第23話:「アスフォデルスの取り扱い説明書23・繋がる、見てしまう」


 因果とは。

 運命とは。

 織りて重なる布の如く、或いはもつれ合う糸玉の如く。

 ――それを覗く瞳は、数こそ少ないが確かに存在する。

 〈碑の目〉は確かに存在する。


 ×    ×    ×


 見える。

 繋がる。


 丁度百本目の触手が重なった時だ、視界ははっきりとした。触手に貫かれ、息絶えるその姿が映る。

 己(おれ)の右目は普段は視力を一切失っている。ただ、こういう危機の時に獣性が高まると視力を取り戻す。ただ見通すのは今の風景じゃなくて、それは様々な世界の波紋だ。


 ……死脳喰らいの時以来の、観測が始まる。


 自分が百二本目の触手に足を絡め取られて殺められる世界、魔族と化したアスフォデルスを歓喜の剣で殺めてしまう世界。そう言った数々の世界が己の右目に幻の様に映っては消え、どうすればその因果に辿り着くか理解出来る。

 まずは刃の位相をずらす。


「――」


 刃は意思に呼応し、その位相を狂わせていく。暗闇の中、ぼんやりとだが銀の刃に淡い瑠璃色の光が纏い始めた。迷宮の時と同じ様に、刃を中心にしてこの世の条理が狂っていく……そのずれから垣間見えるのは、数多からなる異次元の色彩。

 それが断てない筈の霊肉を断った。その僅かな隙をもぎ取り、己は魔法銃の掃射を躱しながら死線を外れる。

 一息で呼吸を整え、敢えて剣を鞘に仕舞う。

 狙うのはそう、可能性の世界の隙間。触手が奔った瞬間、それを狙い刃を走らせる。


「―――――――――ッ!!!!」


 結果は並行世界から呼び出した斬撃が、刃を重ねた影喰い沼の触手を分かつ。弾くだけしか出来なかった分厚い霊肉は、今は断面を覗かせ白い血を吹き流していた。

『君の右目は、瞳の中に円環の碑が入ってるんだね……それが回転する時、異なる世界を垣間見る訳か』


 バルレーンの付けた名は、〈碑の目〉。


 右目の車輪が回転する間、己は剣を介し見えざる物を見て触れ得ざる物に触れる事が出来る。

 自分の身体を切り刻まれ、影喰い沼は頭に来たらしい。再び影の中に潜むと、四方から無数の触手で襲ってくる。

 己はあえて後方に距離を取ると、その刃で空を斬る。それは次元世界を揺らす無数の波紋となり、事象となってこの世界に反響。防御不能の無数の斬撃が十メートルほど離れた影喰い沼を襲う。

 ……〈碑の目〉が発動した事により戦い方が変わる。刃の届かない遠距離の攻撃も可能となった。


「――」


 悲鳴が漏れる度、心が痛んだ。

 蠕動する音が聞こえる。まるで荒れた呼吸を整える様な。

 そうして前方から来る十字魔法銃の掃射に対し己は柄を両手で握り直すと、歓喜の剣を虚空に放つ。一突きは空間をひび割れさせ、壁となって防いだ。

 流石の十字魔法銃も空間の繋がりを断たれては、ご自慢の威力も無意味らしい。しかしそれでも、影喰い沼は戦いを止めない。

 ……もういい。


「――」


 そう思っても、影喰い沼は止まらない。

 ……もう止めるんだ。

 だって、貴方は――

 ――空気は帯電し、熱量が生まれ始める。火の粉が生まれたかと思うと、それは焔となり、やがてガノンダールの頭上で鳥を模り始めていた。


「《生は虚実、反転する永世輪廻。高きにあらず、低きにあらず》」


 焔に照らされ呪文を唱えるガノンダールの姿は、既に老翁ではない。白い髪や髭は黒い色を取り戻し、皺は失せて三十代の姿となっていた。

 ……ガノンダールの唱えてる呪文の未来も見える。最後に唱えられるのは《そなたは諸共を焼くもの、そなたは触れ得ざる神秘の焔、我はそなたを籠より放つ》で、アスフォデルスの触手が拘束した瞬間焔で出来た鳥で諸共己達を焼くという物だ。


 左の剣で触手を払った後、己は右に跳躍。次に左……今は防いで待つしかない。防ぐ中、呪文は着々と終わりへ向かう。

 己自身、この次元世界の斬撃が何度も使える訳じゃない、体力をごっそりと持って行かれる。呼吸は荒れ、息も上がって来た。


「――」


 影喰い沼もそれを察したらしい。前方だけの攻撃から常に死角を含んだ全周囲の攻撃に切り替える。

 望んだ世界はまだ見えない。まだ、まだ……。


「《焔は此処に在り。死よ去れ、影に消えよ》」


 そう唱えた時だ。見え、そして繋がった。

 己は百十八本目の触手の刺突を右手に切り替え花の剣で受けると同時に背後に跳躍。同時に先を読んで襲い掛かる触手を、滑空中に空間を削ったその反発着地をずらし躱す。

 刻一刻と垣間見る世界の数は増えていく。撤退の手はなしだ、その場合はアスフォデルスが死ぬ。


 影喰い沼は、

 影喰い沼は……もう殺すしかない。


 人の理を捨てろ。今はまさしく獣となれ。無傷で得られる物などないんだ。

 たとえそれが、何であっても。


「《そなたは諸共を焼くもの、そなたは触れ得ざる神秘の焔》」


 右手に柄の端を握り、刃を水平にし左手は盾として防ぐ為顔の前に置く。己は正面の魔族に向け駆けた。夜明け前の色と同じ光で、一筋の線を引く。

 そうだ、殺すんだ。鬼となれ、悪魔となれ、アスフォデルスを救うんだ。


 目を伏せるな、背けるな。

 ――本当に殺すんだ!


 十字魔法銃の掃射の中を己はあえて飛び込む。当たる部分は最小限、人間の胴体さえ無事ならそれでいい。

 飛蝗の足が弾け飛ぶ。鱗もとうとう限界が来たらしい、一枚また一枚と剝がれていく。矢の魔術に流れ出る血は焦がされた。

 だがいい、必要な犠牲だ。

 一歩。あの時アスフォデルスを行かせたのと同じ距離に辿り着くと、添えた左手を柄に回した。


「なっ!」


 詠唱の最中にも関わらずガノンダールが思わず驚愕の声を上げた。

 ――その技は何時でも使える技じゃない。然るべき時と然るべき場所が合わさり、極限までの生命の危機に陥った時に初めて使える物。


『でも、その力――みだりに使ってはいけないよ。それはね、条理を変える剣だ』


 ばあちゃんの声が一度木霊の様に響く。

 ……混沌の理論に曰く、蝶の羽ばたきが遠い異国では竜巻になるとされている。なら、その蝶を斬れば竜巻が生じる運命は消失する筈だ。この技はつまりそう言う論理で成り立っている。

 これが条理を変える剣。

 名前は、是無の剣。


 花の剣が導くのは、一撃必中の結果。

 歓喜の剣が導くのは、一撃必壊の摂理。

 是無の剣が導くのは、一撃必変の因果。


 刃の先まで神経が通う。血が、肉が、燃える様に熱い。

 ……己は右から左にかけて瑠璃の星を生む。魔族と化したアスフォデルスの身体を通り抜け魔族の命、彼女の運命に達する。

 鬼灯の光が消える。十字魔法銃は両断され、地面に転がった。

 上半身と影に潜んでいた下半身を横一線に断つと、上半身はガノンダールよりも奥の壁に水っぽい音を立てて激突する。


 場に残された影喰い沼の下半身は、途端形を失い溶け始める。溶けた肉体はまるで蛍の様な緑がかった光になっていく。その中から、まるで雪解けの様に茶色い髪をした少女の身体が現れる。青い服と黒い三角帽は、所々透明な粘液に塗れていた。しかし浅く息はしている。

 よかった、と安堵した直後。弱々しい、か細い声を耳が拾った。


「カ、アサン……カ……サ」


 ――あぁ。

 低くくぐもった、男とも女とも付かない影食い沼の声が響いた。しかし、アスフォデルスは意識を失ったままで、それが届く事は無い。

 影喰い沼は一度、闇の中から弱々しく触手を伸ばす。救いを乞う様に、求める物に手を伸ばす様に。

 零れ落ちそうになる涙を堪え、己は……。


 ――眠れ、お前は安酔の舟に抱かれ……やがて楽土の路を辿るだろう。


 あの時と、死脳喰らいの時と同じ言葉を手向ける。端から見れば、それは何時もの唸りにしか聞こえないだろう。己が言葉を話しても、全て唸りにしかならないから。

 それでも、その魂に祈りを捧げたかった。その弱々しく伸ばされた触手は、ガノンダールの足元を越える事なく力尽きて床に落ち……もう二度と動く事は無かった。

 剣を突き立てる。死脳喰らいの時と同じ様に。望まれず生まれ利用され、それでも母を追い求めた存在に対するせめてもの鎮魂。そうでなくては、あまりにも……。


「き、貴様今何をした……?」


 血振るいの様に一度刃を振って鞘に収めた後、ガノンダールはうわ言の様に尋ねてくる。姿は既に年老いた老人に戻っていた。因果を斬ったの。狂ってしまった物事を、斬って繋いだの。


「何をやった、どうやってやったのだ!? 答えよ!」


 しかし、その問いに答える事は出来なかった。一瞥すら与えず、己は倒れ伏したアスフォデルスを両手で抱き上げる。身は黒い三角帽に青いコートで傷は無い、一つ変わった事があるとするならその茶色い髪の毛が腰程の長さになっている事ぐらいだ。


「ファン、グイン……さん?」


 気が付いた彼女が反射的にその名を呼ぶと、心の中に温かい物が広がった。つい力が抜けて、膝からその場に座り込む形となった。

 運命を斬る絶技の代償としては余りに安いものの、疲労の蓄積はここで頂点に達していた。何とか腕の中の彼女を離さずにいたが、正直一歩も動く気力が無い。


「ま、待て! 逃がすものか……ッ!」


 ――この機会を逃さなかったのがガノンダールだ。彼は錫杖を向ける。が、それは一拍後渇いた音を立てて床に転がった。

 手加減した訳じゃない、本当は直撃させるつもりだった。異なる世界の所為で目測を見誤って、右の剣で並行世界の斬撃を放ったはいいが錫杖に当たってしまった。しかも刃を作れず、ほんの僅かな衝撃程度の威力になってしまってる。

 そのまま斬撃は、淡い緑色の光を湛えるフラスコを掠めた。


「フロウィス!」


 その時、ガノンダールが信じられない物を見る目に変わった。そして瞳の色は驚きから怒りに。

 だ、駄目。このままじゃ、駄目。……右手から剣が滑り落ちたのは、そう思った後だ。


「貴様……貴様貴様貴様!」


 ガノンダールは懐から、四十センチ程の杖を出す。剣士が長剣と短剣で主と予備を使い分ける様に、魔術師も長い杖と短い杖で使い分ける事が多い。

 短く呟く矢の魔術が、まるで怒りの現れの様に周囲を焦がした。


「ファングインさん!?」


 思わず、左でアスフォデルスの身体を抱こうとしたが力が入らず落としてしまう。一瞬、きゃっという声が上がりアスフォデルスの手に泥がついた。

 アスフォデルスに左手を伸ばそうとするも、覚えるのは酷い酩酊感。

 手指が震え、身体が熱く、そのまま倒れ込んでしまう。


「倅に手を上げた事、後悔するがいい!」


 怒り狂ったガノンダールの矢がアスフォデルスに向く。

 それでも、アスフォデルスだけは駄目。もう、意地だった。渾身の力を込めて、己は彼女を何とか庇う。


「貴様、よくもフロウィスを!」


 そのまま赤い魔術の矢で背中を幾度も焼かれた。ミスリルを編んだローブは焦げ目しかつかないが、衝撃までは殺せない。巨人に背中を幾度も叩かれてる様な物である。


「ファングインさん、駄目……矢が……」


 その時、アスフォデルスの顔が戸惑いを見せ一度息を呑む。それに対し己は何とか笑いかけた。

 守る、己はなんとしても……己は。

 その時、ごとりとローブから何かが落ちた。

 ――瞬間匂いが変わる。恐怖と焦燥から、澄んだ青い知性の匂いに。遅れて何かが目覚める音が一つ。

 気付くと、アスフォデルスに袋を掠め取られていた。


「やめなさい!」


 裂帛の一声と共に、彼女がそれを引き抜き――ガノンダールの短杖を弾き飛ばす。

 それは、あの別れ際。ユーリーフに渡した魔法銃の片割れだった。前と違うのは銃身が少し伸びていて、所々が鬼灯の様に淡い燐光を放っている。

 どうやら機帥の迷宮の隕鉄を、いつの間にか掠め取っていたらしい。

 アスフォデルスは、まるで己を守る様に魔法銃を突き付ける。


「そこを退け、アスフォデルス……」

「嫌です!」


 言葉は短く、吐き捨てる様に。

 アスフォデルスは右手をガノンダールに向け、その指を二本彼に突きつけた。それ以外は背中で見えない。


「……二手です」

「なに?」

「貴方に残されたのは後二手、それで終わらせます」


 そう言った後、彼女は左手についた泥で顔に線を引く。

 そして魔法銃に延長バレルを嵌めると、同時にアスフォデルスは後に手を回し、左手で一枚の硬貨を見せつけ。


「貴方に決闘を申し込む、杖を取りなさいガノンダール」

「なんだと……?」

「魔術師なら、魔術師らしく決闘の礼に従う……他でもない貴方が言った事です」


 そこでガノンダールから怒りの匂いが消える。呼吸が少しずつ凪ぎ始めた。


「いいだろう……ならば、貴様のその博打乗ってやる」


 一拍の後。対して己の前に出たアスフォデルスは瞳を一切逸らさずに、一度首を横に振った後、一拍置いてこくりと頷く素振りを見せて。


「――これが合図、これが床に落ちた時に始めてください」


 そう言って彼女はまた再び首を縦に頷く。


「受けて立つ」


 ガノンダールはそう言うと先ほど弾き飛ばされた錫杖を再び手に取る。アスフォデルスはユーリーフが直した魔法銃をつぶさに調べ上げた。

 アスフォデルスは息を止め、対しガノンダールは呼吸を三度行い整え。


「来い、アスフォデルス!」


 そうして硬貨が宙を舞う。くるくると数度回った後、彼我を分ける中間地点に墜ちた。

 ガノンダールは古代語を短く唱えると、途端彼の前に青白い光の壁が張られる。それは結界であった。その直後、風切り音が一つ。


「師父!」


 若い男の声が、ガノンダールの奥の壁から響いた。裂帛する声と共に闇の中、その上を何かが宙を舞う。

 闇に輝くそれは金のメダリオン。

 アスフォデルスは左手親指に銃床を添え、その青い瞳が得物を収める。


「貴方は先程、この勝負を博打と言いました」


 魔法銃から放たれた赤い魔弾は、青白く光る結界の上を掠め、中空のメダリオンの角に当たり軌道が逸れる。


「……ですが魔術師は博打はしない。常に計算と予測に生きるものです。その手は読んでます」

「《それの生死は流――》」


 続けて唱えられていた不死鳥召喚の呪文は、胸に炸裂した魔弾により遮られた。

 どさり、という音が周囲に響いた。次に、よろよろと立ち上がろうとして倒れ込む音が。闇の中から垣間見えたのは、青い瞳の青年だった。彼もまた粘液に塗れてるあたり、どうやら影喰い沼に取り込まれていた人らしい。


「ディスカバー。相手の駒が直線上にある時、あえて真っ先に攻めないで、おびき寄せて罠に嵌める。チェスの定石の一つですよ」


 魔法銃の銃口を降ろし、アスフォデルスは呟く様に言った。全て読んでいたの? アレを? そして会話の中で、あの青年に指示をしていたの?

 がたり、という音がする。どうやら青い瞳の青年は、そこで力を使い果たし倒れてしまったようだ。


「チェックメイト」


 ぞくり、とした。その声は、まるで何もかも見通している様な響きを持っている。


「そう動くしかない状況に嵌った時点で勝敗は決まります……チェスも魔術も頭を使うのには変わりない」


 魔法銃から発射された矢の呪文は、ガノンダールの胸を確かに貫き大穴を空けた。濃い血の匂いが辺り一面に充満する。

 ずり、ずり、という音が響いた。アスフォデルスから視線を移すと、そこには未だ意識を失っていないガノンダールが上半身だけで這いずる。その先には緑色のフラスコが。


「フロウィス、フロウィス……諦めんぞ、儂は……」


 魔術師の命の錫杖すら放り出し、彼は魘される様に息も絶え絶えで呟き続ける。

 アスフォデルスはそのまま魔法銃を握った。構えは、かつて鉄兜の男に向けた時と同じ物。

 跪く様にその場で片膝立ちとなる。左の手のひらを前に翳し、その親指の下に銃口を置く。

 ――青い目がガノンダールの頭に絞られた。


「魔術師など、ならなくてよい……お前さえ、お前さえ生きていればそれで……儂は」


 その亡き息子が入ったフラスコに、血に塗れた手を伸ばす。フラスコにはもう魔力が流れていない。彼が石英の壁を叩くと、何もかもが止まった亡骸が反対側から一度跳ね返る。

 しかし、指は何時までも引鉄にかかる事は無かった。


「フロ、ウィス……一目、お前に……もう一度」


 その嘆きが、彼の最後の言葉だった……。

 涙の代わりに鼻から温かい物が伝う。手甲で擦り手早く消す。香りはガノンダールの血の匂いに紛れ、百合が香る事はなかったと思う。


「………………貴方は、それでもガノンダールの事を師父と呼んだ」


 魔法銃を下げた後、アスフォデルスは闇に向け淡々とそう告げる。闇の中、浅い呼吸を繰り返す青年の影をしばし見つめ。


「魔術師は、借りを返す」


 その青い瞳は痛ましい物を見て、そうして耐えきれなくなったかの様に目を逸らす。


「なら裁きは与えても、踏みにじりはしない――メダリオンの借り、確かに返しました」


 がちゃり、と魔法銃が下に落ちる。そしてアスフォデルスはぺたんとその場に座り、そして倒れ込む。


「師匠……」


 呻く様な声を放ったその顔は、闇と涙に紛れて見えない。

 不意に、体が熱く感じた。ふと腕を見ると、火ぶくれが……それは瞬く間に全身に広がる。

 熱い。熱い熱い熱い。

 闇が熱い。

 体を巡る獣の因子が進化を遂げる。異能を使った代償に、体が特質を獲得したらしい。人の言葉を失い、唸り声でしか喋れなくなったあの時の様に。

 ……その闇の熱さに耐えきれず、己はこの部屋から飛び出す。目指すのは光。

 闇の中、己は刻一刻と体を炙られる。それでも思うのはアスフォデルスの事。


 ――愛して欲しかった。

 抱き締めて欲しかった。褒めて欲しかった。こんなにこんなに頑張ったんだもん。

 せめて、一目だけでも気にして欲しかった。


 けれど。

 彼女が……己を、見る事は無かった。


 ×    ×    ×


 共感覚という症例が存在する。

 ある感覚とある感覚が連動するという不可解な物だ。

 例えば音を聞けばその言葉の味が解る、舌で味わえば味わった物の音が聞こえると言った具合に。

 ――ならば、嗅覚が特定の物に見えるというのも同じ症例と言えるのではないだろうか。

 本来なら知覚できない物を数式に変換する事は出来ないだろう。しかし、影喰い沼と同化した事により一時的に闇の中の金のメダリオンを見通せる程、知覚野が増強されていたと仮定しよう。

 途切れかけた意識の中。彼女は、統一的全体像(ゲシュタルト)する。


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