第2章:再会

 彼女の名前は、封筒の中には書かれていなかった。

 だけど、涼介にはわかっていた。誰でもない。ほかの誰でもありえない。あの時、名前は永遠に刻まれてしまった。

 消えるはずもない。


 夜の部屋で、テーブルの上に手紙と地図を広げる。

 薄暗い部屋、テレビも音楽もつけず、ただ時計の針の音だけが響いていた。時間だけが平然と進んでいく。20年前も、こんな風に静かだった。何か恐ろしいことが起こる前の夜は、いつもやけに静かだ。


 あの日も、同じだった。

 誰かの家に集まって、ゲームをして、お菓子を食べて、他愛のない話をして。

 そして次の日、彼女は行方不明になった。


 正確には、行方不明「になったことにした」。

 涼介たち、五人の子供たちは、彼女があの部屋に入ったことも、鍵を閉めたことも、見なかったことにした。

 ずっと、見なかったことにしてきた。


 そのまま、時が過ぎた。何も語らず、何も告白せず、大人になった。

 まるで何もなかったかのように。けれど、何も終わっていなかった。


 地図に赤く記された丸印は、山荘だった。

 人里離れた場所。何もない、誰もいない、閉じ込めるには最適な場所。

 涼介は、ためらいなく翌日の休暇を申請した。理由は聞かれなかった。誰も気にしない。日常とは、そういうものだ。


 出発の朝、窓の外は曇天だった。どこか遠くで雨が降っているような湿った空気。

 子供の頃も、天気はこうだった。季節はずれの冷たい風が吹いていた。

 忘れたくても忘れられない匂いが、鼻を刺す。


 車を走らせる間、ラジオの音楽が耳に入らなかった。言葉も音も全部、意味を成さなかった。ただタイヤがアスファルトを滑る音だけが耳に残っていた。

 助手席の上には、便箋と地図。まるで、誰かがそこに座っているかのようだった。


 あの山荘は、20年前のまま、きっとそこにある。

 そう信じて疑わなかった。彼女が、そういうふうにしてしまったのだから。

 そこへ向かうことは、逃れられない「再会」でしかない。


 日が傾き始めた頃、涼介は車を停めた。

 見覚えのある道、聞き覚えのない静けさ。

 山の輪郭はあの頃と変わらず、時間だけが置き去りになった場所。


 エンジンを切った。

 車内は完全な無音になった。まるで世界に自分ひとりしか存在しないようだった。

 手袋をはめ、ジャケットのポケットに鍵を入れた。

 ドアを開け、足を踏み出す。そこから先は、20年前の続きを歩くだけだった。


 山荘は、すぐそこだった。

 そこに、彼女が待っている。

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