矢は無言で聞いていた。

 遮らないし、相槌も打たない。ただ、聞いている。ちゃんと。


 陽は話しながら、自分でも信じられないくらい冷静になっていることに気づいた。

 あんなに緊張していたのに、今はもう、“撃った後”の静けさしかない。


「……封も滅も効かない気がして。だから、“還”を選びました」


 沈黙。


 しばらくして、鶴矢が口を開いた。


「……“還”は、危うい弾だ」


「……はい」


「その記憶に飲まれるやつもいる。逆に感情を吸い取られて、引きずられるやつもいる」


「……はい」


「でも、お前はそれを撃った。誰に言われたわけでもなく」


 陽は頷いた。小さく。でも、はっきりと。


「だって……泣いてる声が、聞こえたから。

 放っておけなかったんです。

 このまま“滅”で壊したら、なにか、大事なものまで失くしそうで……」


 そのとき、鶴矢の表情がほんのわずかに緩んだ。

 笑ったわけじゃない。けれど、いつもの無機質な目が、すこしだけ、柔らかくなった気がした。


「……お前、ほんとに新人か?」


「一応、今日が初任務なんですけど……」


 陽が照れ笑いを浮かべると、鶴矢はほんの一瞬だけ口角を上げ、すぐに背を向けた。


「帰るぞ。報告書、面倒だから先にお前が書け」


「えっ、わ、私がですか?」


「お前の任務だろ」


「え、でも、先輩のほうが絶対文章得意そうというか、報告書の文体に慣れてそうというか――」


「却下。文章に“えっと”とか“たぶん”とか入れるやつに任せたら、うちの課長が泣く」


「うぅ……が、がんばります……」


 そんなやり取りの中で、陽の緊張は、やっと本当にほぐれていった。


 部屋を出るとき、最後にもう一度だけ振り返る。


 そこにはもう、何もいなかった。

 ただ、人形たちが静かに並んでいるだけ。今度は誰の目も、陽を追ってこない。


 ――ありがとう。

 小さく心の中で呟いて、陽はその場を後にした。


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