第1話 「人形ノ夜」4.発現
闇が、落ちた。
それはただ照明が消えたというだけではなかった。
天井の蛍光灯がすべて同時に破裂するように、パチンッという音とともに明滅を止め、空気全体がぬるりとした冷気に包まれる。
まるで夜そのものが、建物の中に流れ込んできたようだった。
陽は反射的に銃を構えた。指先が自然と動く。訓練のとおりだ。
だが、その手の中にある“重さ”が、現実を突きつけてくる。
これは実戦だ。
遊びじゃない。
もし間違えれば――死ぬ。
(落ち着いて……!)
咄嗟に腰のポーチから小型の霊符灯を引き抜く。
符の文字を指でなぞり、解放式を起動。淡い光が弧を描くように周囲を照らす。
そして、光の中に浮かび上がった。
人形たちが、動いていた。
何十体もの人形が、足音もなく床を這っている。
腕が動く。首が回る。片方だけの瞳がぎょろりとこちらを見ている。
音が、ない。
足音も、歯車の軋みも、吐息すらも。
ただそこに、“生きていないものが、生きようとしている”という存在感だけが、濃密な霊気とともに押し寄せてくる。
「っ、せ、先輩――!」
振り返ろうとした瞬間、突風のような霊圧が通路を塞いだ。
視界がぐにゃりと揺れる。空間が歪む。
気づけば鶴矢の姿が見えない。
無線を握ろうとするが、ノイズがひどい。
耳元のレシーバーがキイキイと不快な音を立てて、電波が乱されているのがわかる。
「結糸さん、鶴矢先輩と分断されました! 応答、お願いします……!」
ノイズ。沈黙。応答なし。
陽は、ひとりだった。
(冷静に……冷静に……)
式弾銃を構え、目の前の動きを見極める。
人形たちは、まっすぐに陽を見ている。
赤く光る眼。焦点の合わない笑顔。
それでも、明確な“敵意”とは少し違う。むしろ――訴えてくるような、なにか。
(この霊気……感情の、残り香?)
そうだ、怒りではない。憎しみでもない。
ただ、悲しみだ。
孤独と、哀悼と、忘れられたことへの痛みが、空気に溶けている。
「誰か……泣いてるの?」
そう呟いたときだった。
目の前の人形が、一歩、前に出た。
その動作は滑らかで、そしてゆっくりだった。
まるで「どうか気づいて」と語りかけるように、手を差し出すように。
その指先から、欠けたガラスの爪がぽろりと落ちる。
陽の心臓が、跳ねた。
その瞬間、後方から別の人形が“飛びかかって”きた。
「っ――!」
反射的に身体をひねってかわす。
人形の硬いボディが地面に激突し、床を滑る音が響く。
それが合図だったように、周囲の人形たちが一斉に動き出した。
ざざざっ、と靴音のような床を這う音。
陽は後退しながら、式弾銃に「封」を込め、即座に一体へと撃ち込む。
――ドン。
封弾の霊力が人形の関節部に命中。
光の糸が絡まり、ぴたりと動きを止める。
(効く……訓練どおりなら、制御できる!)
次々と近づく人形に向けて、「封」弾を連続発射。
だが、一発ごとに符は減る。あと何発も持たない。
そしてそのとき。
奥の部屋から――すすり泣く声が聞こえた。
嗚咽。呼吸。途切れがちな声。
だが確かに、人の声だった。
それに呼ばれるように、陽は振り向いた。
奥の重たい扉が、わずかに開いている。
その向こうに、何かがいる。
何かが――誰かが、待っている。
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