第17話:「アスフォデルスの取り扱い説明書17・因果応報を喰らう」


 ――魔術師にならなくていい。ただ、生きてくれさえすればいい。


 ――どんな人生を歩んでくれて構わない。一人でも生きて行ける様に。


 ×    ×    ×


 結局己(おれ)は何も出来なかった。敗残兵な己を迎えたのは、慣れ親しんだ我が家、イシュバーンの数ある支流の一つに沿った北鼠通りの元酒屋の倉庫。

 葡萄酒や麦酒の匂いが染みつき、夏は涼しく冬はそこそこ暖かい。何より普通の賃貸より安いし、市場にも近いから色々便利。

 己は藁を中に詰めたベッドに倒れ込むと、シーツで包まる。もう何もしたくなかった。


「こらー、日がな一日眠ってるなんてどこの姫様だい?」


 バルレーンは甕から汲んだ水薬を革袋に入れながらそういう。ほっといて欲しい。

 というか、いつもなんで姫様呼びなの? そう思って布団から瞳を覗かせると。


「お、姫様が顔を出したね……この我儘放題っぷりはまさしく姫様――って痛いなもう!」


 なんだ、ただの嫌味か。そう思って己はもう一度布団を被り直す。


「駄目だ、餅みたいに動かなくて餅みたいに働かない、……そして食えないから餅以下になっちゃった――なんとか言ってやりなよユーリーフ!」

「よし、これで一先ずは終わりじゃ! 大分手こずらせてくれおったな……あれ何か言ったかバルレーン?」


 向かって左側で、ユーリーフは何かを弄ってたらしい。黒い何かが机の上に載ってるっぽい。


「人の話はちゃんと聞いておきなさいよ」


 二人とも漫才だったら、どこか他所でやって欲しい。


「なんだい、もしかしてアスフォデルスに振られでもしたかい?」


 ……そんなんじゃない。


「水蛇の迷宮に付いていきたかったのなら、アレはまずかったねぇ……」


 何で知ってるの!? と思った時、顔に出ていたらしい。バルレーンは軽く笑いながら。


「そら、往来で巷の有名人とあんな事してれば嫌でも耳に入るよ」


 そこで、ユーリーフはいよいよアスフォデルスの作業を中断してこちらに向かってくる。


「なんじゃなんじゃ、どうしたんじゃ」


 更には腰につけた金色のランタン――ファルトール手製の賢者の石が入ったそれも、机の上に置こうとして。


「――ああん、やっぱりこれは駄目じゃ!」


 やっぱり置かなかった。

 そこで、がたりという音が天井から響く。

 ――刹那、己は右手の親指で剣の鍔を弾く。柄がユーリーフの頭上に直撃し、衝撃から零れ落ちたそれをバルレーンの針が四肢を串刺しにした。

 そうして地面に落ち、針縫い留められる形となったのは白くぬるつき、青い瞳を持っていた。

 機帥の迷宮で死ぬほど見た奴。そして、芽濶の迷宮で見かけた物。

 魔族の分体。


「ひょえええええええ! なんじゃ、なんじゃ一体! どういう事じゃ!?」

「……猫にしては大き過ぎるね」


 くるくると回転し落ちる剣を上に上げた鞘に納めた直後、バルレーンはそう言う。

 やっぱり、これは見間違いじゃなかったらしい。でも、なんで一体。


「アスフォデルス曰く、魔族は自然と出て来る物じゃないらしい……ていう事を言い換えれば、誰か仕組んだ者がいるって事だね」


 そこでバルレーンはユーリーフの手の中の金のランタンを見ると、彼女から取り上げる。


「あぁ、何をするんじゃ!?」

「ちょっと借りるよー」


 バルレーンはランタンの中から赤い石を取り出すと、分体の前に翳す。すると白い体は、痛みに悶えながらもそれに手を伸ばした。


「なるほど、こいつに惹かれたと見える……賢者の石の中から仄かに香る百合の血の匂いに」


 そうして、彼女は右手の針を分体に打つ。まるで解剖の様に彼女は分体の体の仕組みを暴いていった。


「人の目が嵌ってるね。でも、こいつの体と合っていない……目玉の筋肉の付け具合も遠すぎるし、脳は今も魔力が流れてる……覗き見か」

「ど、どういう事じゃバルレーン?」

「遠くから覗いてる奴がいる、……この足の泥の付き具合から昨日今日じゃない。結構前から見てたな、それでいてボク達は今日まで無事と」


 そこでバルレーンは分体の目を潰す。それが苦悶の声を上げる中。


「本命に近づかせない為の警戒ってとこだ。用心に用心を重ねる奴らしい、でも使い魔のコントロールが今は疎か……それだけ手が回らない、どうやら今日が仕上げの日と見える。

 ――今日水蛇の迷宮に行く奴が一人いるよね。ボク達の見知った奴の中でさ」


 背筋に戦慄が走る。

 アスフォデルスが危ない。

 己は剣を腰に括り付けると、即座に立ち上がり深緑のローブを羽織る。……行動は考えるより速かった。


「ファン、行くのかい?」


 バルレーンのその声に己は、首をゆっくり縦に振る。


「……何があるか解らないぞ、それに分体がいるって事は……もしかしたら」


 わかってるよ、バルレーン。でも、行くしかないんだもん。


「君を見る事は無くてもか、ファン……」


 バルレーンのその言葉に、思い出すのは数日前の事。

 けして、彼女は己を見ない。それどころか己を毛嫌いしてるだろう。

 真実を明かせば更に。

 でも、思い出すのは彼女が己の腕にいた時の事。死脳喰らいに怯えた彼女の感触。

 ――己は首を、もう一度縦に振る。

 アスフォデルスが危ない、そう言われただけで心が泡立つ。己には彼女を見捨てる事が出来ないらしい。言葉には出来なかったが、己の意思を察したバルレーンは一度渋い顔をした後。


「そのキメラのぬいぐるみはもう隠しておきな……祈るといい、それが楽土の供とバレない様にね」


 それは多分彼女の心からの忠告だった。己は懐から鉄球を出すと、魔力を込めて足の裏に置く。元来鉄球はこうして使う物だ。


「先に行ってて――ユーリーフ! なにしてんの、ほら準備して!」

「あんな方……どうなっても構わぬ」


 去り際と同時にバルレーンがユーリーフに声をかけるのが聞こえたが、……止まる事は出来なかった。


 ――――。

 ――。


 舐めていた。アスフォデルスを舐めていた。装備を改良すると言ったけど、まさかこんなの作ってるなんて聞いてないよ!


 水蛇の迷宮へ続く畦道を、四本足に付けた車輪が甲高い音を立て疾走する。通りがかった冒険者が、「ゴーレム?」と思わず声を漏らした。

 迷宮の入り口の大きな土饅頭が見えると、左足に付けた杭が突き刺さり左向きにターンし止まった。己もそこで樫の枝の上で足下で高速回転する鉄球を止め、しゃがみ込み隠れる。


 陽の光に照らされ、その姿が露になる。大きさは四メートル、形は蜘蛛女――アラクネに似ていた。色は全身黒。顔は望遠鏡を切り詰めた様な物が三つ、三角形の箱の中に入ってる。

 右手にはゴーレムに持たせる程大きな魔法銃。背中には野営道具。脛の仕掛けが駆動し、上半身はそのまま。太腿から地面に跪く様に着地。胸の部分がぱかりと開き、そこからあの戦装束に身を纏ったアスフォデルスが現れた。


「曲がり杭が冴えませんね」


 帽子に仕込んだマスクを上に仕舞うと、足の杭を見て誰にともなくそう呟く。装甲した自動人形の騎兵。これがアスフォデルスの新しい装備だった。

 問題は馬の駆歩ぐらいの速さを一時間も出せる事。その速さで街から郊外、そして河を渡って木立を抜けて……己も鉄球の技で同じくらい出せるけど、ちょっと疲れた。


 ――水蛇の迷宮の土饅頭はかなり大きい。その理由は全二十階の迷宮だけど、一階から出て来る魔物が巨大でゴーレムを入れる必要があるから。

 顔の三連望遠鏡が回転すると、ランタンなしで迷宮の真っ暗闇を自動人形が突っ切る。……その背後、十メートル奥で己も追従し始めた。

 そこに車輪の音に反応して、魔物共がやって来るも――右の魔法銃に影すら残さずに一掃された。


「流石私、これ以上ない程完璧な仕事です。我ながら惚れ惚れしちゃうほどですよ」


 その威力に非常に満足げな声が漏れる。その時だ、天井の上から自動人形に向け魔物が一匹奇襲をかけた。自らの血でレンズを汚し視界を奪った後、魔物は左手で何とか上半身にしがみ付き拳を叩きつける。アスフォデルスは悲鳴を漏らしながら、車輪を駆動させ何とか引きはがそうとするが中々上手く行かない。


 一拍だ。一拍でいい。……己は鉄球を回し、右足の物を魔物の左手めがけ蹴る。めり込んだ鉄球は回転し、手を上半身から剥がした。


 そして宙に放り投げられた敵の腰を一閃。死体が二つ落下するのと同時に着地し、音でバレない様に――と思った所で右手から力が抜ける。

 不味い!と思った時にはもう遅く、音を立てて剣が落ちた。


「だ、誰ですか!?」


 蓋が開き十字魔法銃を向けるアスフォデルスと、目が合った。彼女の顔から一瞬で敵意に染まる。


「ファングインさん!? 貴方、一体何をしに……」


 何も言えなかった。まさか、アスフォデルスを影から守りに来ましたなんて言える筈――右後ろ。

 左の鉄球を蹴り投げると、獣の悲鳴が一つ。そこには先程斬った魔物の上半身が、血の線を残し息絶えていた。


「何です? 助けに来たつもりですか……?」


 こくり、と己は首を縦に振る。それに対してアスフォデルスは苦虫を嚙み潰した顔を浮かべ。


「……先ほどの事にはお礼を言います。ですが、お引き取りを……貴方のお力はもう借りませんので」


 そうして車輪が回転する音が響く。……その進行方向上に、己は両腕を上げて立ち塞がる。


「退いてください! 轢いちゃいますよ!?」

「……ッ」


 それでも、行かせる訳には行かない。どうかここで引き返して欲しい。そうして数拍の間が空いた後、アスフォデルスの青い瞳に殺意が混じる。


「……どうしても、私の邪魔をしたいみたいですね」


 自動人形の、その巨大な魔法銃の腕が上がる。筒先がこちらを向く。

 ごくり、と思わず息を飲む。そこまでやるのかと思った。


「私と師匠の邪魔をする人は、嫌いなんですよ!」


 ――そこで願ったのはただ一つ。

 行って欲しくないでも、守りたいでもない。嫌われたくない、だ。

 あんな事して怒りのままに抱き締めて、怯えられたんだからとっくの昔に嫌われてる筈なのに。

 それでもまだ。

 この期に及んで、まだ……アスフォデルスには嫌われたくなくて。

 考えもなく、ただ好きでいて欲しいが為に己は気づくと一歩右に避けていた。本当は守る為に来た筈なのに。 


「……な、なんです急に道を開けたりして? 行きますよ」


 己の事が一切理解できないアスフォデルスが続けて戸惑いの声を上げる。アスフォデルスの瞳は己を見る事は無い。そうして自動人形がその一歩を再度踏みしめた時だ。



 ……とぷんという水の跳ねる音を耳が確かに拾う。



「え?」


 底なし沼を踏んでしまったかの様に、自動人形は影に足を取られていた。己はなんとか両手で彼女の左腕を掴むも、そこで右手は元々痙攣が起きてたから力が入らない。

 かしゃん、という音と冷たい感触が右手に走る。

 直感はこう告げている、こいつは魔族だ。


「な、なんですこれ!? なんなんですか!?」


 ――駄目、駄目駄目駄目!

 その闇の中で触手が彼女の背を抱き締める様に絡み、アスフォデルスは己の手から離れた。ごぽり、という音を見ると彼女が乗っていた自動人形すら影の沼に飲み込まれていく。


「……」


 闇の沼の中、なにかニタリと笑った様な気がした。

 ――同時に、ふわりと鋭く冷えた敵意が鼻を擽った。次いで微かな音が重なっていく。

 足並みは規則正しい。呼吸も緩やかで、武術特有の調息の形跡がある。……そこに生じた隙を突き、今まで潜んでいた奴等が仕掛けて来る。


「音と共に来たり、影の中にて我ら現れん」


 数は十。全員が闇に溶ける為の黒衣を纏い、短剣を手にし等間隔で距離を詰める。

 墨を塗り、煌めきを消した刃が放たれる。

 己は、咄嗟に左手で剣を抜いて防ぐ。次いで感覚の無くなった右手に掴んだ何かをローブのポケットに突っ込んだ。


「お命頂戴――」


 徐々に包んでく闇の中、その声がぼそりと呟かれる。間違いない、こいつ等は手練れだ!

 淀んだヘドロの様な匂いから、魔族はまだここにいるらしい。とぷんとぷん、と石の水切りの様に音が連続し徐々にアスフォデルスが離れつつある。

 邪魔を――と思った瞬間、彼等は迷宮の中を軽業めいた軌道で絶えず攻め立てた。右手の自由が効かない状態でこれ程の相手十人は厳しい。正直防ぐので手一杯。


「うー……」


 都市には何でもある。どうしても後ろ暗い需要を満たすに足る仕事も都市には存在する。

 それが、暗殺者という者達だ。

 己のせいだ、全部……。

 立ちはだかる暗殺者達を前に、左手で握る柄が軋んだ。

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