第1話 「人形ノ夜」6.還しの弾

 引き金を引いた瞬間、時間がほんの少し、遅れたように感じた。


 式弾銃シラヌイが、静かな音を立てて震える。

 火薬の反応も、爆発の衝撃もない。

 ただ、符が展開し、淡く光る輪が、前方へと放たれた。


 「還」。


 それは、破壊のための弾ではない。

 祈りのように、ただ静かに放たれる。

 撃ち出された弾は、霊的な光の奔流となって、まっすぐに――人形の胸元へと吸い込まれていった。


 


 空気が、変わる。


 


 まるで水の底に沈んだような、圧迫感のある無音。

 そして、ふっと、視界が白んでいった。


 


 *


 


 ――そこは、部屋だった。


 薄暗い作業場。

 陽が先ほどまでいたのと、よく似ている。


 けれど、空気が違う。

 工具は整然と並べられ、机の上にはまだ組み立て途中の人形のパーツ。

 窓の外には、淡い夕日が差し込んでいた。


 記憶の中の風景。

 これは、霊が持っていた“想いの断片”。


 


 ――「あの子の笑顔を、どうしても……忘れたくなかったんです」


 


 声がする。誰かの――父親の声だ。


 場面が切り替わる。

 男が、一心不乱に人形の眼球を削っている。

 その瞳に、娘の写真を映しながら、何度も、何度も。


 


 ――「一度だって、泣き顔を見たことがない子だったんです」

 ――「私のことを、“パパ”と呼んで、いつも、笑って……」


 


 再び場面が変わる。

 部屋の隅、仏壇のように置かれた祭壇の前で、男がうずくまっている。

 その手の中に、人形が抱かれている。


 口元を震わせながら、彼は言う。


 


 ――「ごめんね、ごめんな、ごめん……まだ……逝かせてやれないんだ……」


 


 その人形は、まるでそれに答えるように、微かにまばたきをした。


 


 *


 


 陽は、ハッと息を呑んで意識を引き戻す。


 部屋は、静まり返っていた。


 さっきまで動いていた人形たちが、ぴたりと止まっている。

 あの巨大な少女人形は、ゆっくりと――まるでお辞儀をするように、首を垂れていた。


 胸元が、淡く光っている。

 弾が命中した場所に、小さな式の輪が残っていた。

 霊的な情報が、そこで静かに昇華されている。


 煙はない。

 爆発もない。

 ただ、ひとつの想いが――**“還った”**のだ。


 


 ふいに、陽の耳に、かすかな声が届く。


 


 ――「ありがとう、パパ」 


 


 それが、霊のものだったのか。

 それとも、人形に宿った声だったのか。

 それともただの、陽の想像だったのか。


 わからない。

 けれど、その言葉が、胸の奥にまっすぐ刺さった。


 陽は、ゆっくりと銃を下ろす。

 手が、少し震えていた。


 


「……おかえりなさい」


 


 その言葉は、誰に向けたのか、自分でもわからなかった。


 ただそう言わなきゃいけない気がした。


 そして、ふっと。

 あれほど重かった空気が、溶けるように流れていった。


 


 人形たちの視線が、なくなった。

 冷たいはずの部屋が、ほんの少しだけ――暖かくなったような気がした。

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