第16.5話:「ファングインの取り扱い説明書1・その過去は雪が降り積もる音にも似て、欲望は稲妻の様に鋭く」


 ――己(おれ)に、生まれの親はいない。



「ばあちゃん。己はどうして生まれたの?」

「それはね、ファングイン。お前のお母さんが生んでくれたからだよ」


 己を育ててくれたのはエルフの老婆だった。

 老婆と言っても、エルフにはエルフの老い方がある。人間の様に皴が刻まれず、ただ体は子供の様に縮むのだ。だからエルフの老人というのは、一見すれば子供の様に見える。……見分け方は髪の色。

 若いエルフの髪は金、老人は銀だ。


 その小さな体。

 かつては凄腕の戦士として知られた彼女は、己が物心つく頃に既に銀の髪に垂れ下がった耳を持つ老婆だった。おそろいの銀の三つ編みをして、身長は百二十センチ程。


 ファングイン、という名を付けてくれたのも彼女。実の娘でもない己を、愛情をかけて育ててくれた。

 剣や格闘術、鉄球の使い方。戦い方の全てを教えてくれた。

 己の魂は、彼女によって作られた。


「本当のお母さんが欲しい、ファングイン?」

「……ううん、己はばあちゃんさえいれば」


 家族はぬいぐるみのガンプと、ばあちゃんだけ。

 ばあちゃんが好きだった。

 けれど、彼女は長命のエルフだったが……長生きの種族がみんな長生きという訳じゃなくて。丁度、五十歳の時に己は彼女を失う。


 別れの時、言われた言葉は今でも覚えている。

 晴れた冬の日の午後、樫の木で出来た小屋の白いベッドの上で、ばあちゃんの緑の目は段々閉じていく。


「ファングイン……傍に、いる?」


 ――あぁ、いるよ……ばあちゃん。

 声にしたかったが、もうその頃には声を失ってしまっていた。声帯は歪み、獣の様な唸り声しか上げられない。


「ばあちゃん、もう無理みたい……ごめんね、ずっと一緒にいれなくて」


 何でもしたかった。ばあちゃんの為なら。


「ファングイン……貴方は、ほんの少しばかり普通の人と違うみたい」

「……」

「けれどね、それが貴方が幸せに生きちゃ駄目なんて理由にはならないわ」


 ばあちゃんが己の頬に触れる。老いてもあれだけ強かった剣を振るった腕は、今はもう力が少しも入っていなかった。

 ただ綺麗なだけの肉の塊になっていく。


「ばあちゃんがいなくなったら、きっと里から追い出される……エルフは自分達以外嫌いだからね」

「……」

「人の世は、ここより自由だけど……ここよりもっと生き辛い。ずっとばあちゃんの娘でいて欲しかったけど、流石に冥府には連れていない」


 ――ばあちゃん。

 鼻をすすり、涙を流す己を見てばあちゃんは笑いかけた。


「ねぇ、ファングイン……墓参りはいらないわ。でも、その代わりお願いがあるの」


 そこで、ばあちゃんは最後の力を振り絞って己の首に手を回す。

 そして囁く様に、耳元に口を寄せた後。


「ばあちゃんの事はわすれて、新しい家族を見つけて作って……そして幸せに暮らしなさい」


 ――やだよ、ばあちゃん。

 そう言おうとしたが、唸り声だけが虚しく響く。


「大丈夫。ファングインが忘れても、ばあちゃんはお前のそばにいる……」


 それが、ばあちゃんの願いだった。


「お前は、強い子だ。いつか悲しみを乗り越えられる……お前なら大丈夫、きっと大切な物を見つけられる」


 そこでばあちゃんは、己の剣に緑の目を映す。もうぼんやりとしてしか見られないのだろう、視線は幾らかずれていた。


「でも、その力――みだりに使ってはいけないよ。それはね、条理を変える剣だ」

「……」

「お前は、その剣を使えば使う程獣と化していく……かわいい声を失ってしまった様にね」


 己が声を失ったのは、三十歳の頃。

 ばあちゃんと狩りに行った時、運悪く魔猪に襲われた。一度負えば治らない傷を負わせる呪いの牙に傷つけられたばあちゃんを救う為、己はある剣を振るう。

 瑠璃色の剣は、魔猪を命ごと断ったが……代償は永遠に声を失う事だった。


「本当に、必要になった時だけ使いなさい……ばあちゃんとの約束だ、いいね」


 ――そうして、己はばあちゃんが亡くなった後旅に出た。

 一枚岩の大陸をあてどもなく。でも何処も長くはいられなかった、十年経てば街を移ったのは一重に歳を取れなかったから。

 十八歳の頃から、この体はエルフでも無いのに歳をとる事は無かった。



 二人と出会ったのは、二百歳を超えてからだ。

 ある日、とある街をぶらついてた時だ。ひょんな事から中年の占い師に呼び止められた。


『貴方は、これから欲しかったものを手に入れられますな……同時に波乱も招きますが』


 その予言は見事的中した。



『ボクはさ、この仕事実は飽きたんだ。この人生で何が出来るのか知りたいんだ、殺し以外でね……君についていけば解るかな?』



 ――〈紫鳶の座〉という組織を潰した時に出会ったのが、バルレーン。



『妾は自分の魔術がどこまでいけるのか知りたいのじゃ! 剣士殿といれば、退屈はしないじゃろうな!』



 ――学院で不自由を理由に燻っていた中出会ったのが、ユーリーフ。



 短い間だったが、二人とも面白くて楽しい友達が出来た。

 その中で『剣』を振るったのは二回。失った物はバルレーンの仕事と健康、ユーリーフの環境と足。得てしまった獣の要素は二つ。でも、己は構わなかった。


 更には貧乏で、金に困って冒険者になったがばあちゃんと一緒にいた時以来の、楽しい時間を過ごしていた。きっとこれが占いの家族なんだろうと勝手に思ってた。

 あの日、百合の血が香るまでは。 


 イシュバーンに来た理由は、一重にユーリーフたっての希望だった。

 

『やはり、妾はゴーレム遣いの御祖たるアルンプトラ卿――その師匠のファルトール殿の迷宮には一度潜ってみたい!』

『まぁ、イシュバーンなら迷宮いっぱいあるし、食うには困らないだろうね』


 最初はそんな軽い理由だった。それで賢者の石を見つけたはいいものの、金が無くなったから牧場の仕事で出稼ぎをした帰り。

 幌馬車の上で昼寝をしてた時。寝ぼけ眼に映る晴れ空に、飛竜が掠めたのが最初だった。

 多分、どっかで食いやすそうな逸れた家畜でも見つけたんだろうと最初は思った。飛竜にはよくある事だし。


 その後、鼻を擽る香りに思わず自分の正気を疑った。

 ――極楽百合の香り。


『ファン? ファン!?』


 バルレーンの声を背に、己は香りを辿って走った。

 まさか、そんな。……いや、あり得る筈がない。

 そう思いながら、胸の動悸だけがずっと激しくて。そうして生きてる左目に映るのは――



『し、師匠……助けて……!』



 風に紛れた極楽百合の香り、あり得る筈のない香りが鼻を突き指すのを見て――これが宿命だと知った。

 その小さな体。茶色い髪に、青い瞳。

 とてもじゃないが、同じ血を引いてるとは思えない。


 ――でも知っている、解っている。

 きっと彼女が己の……なら何で己を捨てたのだろうと疑問が湧いた。


 理由は、おのずと分かった。

 己は望まれて生まれてきた者ではないから。


 きっと正体を明かしてしまえば、彼女は己を殺すだろう。

 それでも、それでも己はアスフォデルスが欲しい。



『お願い、通して?』



 …………たとえ、それがどうしようもなく矛盾満ちた物であったとしても。

 手を伸ばしてしまう自分がどれだけ浅ましいかは、自覚はしている。

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