第1話「人形ノ夜」2.工場外部到着

車が止まった。


 エンジンの振動が消えると、代わりに夜の虫の音と風の音が耳に入ってくる。どちらも細くて頼りないのに、やけに耳の奥に残った。


 目の前に広がっていたのは、事前の報告書に添付されていた写真よりも、ずっと荒れ果てた建物だった。


 《旧・三凪人形工房》


 看板は朽ちかけ、文字の半分が塗料ごと剥げている。

 敷地を囲む低いフェンスは錆で茶色く染まり、入り口の門扉は半開きになっていた。

 外壁の一部はヒビが入り、貼られたまま風化した“立入禁止”の紙が、薄くはためいている。


 まるで、そこにあること自体が“不自然”であるかのように。

 時間だけが置き去りにされて、建物だけがぽつんと、夜の闇の中に沈んでいた。


「到着。降りろ」


 鶴矢先輩がドアを開ける。

 陽も慌ててシートベルトを外し、後部座席の荷物から式弾銃のケースを取り出す。

 肩にかけると、重みがしっかりと伝わってくる。


 ごと、ごとん。車のドアが閉じる音が、夜の空気を切り裂いた。


 地面はぬかるんでいた。

 コンクリート舗装のはずなのに、どこか足元が柔らかくて、靴の裏に粘りつく感触がある。

 嫌な感じだった。ほんの少し、何かを踏んでいるような……そんな気がして、足元を見ないようにする。


「中に入る。お前は後ろからついてこい。指示があるまで勝手に動くな」


「は、はいっ」


 陽は即答し、慌てて鞄からポーチを開ける。

 封弾、封弾、と頭の中で繰り返しながら符を確認しようとして――


(あれ、どっちのポケットだっけ……)


 左? いや右? いや、確か真ん中に移したはずで……いやそれ昨日の話で……

 ごそごそと探る指先が、どれにも確信を持てずに迷い続ける。


「……ポーチ、逆だ。上下」


「えっ?」


 鶴矢の低い声とともに、彼の指が無言で陽のポーチの留め具を引き直す。

 なるほど、確かに中身が全部ひっくり返っている。そりゃ見つからないわけだ。


「あ、ありがとうございます……すみません……!」


 軽く会釈しながら、陽は顔が熱くなるのを感じていた。

 恥ずかしい。まるで、幼稚園児だ。こんなとき、どういう顔をすればいいんだっけ。


 でも、鶴矢はそれ以上何も言わず、ただ先に立って敷地の中へと歩き出していく。


 その背中を見て、陽は小さく深呼吸をした。


(落ち着いて。まだ始まってもいない。……ちゃんと、やるんだ)


 式弾銃シラヌイを肩に下げ、ゆっくりと歩き出す。

 門をくぐると、草が膝のあたりまで伸びていた。

 踏むたびに、草の匂いと古びた金属の匂いが入り混じって鼻を突く。


 風が一度、建物の間をすり抜けた。

 ひゅう……という細くて長い音が、どこかで人の吐息に聞こえた気がして、陽は思わず足を止める。


(……気のせい、だよね?)


 建物の正面。鉄の扉には、重ね貼りされた警告文がいくつも貼られていた。


《立入禁止》《所有者不在》《危険》《事故責任一切負わず》


 どの言葉も、ただの“警告”ではなく、“拒絶”のように見えた。


 鶴矢が、鍵のかかっていない取っ手に手をかける。


「……入るぞ」


 陽は思わず、銃のグリップを握りしめた。

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