正しい資質

身も蓋もない言い方をすれば、彼一人が災害の現場で奮闘したとして、どれだけ事態が好転したか分からない。
いや、たぶん…恐らく何も変わらなかっただろうと思う。

確かに被災地で、人が死んでいる現場でシャッターを切るという行為は決して気持ちのいいものではない。
被害者からすれば明確な敵であろう。

しかし、その現場で見たことを記録(あるいは記憶)できるのは、その場にいた本人だけであることも事実だ。

彼を責める権利があるとするなら、それは被災地で被害を被り家族を喪った者たちであろう。
だが、その時の記憶をもっとも色濃く伝えてくれるのも、また彼である。

記録とは非情だ。
その内容が理不尽であればあるほど、後世の教訓になり得る。

彼は自らその責めを負うことを受け入れた。ならば、もう我々部外者のするべきことは責めることではない。その役目は遺族が引き受けてくれたのだから。

我々のすべきなのは
その記録の意味と価値を正しく理解し、後世に向けて、今行動を始めることであろう。