第1話 「人形ノ夜」3.工場内部探索

扉は、重かった。


 金属が擦れ合う、いやな音が夜に響く。まるで、その音自体が「やめろ」と告げているようだった。


 室内は、思っていたよりもずっと暗く、そして静かだった。

 天井の蛍光灯は大半が割れ、残った数本も明滅していた。ゆらゆらと揺れる薄黄色の光が、広い室内にかろうじて輪郭を描いている。


 床に、ほこりが積もっている。空気が重い。すでに人の手が入っていない建物独特の、時間が停滞したような湿り気が、肺の奥にまとわりつく。


 そして――なにより、無数の「目」。


 人形たちだった。


 大きなもの、小さなもの。

 着物を着た和人形から、髪の毛を結んだ市販の少女型、ぬいぐるみを模したものまで。棚という棚に、壁という壁に、人形たちが整然と並んでいた。


 誰かが最近掃除をしたかのように、並びは乱れていない。

 それが逆に、不自然だった。


 どの人形も、ガラスの瞳をこちらに向けている。

 動いていないのに、見られている気配が消えない。

 どれも表情は同じだ。無垢で、無表情で、完璧なまでに静かだった。


「……気配はあるが、活性化してないな」


 鶴矢が、薄く言った。


 彼は小型の霊圧測定器を片手に、奥へと歩いていく。

 陽はその背中を追いながら、そっと式弾銃のセーフティを確認する。今度は間違えず、ちゃんと“封”弾が装填されている。


 大丈夫。

 訓練通りなら、想定内の作業。

 異常がなければ、簡易結界の再設置をして、終了。

 そう、ただの“定期点検”。


 なのに。


(……なんでだろう。空気が、重い)


 室内を移動するたびに、足元の床がわずかに軋む。

 棚に置かれた人形のひとつひとつが、その音に反応して首を向けるような、そんな錯覚に襲われる。


 陽は一瞬立ち止まり、小さく呼吸を整えた。


 ゆっくり吸って、吐いて、落ち着いて。


 ……そのときだった。


 カツン、と硬い音が足元で響いた。


「――っ」


 思わず声を飲み込む。


 何かを蹴ってしまったらしい。下を見ると、一体の人形がうつぶせに倒れていた。

 人間の幼児ほどのサイズ。赤い着物を着て、艶やかな黒髪を垂らした女児の人形。

 その首が、まるで今落ちたばかりのように、床の上に転がっていた。


「……!」


 息が詰まりそうになる。けれど、すぐに首を振った。


(ただの、偶然。誰かが倒したまま、戻さなかっただけ)


 そう自分に言い聞かせて、人形の頭と胴体をそっと拾い上げる。

 接続部は割れてはいなかった。磁石か、何かでくっつけるような構造だったのかもしれない。


 胸の奥がざわつく。

 誰かに「触るな」と言われた気がして、陽は手早く棚に戻す。


「おい、新人」


「は、はいっ!」


 思わず声が裏返った。鶴矢が振り返る。

 相変わらずの無表情だが、眉がわずかにひそめられていた。


「その人形、さっきまでそこにいたか?」


「え……」


 陽は棚を見返す。

 人形たちが、こちらを見ていた。――いや、“こちらを見ていた気がした”。


 だが、並びが違っている。明らかに。

 さっき見たはずの一体が、いつの間にか別の棚に――いや、それとも最初からそこにいた?


 わからない。


 鶴矢が測定器を見た。


「反応、上がってる。下がれ。結界展開する」


 そのときだった。


 ――チリ……チリ……チリ……


 どこからともなく、機械が軋むような音が鳴り始めた。

 最初は細く、次第に大きく、空間に染み出すように。


 そして、静寂を切り裂くように。


 パチンッ


 天井の照明が、一斉に落ちた。

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