第16話:「アスフォデルスの取り扱い説明書16・怖くなると逃げる」
生き残ったか、そうガノンダールはアスフォデルスの動向を纏めた手紙を読みそう思った。
力を失ったアスフォデルスが魔族を退けたという事は、余程の実力者を味方につけたという事らしい。だが、やる事は変わらない。次の策を打つだけだ……然るべき所に払う金の用意などとうにできている。
「アストロラーベの魔道具、……奴らしい置き土産だ」
アスフォデルスの動きは掴んでいる。後は少し工夫すればいい。
「もう少しだ、フロウィス。もう少し」
――――。
――。
数日後、ガノンダール邸は物々しい雰囲気が立ち込め始める。ある日を境に剣や弓、革鎧に身を包んだ冒険者が出入りし始めたからだ。
「師父……」
それを青い瞳は金のメダリオンを握りしめ、忸怩たる思いで見つめていた。
× × ×
己(おれ)達が迷宮を攻略してからしばらくが過ぎた。その中で色々な事があった。
バルキスの罠の呪いに関しては、アスフォデルスが隕鉄とコイルを利用し解呪してくれてた。
という訳で己達はあんな事があった後も、病気一つせず無事でいる。
報酬として己達が手に入れたファルトールの研究資料は今は売り時を狙ってて、まだお金にはなってない。という訳で己達は日銭を求めて今もダンジョンに潜っていた。
「ワクワクお姉さん、今日は一体何を作るんだい? 今日はね、この《機構の二つ、裂転なる左》!と魔物で死体を作るんじゃああああああ!」
ゴーレムの左の盾に仕掛けられた丸い車輪から刃が現れ、それは群がる魔物を次々引き裂いていく。
芽濶の迷宮の八階は植物系の敵が多い。木と蔦と根をより合わせて作った兵士達に、この武器はかなり効くらしい。
……基本的に儲けは一天地六の博打なダンジョンでも、最低限の金を稼げる方法はある。それは、人気のない迷宮で冒険者ギルドが決めてる最低ラインの階層で魔物を狩る――間引く事だ。
迷宮の中で魔物は定期的に生まれる。人気のある迷宮は勝手に人が戦って減らすが、人気のない迷宮は放置されがちで下手したら地上に溢れる。そうならない為、最終防衛ラインまで間引くと、ギルドが最低限のお金をくれるのだ。
別名はドブさらい。報酬は牧場で牛や馬のご機嫌取りをするより高いけど、三食はつかないし宿もない。
「血は廻る永世輪廻! 死体が山ほどゴロリじゃあああ! ……ついでにダメ押しの《力は矢、意思は弓、放て》」
ユーリーフの手から赤い光弾が放たれる。ついこの間までゴーレムだけでかっつかつだった筈の魔力は今は満ちていた。
彼女のベルトにくくりつけた金のランタンに入った賢者の石。ファルトールが作り、アスフォデルスの黄金の血で再び修復されたそれは、今はユーリーフ第二の魔力炉として活用されていた。
「なんでも言う事を聞いてくれるゴーレムと、解禁された魔法で妾は最強のゴーレム魔術師になったんじゃー! あぁああああああ、最高じゃこの石ー!」
流石にアスフォデルスの物と比べれば出力はかなり落ちるらしいが、それでもユーリーフもう一人分の魔力があるらしい。アスフォデルスの事は嫌いと言っても、直してくれた物は思いっきり使うあたり良い性格をしてる。
ユーリーフのゴーレムがコイルを回す。騎士像は何でも持ち帰った隕鉄の扉の破片で強化したらしい。……いい性格してる上にちゃっかりしてた。
「はいはい、ユーリーフ……前に出過ぎないでね。ファン、引き続き防御を。ボクちゃんは今こいつを解除するから」
バルレーンはと言えば、指示を出しながら今己達を取り囲む酸の水槽を何とか開ける為、壁の中に見つけた仕掛けに針金一丁で試行錯誤していた。
針金を手繰るその指には血が滲んでいる。
時を操る代償として、彼女の体は急速に脆くなっていた。深紅の髪には白い物が混じり、肌も少しばかり皴が刻まれていた。
ただ、それでもダンジョンに潜れる理由は――
「おっと、薬の時間だ」
そこでバルレーンは腰の革袋に手をやって中の物を一口舐める。一気に飲み干さない様に粉末状にしたレモンを混ぜたそれは、ユーリーフの賢者の石から抽出された水薬。
それを飲み込むと、少しばかり彼女は若返る。針金を手繰る指からは血が消え、髪は艶を取り戻し、皴も消える。
「プラマイゼロ。若干マイナスってとこだよねー」
そう言いながら、バルレーンは右手を閃かせる。瞬間遠くにいた敵の頭が弾けた。
それが彼女が機帥の迷宮で手に入れた物の全てである。悪い事ばかりじゃない、今まで戦闘は無理だったバルレーンが戦闘が出来る様になったのだから。
少なくとも、水薬が尽きない間は。
「羨ましいのう! 妾の足を直すには濃さが足りんのじゃ、――今バルレーンと話しとったとこじゃろう! こんにちは死ね!」
「はいはい、油断しないの!」
ユーリーフがそう言いかけた所で、脊髄反射的に右手を繰ると隙を突こうとした敵を回転鋸で一薙ぎする。
「うー」
己は、そんな彼女を邪魔しない様に右手の剣で植物兵が放つ種の矢を逐一叩き落す。
次々に生まれる死の点を、刃で撹拌し防ぐ。理屈は簡単。雲耀の速さで後の先を取り、種子の矢が触手に当たった瞬間その箇所から魔力を流し、全ての力――膂力は言うに及ばず、速力や推力、破壊力すらも――その一切合切を消失し静止させる。
バルレーンが名付けた名前は『花の剣』。
「やっぱり夏は回転鋸に限るのう!」
「今はまだ春だよユーリーフ……っと」
喧噪の中、二人の声が遠く感じる。
思うのは、アスフォデルスの事。結局アスフォデルスとはあの後、断絶状態になってしまった。
ユーリーフは時折彼女に思い出し切れをし、バルレーンは空気を読んで彼女の事を話題にも上げない。
アスフォデルスは己達に多くの物をくれた。ファルトールの研究資料の殆どに、修理された賢者の石、それに壊れたもののアダマンタイトで出来た魔法銃一挺。それに対し彼女があの迷宮で求めたのは十字魔法銃とアストロラーベだけ。
……心がじくりと痛む。己は、結局彼女を引き留められなかった。今、彼女は新しく倉庫を借りて何かを作っている。
もしも。
もしファルトールが、本当に生きていたらどうしよう。
ファルトールが生きていたら、多分アスフォデルスは本当に喜ぶだろう。だけど、きっと彼女は己の事を見なくなる。
………………それは嫌。
そこで思い出すのは、死脳喰らいの事。彼のその最期が、お前は駄目だと訴える。
愛されるべきではない、お前はけして許されない……記憶の底からやってくる怨嗟がそう嘯き。
手元が狂う。
「あ痛!」
くるり、とバルレーンが振り向く。お尻には打ち払い損ねた種子の矢の破片が後ろ頭に浅く刺さっていた。
「ちょっとー! なんか、凄い痛かったんですけどー! ……あふん」
「バルレーン! 剣士殿、それはレッドカードじゃ!」
頭から血の入ったバケツを被った様な出血と共に、彼女はその場に倒れる。
……ごめん、バルレーン。気絶した彼女にそう謝る。起きたらまた、ちゃんと謝らないと。
その時、かさりという音がした。脊髄反射で生きてる瞳が追うと――そこには白くぬるつき、青い瞳を持ったもの。
あれは……、とそう思った時である。
「剣士殿! おかわりが来ましたぞ!」
植物兵の増援が来たらしい。己は、否が応でも戦いに戻される。再度振り向くと、そこにはもう何も無かった。ユーリーフは何も触れないあたり、眼中になかったらしい。
アレを見たのは己だけ。でも確信してる、絶対気の所為じゃない。
――だから、己は今ここにいる。
「うー」
今は夜。月のない新月の日だ。
迷宮でのドブさらいが終わった後、己はいてもたってもいられずアスフォデルスの元に向かった。
聞き耳には自信があった。盗み聞きを重ね、道を辿るのなんて訳ない。幸いな事に、アスフォデルスは話題には事欠かず至る所で噂になっていた。
年端もいかない酒場のチェス荒らしが、今は作業場を借りて何かを作ってるらしいと。
アスフォデルスが借りてる倉庫は、元は夜逃げして潰れた船大工の作業場だったらしい。中には入れないから屋根の上。
『もう少しですよ、師匠……水蛇の迷宮にいらっしゃるなら、すぐお迎えします』
装備を改良すると言ってたから、何か迷宮への準備をしているらしい。
ファルトールは水蛇の迷宮という所にいるらしい。窓の中には大量の木箱や資材、実験機器が転がっている。壁には砂で描かれた水蛇の迷宮の地図が広がり、赤い砂で丸印。それがファルトールなのだろう。
木で作られた装置は、水蛇の迷宮の二十階と示していた。
……己は、正直おかしいと思った。
何故ならあの壁の地図の中のファルトールは水蛇の迷宮から一歩も動いてない。そもそもなんでわざわざ迷宮の奥に行ったんだろうか。まるで人気のない所に来て欲しいみたいじゃないか。
それに、芽濶の迷宮で見た物はアレは間違いなく……。
「うー」
確かに、それもある。
それもあるが……この前は、酷い事をしてしまった。頬を叩いて、アストロラーベを投げるのは駄目だったと思う。
言葉は喋れないけど、何とか謝りたかった。
『お金の事は心配いりません、師匠さえいれば……私は他に何もいらないんです』
だけど、もうアスフォデルスは妄念が体を突き動かしてるらしい。そこに何の疑問も抱いてないようだ。もしくは信じたくて、あえて気づかないフリをしているのか。
窓硝子越しに何かの機械を組み立てる音とアスフォデルスの狂気の声が聞こえる。
『後二日……』
彼女がランプを壁に向ける。そこに映ったのは、巨大な――四メートル程の人の影。あれは……なに?
顔の部分。軍の人達が遠くを見る時に使う望遠鏡のレンズがきらりと光った気がした。
……その時、多分賽子の出目が悪かったんだと思う。
どうしようか考えあぐね、つい口寂しくなってパイプを咥えようとした時。その時に限って右手に痙攣が走った。
そうして手の中を滑り、パイプは下へ。
音が鳴る。
「なんです!?」
思わずアスフォデルスが外に出て、それを拾い上げ――上を見た。その青い瞳が己と目が合う。
「ファングインさん! 何故ここへ!?」
バレたか。バレちゃった。
どうしよう、そう思いながらも己はとりあえず屋根から下に降りた。怯え、同時に怪訝そうな目を向けられながら。
あんな事があったんだから、当然だろう。
「………………何しに来たんですか?」
「……」
なんて言ったらいいんだろう。言いたいけど、己の言葉は意味あるものにならない。
本当ならバルレーンかユーリーフがいればいいのに。
でも、これは伝えないといけない。水蛇の迷宮に行くのは止めて欲しい。
文字が書ければどれだけ良かっただろう。でも己は文盲だ。
今作ってる物を壊すか、それとも冒険が出来ない位にボコボコにするか? いや、そんな事出来ない。
「な、なんなんですか……本当に。黙ってられても困ります……」
それに対し、己はアスフォデルスが開いた扉の向こう。壁の水蛇の迷宮の地図を見つけると、指を差して首を横に振る。
「後ろ……?」
数拍遅れて、得心が行ったらしい。アスフォデルスの瞳に理解の色が浮かんだ直後、ゆっくりと重たい舌を回し。
「なんです、もしかして行くな……とでも言いたいんですか?」
己は……どう答えていいか解らず、それでもそれが一番答えに近かったから首を縦に振る。そこでとうとう怒りが頂点に達したらしい。
「なんですか! 急に夜分遅く来たと思ったら、また邪魔をしに来たんですか!?」
そうじゃない。でも、今は危険だと思う……そう言えればいいのに。どうしてこうなるんだろう。
「私は、師匠に会わなくちゃいけないんです! だって師匠は待ってるんだもの!」
「……」
「もう帰ってください、私今凄く忙しいんです!」
笑ってほしかった。笑いかけて欲しかった。
なのに、現実は怒ってる顔しか映らない。己はただ、危ないから延期して欲しい……せめて少し考え直して欲しいだけだったのに。
これが……見たかったんじゃない。
それが辛くて、悔しい。
「私には師匠しかいないんです! 貴方には解らないでしょうね、ご立派な冒険者様には!」
何も言えない。もし話せたら、バルレーンくらい口が上手くなれたら変わるんだろうか。そう思った時――
「なんですかそのしかめっ面は、人を愛する事なんて知らないみたいに! まるで赤い血が流れるホムンクルスじゃないですか!」
――さい。
「……え? なんです、急に……」
――うるさい。
「や、いや……すみません。言い過ぎました、怖い。怖いですファングインさん……」
――うるさい。うるさいうるさい。
誰の為にやってると思ってるの! 何で己の事解ってくれないの! 己は、己は貴方の為にやってるのに!
気が付くと、己はあの時と同じ様に力いっぱい抱きしめていた。
「むぎゅ!」
悲しみじゃない。怒りに満ちた抱きしめだった。こうして抱き締める事で、己の気持ちが伝わればいいのに。
どれだけ己が貴方の事を思ってるか、この気持ちを解ってよ!
戦った。戦いたくない相手と戦って、更には死ぬ寸前まで血を捧げた。これ以上何をすればいいの!? どうすれば、貴方は己を愛してくれるの!
「くるし……助け、ししょ……」
まだそんな事を言う! そこで己はその白い首を噛む。跡が青く残る程に。
どうせ己の物にならないなら……それならいっそ。
そこで脳裏を過ったのは。
『嫌いなんです。人じゃないのに、人を形取る物が……』
あの時、機帥の迷宮でアスフォデルスが吐き捨てた言葉。あの冷たい瞳。それが己から力を奪う。
「ッは、はぁはぁ! ひっ……」
潮が引く様に、心が落ち着いてく。
己は、何て事をしていたんだろう。
力が抜けた瞬間、アスフォデルスは命からがらという態で引き攣った声を上げながら己から離れる。噛み跡を押さえながら、向けるその瞳は死脳喰らいを見るのと同じ目つきだった。
「こ、来ないでください……お金なら上げます、だからもう来ないでください!」
あ。
あぁ。あぁあああ。
これが見たかったんじゃない。だけど解る、もうこれは無理だ。
何も出来ないまま茫然としていると、アスフォデルスは扉を強く締める。それは彼女が作り上げた重たい城塞だ。
開く事は、もう無いだろう。
「……」
結局、己は何も出来なかった。ふと見ると月のない夜空の中、消え入りそうな程小さくいよろけん座が瞬いていた。
お前に彼女は手に入らないと、突きつける様に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます