第2話:ほつれたタオル
日曜昼どきの雑貨店は、まるで戦場だ。
大量の商品を抱えた客、レジを急ぐ神崎、商品説明を求められるバイト、棚の補充を待つバスケットたち――視界の端が忙しさにかき乱される中、佐々木はレジ前の袋詰めに集中していた。
「こんにちはぁ……あの、少しお時間よろしいかしら?」
その声は、あまりに穏やかで、あまりに不吉だった。
振り向くと、淡いブルーのカーディガンに身を包んだ中年女性が、薄汚れたピンクのタオルを片手に立っていた。糸がほつれ、端が破れている。
「これね、御社で買ったものなんです。あの、ずいぶん前なんだけど……」
“ずいぶん前”。この一言がすでに、すべての理を失わせる。
「いつ頃ご購入でしたか?」
「えっと……一昨年の春……たぶん、四月? あの頃ね、母が退院してバスタオルが必要だったの。病院のは殺風景でしょ? だから少しでも気分がよくなればと思って……」
そこから始まったのは、商品の状態説明ではなく、“生活史の語り”だった。
母の闘病、タオルを選んだ日の気候、近くのカフェで食べたパスタの話まで及んだところで、佐々木の意識は静かに空中へと浮上していった。
(これは……返品でも、交換でも、クレームでもない。
ただ、話を聞いてほしいという欲求が、タオルという媒体を通じて具現化しただけだ)
「母が入院しててね、少しでも柔らかいタオルを、と思って選んだんです。とても気に入って、大切に使ってたんですけど……最近、洗濯したらこうなってしまって」
佐々木は静かに頷きながら、心の中で時間の砂が崩れる音を聞いた。神崎が三度目の視線をこちらに送ってきた。レジ列は明らかに伸びている。隣のレジの男性客が腕時計をチラチラと確認しているのが見えた。
「お客様、申し訳ありません。ご購入から一年以上経過しており、また、ご使用後の状態ですと、商品の不備としてのご対応が難しく……」
佐々木が丁寧に挟んだ説明は、女性の「そうよねぇ、そうだとは思ったのよ」という相づちによって、するりとかわされた。
「もちろん、交換してほしいとか、そういうことじゃないの。
でもね、念のため、お店にはお伝えした方がいいかなって思って……今後のために」
――出た。
(“今後のために”……この魔法の言葉、なぜこんなにも破壊力があるのか)
佐々木は表情を崩さずに、反射的に言葉を返す。
「ご親切にありがとうございます。ただ、そういったご使用後の劣化につきましては、ある程度、製品特性として……」
「そうなのよね。わかってるの。
でもね、なんていうか……“使ってたら破れるタオル”って、やっぱりちょっと気になって。
他の人にも、そういう思いさせたくないじゃない? 私はいいの。でも、他のお客様がね?」
――“他人のためを思って”という名の、堂々たる自己表現。
それがタオル一枚を口実に、30分という時間を呑み込んでゆく。
神崎のレジ前には、明らかにイライラした表情の男性客が並んでいる。
何度か視線を送られているのを感じながらも、佐々木は会話を終わらせる糸口を探していた。
「お気持ちは、よくわかりました。ただ、製品の構造上、長期間の使用での劣化は……」
「もちろん! もちろん理解してるの。
ただ、こういう声も“お耳に入れておくべきかな”って思っただけで。
私、昔販売やってたから……わかるのよ、クレーマーって迷惑よねぇ。私、そういうんじゃないから安心して?」
(なら、なぜここに……)
佐々木は深く息を吸い、営業用の笑みを添えてゆっくりと言った。
「長くお使いいただけて嬉しいです。ありがとうございます。
ただ、返品・交換の対象になるのは、基本的に未使用で不良のあるものに限られますので……もし次に何かございましたら、対応可能なものをお持ち込みいただけると助かります」
女性が「あ、ええ、もちろん」と軽くたじろいだ。タオルを抱えなおし、「じゃあ……もういいんだけどね、ただちょっと、聞いてもらえたらそれで」と笑い誤魔化すのを見届けるや否や、間髪入れずに佐々木は「貴重なご意見ありがとうございました。」と伝え、身を翻した。
レジに戻ると、神崎が小さく「ごめんなさい、助けられなくて」と呟いた。
佐々木は首を横に振って、皮肉まじりに言った。
「いや、君が行ってたら……帰ってこれなかったかもしれないから、正解」
笑えない冗談を吐きながら、目の前のお客様に営業スマイルで向き直る。
「大変お待たせいたしました。」
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