第3章:山荘

カーナビの案内は途中で止まった。目的地を「目的地周辺です」と曖昧に告げたまま、何の助けにもならなくなった。

 あの山荘は地図に載っていない。昔も、今も。いつもそうだった。子供の頃、地図にはない場所を見つけたことが誇らしかったし、秘密基地のようで胸が躍った。

 今はその場所へ向かうだけで、息が浅くなる。


 車を降りると、空気は冷たく、湿っていた。標高のせいか、吐く息が白い。鳥の声もしない。風の音もなく、ただ自分の靴音だけが耳に残った。


 草むらを踏み分け、獣道をたどる。足元の土はあの日と同じ感触だった。雨も降っていないのに、いつもぬかるんでいる。

 何かが地面の下で、ゆっくりと呼吸しているようだった。


 山荘は、20年前と寸分違わず、そこに建っていた。

 ペンキは剥がれ、木の柱は黒ずみ、窓ガラスのいくつかは割れていたが、全体としてはそのままだった。誰かが定期的に手入れをしているようにさえ見える。人の気配はない。だが、誰かが住んでいるような、静かな生活臭が漂っていた。


 鍵はかかっていなかった。扉を押すと、きしむ音とともにゆっくりと開いた。

 玄関マットの上には、土のついた小さな靴の跡がいくつもあった。子供のものだ。靴跡は乾いていて、今日ついたものではない。でも、つい最近のものだと思えた。


 奥へ進むと、あの部屋があった。リビングの奥、扉の向こう。地下室へつづく階段。手すりは冷たく、埃ひとつない。

 階段を降りると、ひんやりとした空気に肌がざわついた。地下室のドアは閉じられている。昔と同じく、鍵がかかっていた。だが、鍵穴には新しい鍵が刺さったままだった。誰かが使ったばかりのように。


 涼介はポケットの中から手紙と地図を取り出した。

 封筒の紙はしっとりと湿っている。まるで、ここまでの道のりを記憶しているかのようだった。


 ゆっくりと、鍵を回す。重い音がした。

 ドアを開けた瞬間、かすかな香りが鼻を打った。花のような、しかし少し腐りかけた甘い匂い。記憶の奥底から、懐かしさと嫌悪感が同時に押し寄せた。


 薄暗い地下室の奥、そこにはベッドがあり、小さな棚があり、古びたぬいぐるみが置かれていた。20年前のまま。埃もなく、整然としている。

 まるで、今もそこに誰かが暮らしているかのように。


 壁の一角には、小さな写真がピンでとめられていた。

 あの頃の僕たち。5人。真ん中で笑っている少女。彼女の顔は、写真の中でもやはり、変わっていない。


 涼介は、床に座り込んだ。

 静かだった。まるで音を飲み込んでしまう部屋だった。心音すら、ここでは響かない気がした。


 その夜、山荘には泊まることにした。ベッドは、地下室ではなく2階の古い寝室を使った。シーツは薄汚れていたが、冷たさは不思議と心地よかった。

 窓の外には何も見えない。月も星も、街の明かりも届かない。


 ただ一晩中、どこからともなく小さな足音が聞こえていた。

 それは、階下から。もしくは、地下室の中から。もしくは、自分の胸の中から。

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